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2011年9月 1日

「人間として大切なこと」 と 「同化圧力」

28日の「紳助引退に関連して、私もちょっとだけ書いておく」という記事で、私はお笑い業界内の都合を遠慮なく表に出す紳助の芸風に触れた。そしてそれを喜んで受け入れる視聴者の「空気」の気持ち悪さについて書いた。

この記事にいただいたきっしーさんのコメントから、一部を引用する。

「お笑い」番組とか、「芸人」が沢山出てくる番組を子供に見せたくない、見過ぎると馬鹿になると思うのは、ジョークであるとかヒューモアとががくだらないものであるからではなくって、tak さんの指摘するような「空気」に縛られた思考をしてしまう(少なくともそれがフツーのものだと思ってしまう)ような気がするからなんですよ。

十分幅広くいろいろと見たり聞いたりした大人であれば、逆にそういうものへの反発の中からポジティブなものが生まれるのでしょうけれども、小学生や中高生は(特に日本では)常に assimilation を強いるプレッシャーに直面していますからね。

きっしーさんが "assimilation"(同化) という言葉を使ってくれたので、問題がよりはっきりした。私が危惧していたのは、紳助の芸風にみられた「同化圧力」の強さなのである。彼が大きな人気を得る反面、反発も強かったことの理由は、あの強すぎる同化圧力故だったろう。

聞けば、お笑い業界というところは上下関係が非常に厳しいところだそうである。まあ、それは芸能界全般に言えるのだが、中でもお笑い業界はことさらなまでに挨拶の仕方とか、微に入り細に入りうるさいのだそうで、さらにその中でも、かの紳助はうるさかったのだそうだ。

この点について言えば、礼儀作法というのは人間関係を円滑にするためのものだから、礼儀作法にことさらにこだわるあまり、人間関係がぎくしゃくするようでは本末転倒だと、私は思っている。

などというと、私が礼儀作法なんてどうでもいいと書いているなどと、誤解する向きが必ず出るので、念のために言っておくが、私は仕事で使えないヤツは決まって挨拶がきちんとできないヤツだとまで思っている。しかしだからと言って、外面的な挨拶にことさらにこだわっては、より大切な本質を見失う。

挨拶に代表されるような「礼儀作法」は、言うまでもなく大切なことである。それは誰も反論できない。しかし、この誰も反論できないことを笠に着てことさらに人に強要するのは、暴力である。私がここで言うところの「強すぎる同化圧力」とは、そうしたことをいう。錦の御旗の乱用である。

挨拶はきちんとする方がいい。服装はきちんとしている方がいい。目上の者は尊重する方がいい。義理は果たした方がいい。人情は思いやる方がいい。恩は忘れない方がいい。それは「人間として大切なこと」である。

しかしいくら「人間として大切なこと」でも、それをことさらに強要し、それに少しでも外れたら何らかの制裁を加えるというのは、「あっち」の方の世界の論理である。「人間として大切なこと」は、時として「人間として許されないこと」をするための理由にだってなる。「態度がなってない」と言って、女性をぶん殴ったりすることにもなるのだ。

「誰も反論できない」ような「人間として大切なこと」ほど、その運用が難しいのである。「許し合うこと」を忘れて無闇な運用をするような「同化圧力」の強すぎるタイプの人間には、気を付けた方がいい。「人間として大切」と言われたことを疑いもなく果たしているうちに、いつの間にかズブズブの状態に陥ってしまうことすらある。

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

おもしろくて引き込まれました..

でも個人的に最もおもしろいと感じるのは,これほどまでに彼の話題が尽きないことです.
何故なんだろう,単に茶の間への彼の影響力が大きかっただけなんでしょうか.また巷の皆様たちは本当に彼についての様々なことをご存知ですね.
これは世間一般で言われていることの信憑性を疑っている訳ではありません.

私は彼が多くの人から嫌われていたことやこれほどまでにバッシングを受けたことに正直驚いてしまった次第ですw
私の知らない情報がとても多くあり,それが原因で否定派が生じていたとしてもこれまでにどこかでそのような情報を得る機会はいくらでもあったというのに.

現段階では,出た杭が予想通りの人間だったことに周囲がそれぞれの予想的中の程を喜んでいる,そんなイメージで端から見てたりします.

投稿: 紅いも | 2011年8月31日 22:49

紅いも さん:

>でも個人的に最もおもしろいと感じるのは,これほどまでに彼の話題が尽きないことです.

うぅん、「彼の話題」 というか、私は紳助個人については、あまりよく知らないんであります。

せいぜい、引退に伴うニュースで取り上げられたこと程度しか知らなくて、「鑑定団」 の司会をしていたことすら知らなかったのでした。

ただ、たまたま彼が司会していたバラエティ番組を見て、「お友達になりたくないタイプだなあ」 と思ったのが、このブログで取り上げるきっかけになったのでした。

というわけで、ここで取り上げているのは 「紳助個人」 ではなく、私が感じたところの 「紳助的な人」 ということなのです。

「紳助的な人」 あるいは 「紳助的印象の人」 というなら、私も結構知ってまして、知ってはいるものの、これまでにもひたすら必要以上の交際を避けています (^o^)

投稿: tak | 2011年8月31日 23:31

挨拶とか礼儀を錦の御旗にしてヘンな上下関係が強化されているという問題もあるでしょうけれども、それよりも、何が面白いかということに関して価値観を押し付けられている感じがしばしばすることがイヤです、私の場合。
やたら取り巻きみたいなのが多い世界だなあ、視聴者も視聴者で「強制された笑い」みたなものを喜んで受け入れている感じで気色悪いなあ、と。
などと言った上で、例えばさんまなんかは、そうした「お笑い界」のヒエラルヒーの一角を担っている面もあるけれども、そういう枠から離れたしゃべりも面白いと思っています。このへんは才能に帰する部分なんでしょうね。

投稿: きっしー | 2011年9月 1日 15:09

きっしー さん:

>挨拶とか礼儀を錦の御旗にしてヘンな上下関係が強化されているという問題もあるでしょうけれども、それよりも、何が面白いかということに関して価値観を押し付けられている感じがしばしばすることがイヤです、私の場合。

なるほど。
私がそこまで気付いてないのは、じっくり見てないからかもしれません。

何かしながらとか、コーヒー淹れながらとかで、ちらちら見るだけだから、そういう意味では、紳助の笑いについて語る資格はないですね。私の場合。

つい、ざっとした印象論になってしまいます。

>やたら取り巻きみたいなのが多い世界だなあ、視聴者も視聴者で「強制された笑い」みたなものを喜んで受け入れている感じで気色悪いなあ、と。

それは大いに感じていましたね。
何を言っても周りで受けてくれるという世界。

「御威光」 みたいなものをちらつかせている感じで、「お笑い」の本来の姿じゃないかもなあと。
(何が「本来」かは諸説あるでしょうが)

投稿: tak | 2011年9月 1日 20:07

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