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2011年8月19日

Windows のブランド・イメージを気にしてみると

Windows のブランド・イメージって、どんなようなものなんだろう。とくに、非パソコン・ユーザーとライトユーザーにとっては。

試しに「Windows/ブランド・イメージ」という 2つのキーワードでググって見ても、私の求める解答に行き当たりそうなページはほとんど見当たらない。思えば消費者はこれまで、Windows のブランド・イメージなんてことを気にする必要性に迫られていなかったのだ。ほかに選択肢がほとんどない分野で、そんなことを言っても始まらない。

せいぜい、ほかに Mac という結構かっこいい独自機種があって、独自の Mac OS というのがあるみたいだけれど、世の趨勢に習うならば、しかたなく Windows を使う方が無難そうだという、一種の諦観じみた思いがあるにすぎないのではなかろうか。

こんなことが気になったのは、スマートフォンの世界に Windows Phone なるものが上陸して、iPhone、Android に続くスマートフォンの第三勢力になるというニュースを見かけたからである。これまでも Windows Mobile なんてものがあったが、それとはまったく別の OS として開発されたのだそうだ。

朝日新聞のサイトでかなり詳しく解説してあった(参照)ので、ちょこちょこっと読んでみたところによると、Windows Phone は、PC の Windows の操作感とは共通しない独自のインターフェイスを持っているのだそうだ。アイコンに代わる「タイル」なんていうのが売り物らしい。

私は初め、仕事などで Windows を使っていて、スマートフォンでも操作感の近いものを求める需要に対応するのかと思ったが、そうでもないようなのだ。それは Windows Mobile までのコンセプトで、Windows Phone では、スマホの分野でイチから新たなマーケティングをするつもりらしい。

そしてうわさによると、その UI が Windows 8 にも使われるというのである。ということは、Windows ユーザーはまたしても、MS の勝手な仕様変更で戸惑うことになるのである。せっかくベテラン・ユーザーになっても、ある日突然、ビギナーに落とし込められてしまうのである。そんなことを自動車の世界でやられたら、命がいくつあっても足りない。

とまあ、いろいろあって、非パソコン・ユーザー及びライトユーザーにとっての Windows のブランド・イメージというのが気になったのである。彼らにとって、Windows の名を冠したスマホは、「あの Windows の流れだったら、とりあえず信頼できるわぁ」ということになるのか、はたまた「何だか難しそうで、うっとうしいわぁ」となるのか、興味あるところだ。

というのは、私自身がこれほどまでに普段の仕事で Windows PC を使い倒しながら、「スマホまで Windows なんて、ご免こうむりたいわ」と思っているからである。

自慢じゃないが、私は Windows に関してはかなりのヘビー・ユーザーである。たいていのことならあっという間にサクサクとこなせるし、操作法を人に聞かれて教えてあげることだって多い。

その私が、Windows Phone は PC の Windows とは別物とは重々知りながら、「何が悲しくて、スマホでまで Windows 使わなきゃいけないんだ?」と、ちょっと理不尽なまでの反感を募らせてしまうのだ。

恐縮ながらこればかりは、これまでのブランド・イメージが邪魔しているのである。スマホなんてものは手軽に簡単にサクサクと使いこなしたいのに、あの「重くて」「使いもしないおせっかい機能満載で」「画面がダサくて」「操作が面倒くさい」Windows の流れの上にある OS なんて、あんまりそそられないと思うのだよ。

それは、モバイル PC にしてもそうだ。外に持ち歩く PC なんて、インターネットでの情報収集と、メールと、オフィスで作ったファイルの閲覧とちょっとした編集ができさえすればいい。そんなことに Windows PC は必要なかろう。iPad で十分だ。

いくら Windows 搭載のノート PC が 3万円台で買えるようになったからといっても、そしてそれにインストールするオフィス・ソフトは、あの高い MS オフィスなんかじゃなく、フリーソフトで十分といっても、やはりもう Windows を持ち歩いて使うなんて、ちっともスマートじゃないと感じてしまうのである。

ちょっと前までは、個人でデジタル情報を取り扱うにも Windows PC 以外の選択肢はないに等しいか、あっても非常に小さなものだった。消費者の多くは、長らく無駄な買い物をしてきたのである。使い切れないご大層なものを買って、それを使いこなせないのは自らの能力不足のせいに違いないと、泣く泣く自分を責めてきたのである。

そしてようやく、そんな時代じゃなくなったのだ。Windows のブランド・イメージって、多分今では、プラス・ポイントよりマイナス・ポイントの方が大きくなりつつあるんじゃないかと思う。

 

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コメント


本当にマイクロソフトって、PC界のディファクト・スタンダードで、圧倒的なシェアを持っていることを悪用して、消費者をバカにして、消費者を翻弄して、自分勝手な、あこぎな、傲慢な、強引な、独裁的な商売をしてきました
誰も好感を持っているわけがないと思います

純粋に個人ユースであれば、多分、ネットでの使用がほとんどであるだろうし、安価で軽い互換ソフトを使いたい
しかし、ビジネスユースであれば、マイクロソフト以外のソフトを使用することに、主に社外との互換性・整合性の面から、不安がある
と言うことですかね

