「バスの日」 を巡る冒険
365日、年がら年中たいがい「何とかの日」というのがあるが、今日 9月 20日は「バスの日」なんだそうだ。Wikipedia によると、明治 36年のこの日、京都の地で日本で初めて乗り合いバスが走ったことを記念して、昭和 62年 10月に開かれた全国バス事業者大会で決めたという(参照)。
私としては、「日本最初の乗り合いバスって、どんなもんだったんだ?」と興味を覚えていろいろ検索してみたのだが、その過程で、明治 36年 9月 20日に走ったのが 「日本最初の乗り合いバスである」ということには、異説があるとわかった。
「京都滋賀地域情報 LOOKPAGE」 というサイトに、「9月の歴史 幻!京都第一号バスの歴史を追え!」という貴重な情報がある。このページの記述によれば、日本で最初に乗り合いバスが走ったのは広島(明治 36年 1月)で、2番目は大阪(同年 3月)。同年 9月 20日に京都で開業したのは、日本で 3番目の乗り合いバスだったということになっている。
一方、Wikipedia の方の記述では、広島のバスは京都から 1年ちょっと遅れて、明治 38年 1月に開業したということになっている。よく調べてみると、広島のバスはやはり明治 38年 1月に開業したもののようだ (参照)。
広島のバスが日本初の国産バス(エンジンはアメリカ製)で、定員 12人だったということに関してはどちらの情報も一致していて、一方京都のバスは米国製の 2人乗り蒸気自動車を 6人乗りに改造したものだった。これからみても、広島のバスの方が後のことと考えるのが自然で、「京都滋賀地域情報 LOOKPAGE」の広島のバスに関する情報は、何かの勘違いだったと思われる。
ちなみに時間軸では遅れをとっている広島側では、「バスとは 11人以上が乗れる車」と法的に定義されていることを理由に、「京都は 『バスの日』を横川(広島市内の地名)に譲ってほしい」とアピールしているらしい。後世の法律を明治の御代に当てはめるのは、個人的にはちょっとどうかと思うが。
ただ「京都滋賀地域情報 LOOKPAGE」では、大阪の乗り合いバスについて、「大阪市でも同年 3月に天王寺公園で開かれた内国勧業博覧会で、アメリカから輸入の蒸気自動車 2両が梅田駅から千日前まで運行した。これは会期中だけのアトラクションであった」とある。
明治 36年には確かに大阪で同博覧会が開催されている(参照)から、この記述はかなり信憑性がある。ということは、ここで触れられた大阪内国勧業博覧会の臨時アトラクションのバスが、「日本最初の乗り合いバス」であったかもしれない。まあ、臨時のアトラクションだから勘定に入れないということならば、「日本最初のバス」は、京都と広島の争いになる。
京都で最初に走ったバスは、「京都滋賀地域情報 LOOKPAGE」 のページに載っている写真でみる限り、2人乗りを無理矢理 6人乗りに改造しただけあり、いかにも窮屈そうでバスらしくはない。おまけに屋根がないので、雨の日は休業だったという。
見た目のバスらしさでいえば、広島の方に軍配が上がる。ただ、広島のバスは急仕立ての国産品でタイヤが間に合わず、馬車用の車輪を流用したので、しょっちゅう故障する粗悪品だったらしい。
いずれにしても「汽笛一声新橋を……」 と唱歌にまで歌われた鉄道ほどには、乗り合いバスというのは画期的なトピックではなかったようなのだ。新橋・横浜間を最初の鉄道が運行したのは明治 5年 10月 14日(今は 「鉄道の日」 となっている)と、きっちりと記録に残っているが、乗り合いバスの場合はそれから 30年も後のことなのに、かなりどさくさに紛れてしまっている。
こうしたどさくさを乗り越え、9月 20日が「バスの日」と制定されたのは、Wikipedia によれば、京都で二井商会 (創業者の福井九兵衛と坪井清兵衛の、2人の苗字に井が入っているのでこの社名になった) が始めたケースのみ、どさくさの中の奇跡ともいうべく、当時の営業免許証が現存しており、その公布日が 9月 20日と記されていることによる。
ということは、巷間言われる「日本で初めて乗り合いバスが走った日」というのも、どさくさ的にかなり怪しくて、9月 20日は「バス運行の営業免許証が交付された日」というのが本当のところのようだ。まあ、いかにもお手軽な改造自動車だから、免許が交付された当日からどさくさにまぎれて走り始めちゃったのかもしれないが。
どさくさはこれにとどまらない。二井商会のバスは創業開始したのはいいが、間もなく「交通規則未発令のため当分営業休止」という、思わずこけてしまいそうな通告を受けてしまい、それでもそこは京都人のしぶとさを発揮して、「試運転」名目で営業を続けたという。
ところが、既存のコンペチターである人力車夫とのトラブル(要するに「嫌がらせ」ね) が頻発した上に、「1区間 5銭」(満員でも 30銭)という料金ではとうてい採算が取れず、翌年 1月には経営破綻してしまったとある。
当時、人力車の料金はどのくらいだったのかというと、『梅若実日記』に明治 22年の記録として 「十一時四十五分ノ汽車二乗リ横浜より人力車往返五十銭」とあり(参照)、明治 44年の岐阜県益田郡役所「人力車賃銭表」には、二里十八丁(6km 弱)で、屋根付きが 58銭、屋根なしが 41銭とある(参照)。
人力車は目的地までピンポイントで運んでくれるタクシー的なものだったことを考慮しても、1区間 5銭というのは安すぎたかもしれない。というわけで、京都で最初の乗り合いバスは、4ヶ月の短い命だったのである。
ちなみに広島のバスも、国産車体のお粗末さに加えて馬車事業者からの反対にも手を焼き、1年もたずに廃業となっている。人力車や馬車の方がずっと力のある時代だったのだ。何しろ日本では戦後まで、人力で走る「人車鉄道」という信じられないような交通機関があったのだから、わからない話ではない。
余談だが、「バスの日」を広島側の主張通りに横川に譲るとすると、今度は広島側が京都側の根拠である「9月 20日」という日付にただ乗りすることになり、新たな問題が発生する。ここは必死になって広島側の正確な日付を特定してもらわなければならないだろう。
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コメント
むかし、「どてらい奴」という花登筺原作西郷輝彦主演のテレビドラマの中で、英語のできる日本人が bus のことを「乗り合い自動車」と訳していたシーンがありました。だから、この記事を読んで「乗り合いバスって変だな、バスってのはもともと乗り合いなんじゃないの?」と思ったのですが、調べてみると貸し切りバスに対して乗り合いバスって言葉があるんですね。なるほど。勉強になりました。
投稿: たんご屋 | 2011年9月21日 14:55
たんご屋 さん:
なるほど。
私も 「バス」 を無理矢理日本語にするなら 「乗り合い自動車」 かなと思っていたんですが、「乗り合い」 意外にもあるわけですね。
バスという 「モノ」 を 「乗り合い」 にするか 「貸し切り」 にするかは、運用次第という当たり前のことに、改めて気付きました。
投稿: tak | 2011年9月21日 16:35