投稿: alex99 | 2011年8月19日 22:46

alex さん:

MS が商品開発をストップして、既存ソフトの販売だけを行う会社になったとしても、消費者の大多数はちっとも困らないと思います。

「それじゃあ困る」という、ほんの数パーセントの人たちのために、大多数の消費者が高いソフト代を「奉納」してるようなものです。

投稿: tak | 2011年8月20日 07:28

Macに鞍替えしたくてたまらないんですが、九州のど田舎在住なので扱ってくれるお店が近隣に存在しない。
何かあった時まともに修理にも出せないようでは、ということでやはり完全にWindows一択になります。とほほ…
選択肢のある人生って、いやはや素晴らしいものです。

投稿: 抹茶 | 2011年8月20日 14:49

抹茶 さん:

私も、PC は仕方なく Windows ですが、iPad と iPhone を快適に使っています。

まあ、今のところはこれでいいかと ^^;)

投稿: tak | 2011年8月20日 17:09

Microsoft(以下「MS」)が、消費者が本当は求めてもいないような過剰な機能を備えたOSやOfficeスイート製品などを消費者に押しつけていったというのは一面の事実でしょうけど、それに呼応する形でPCを中心とするIT機器の性能が飛躍的に向上していったという面もあろうかと思います。そして、そうした趨勢によってパーツなど各要素のコストも大幅にダウンし、だからこそiPadなどのタブレット端末があの程度の価格で購入できるようになった。iPadにしたって、あの大きさと価格で、たとえば10年前のPCを凌駕する処理能力を持っているわけですよね。

MSがたとえば2000年の時点で「これで十分」と宣言して「無駄な」機能の開発をストップしていたら、我々は今、これだけ高機能のタブレット端末、これだけ高速なデータ回線を使えていたでしょうか。たとえば「PCなんて要らない、Officeなんて要らない、iPadで十分」というのは、後知恵で美味しいとこ取りをしているだけのように思います。また、MSを悪の権化のようにいうのは簡単ですが、簡単なだけに単純すぎるように思います。MS自身の強欲が、現在のような「MS不要」の環境を整備してくれたとも言えるのではないかと。

だもんで、MSは、これからも過剰で無駄な機能の開発に邁進していくべきなのだと思いますよ。

私は使いませんけど(←おいおい)。

投稿: 山辺響 | 2011年8月22日 15:37

山辺響 さん:

えぇと、私自身は MS を悪の権化というような言い方をしたことはありませんので、その辺りはよろしくご理解ください。

Office 2000 ぐらいまではとても重宝して、積極的にバージョンアップしていましたから。
(そこから先は、仕方なく付き合ってるだけですけど ^^;)

私が言いたいのは、MS のビジネスモデルというのは、ある意味で一つの分水嶺を越えてしまっただろうということです。

>たとえば「PCなんて要らない、Officeなんて要らない、iPadで十分」というのは、後知恵で美味しいとこ取りをしているだけのように思います。

私としてはそうした時代になったからこそ、消費者は後知恵でおいしいところをとる権利があるだろうと思うわけです。

それを潔しとしないで、PC に固執するのは、ナンセンスだと。
(私自身は、まだ PC が必要ですので使いますが)

インターネットが使えて、メールができて、画像管理ができて、ちょっとした文書が書けて、家計簿程度の表計算ができればいいと思っているホームユーザーに、MS Office のプリ・インストールされた最新式の PC を買えとは、今や申し訳なくて勧められません。

投稿: tak | 2011年8月22日 16:34

>えぇと、私自身は MS を悪の権化というような言い方をしたことはありませんので、その辺りはよろしくご理解ください。

もちろん分っております!(たぶん)

「分水嶺」とおっしゃるのは、たぶん、MSの追求している路線が、ある時点まではMSについての利益最大化に貢献していたのに、そこからはむしろ消費者の(MS回避という)「気づき」を誘ってしまった、ということであろうと思います。

だもんで、MSに対しては、同社のもたらした恩恵を享受しつつ「かわいそうに」という視線を送る方が妥当であろうかという気がします。

投稿: 山辺響 | 2011年8月22日 18:27

山辺響 さん:

>「分水嶺」とおっしゃるのは、たぶん、MSの追求している路線が、ある時点まではMSについての利益最大化に貢献していたのに、そこからはむしろ消費者の(MS回避という)「気づき」を誘ってしまった、ということであろうと思います。

ある時点までは MS の利益最大化ばかりでなく、ユーザーの利益最大化にも貢献していたと思います。

そうでなければ、MS のマーケティングの勝利とはいえ、ユーザーにしてもこれほどまでに受け入れてしまうわけがありませんから。

というわけで、別の言い方をすれば、MS はその大きな役割を終えつつあるのではないかということです。

これ以上無理ながんばりをされると、ユーザーの利益にならないと。

MS に対しては 「これまでは、お互いにいい目を見ることができたよね。ありがとう。でも、これからはあんまり余計なことをしないでね」 という感じで、長期的な低落を見守るということになりましょうか。

投稿: tak | 2011年8月22日 19:31

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