10回目の 9・11 偶像崇拝と偶像憎悪
あの 9・11 テロから 10年経つ。そう、あれは 2001年 9月 11日だった。当時勤めていた業界団体が江東区有明のビッグサイトのすぐ近くにあり、そこから 2時間かけて帰宅すると、テレビの中であのツィンビルの片方が煙を上げていた。その時点での報道のされ方は 「事故」 という印象だった。
ところが間もなく、もう片方のビルにも、小さなプラモデルが冷や奴にめり込むように、2機めの飛行機が突っ込んだ。さらに別の飛行機が、ペンタゴンの一画にも突っ込んだという。この時点で、それが「テロ」であることが、誰の目にも明らかになった。これまで経験のない事態に、私はどう反応していいのかわからなかった。
こんな大事件について、私はタイムリーな記事を書いた憶えがない。それもそのはず、私はこの事件が起きた時点では、自分のサイトをもっていなかった。
この何年も私は、何か大きなニュースに接する度に、まず「このニュースを、自分のブログで取り上げるかどうか」の判断を即座に行い、取り上げると決めたら次に、「どんな視点で書くか」を考える癖がついてしまっている。ところが 10年前の 9月 11日、私はアウトプットを考えることなく、ただただ茫然とインプットされまくっていた。
私のサイトは、「9・11 以後」 ある。9・11 のほぼ 4ヶ月後、年が明けた 1月 16日に私はようやく自分のサイトをもち、この日早速、2本のコラムを書いていいる。そしてその中の一つが "「小屋」 の時代 偶像崇拝の時代の終わり" というものだ。
実はこのコラムの半分以上は、9・11 テロの 2ヶ月後ぐらいに書いたものである。当時、私は勤務していた業界団体のサイトに、勝手に匿名のサブサイトを作っていて、いろいろなトピックスに関するコラムを書いていた。
このサブサイトが差し障りがあるということで、廃止になったのを機に、書きためたコラムのいくつかを自分のサイトに引っ越しさせたのである。上述のコラムは、そのうちの 1本だ。そして自分のサイトへの引っ越しにともない、私は次のような文章を付け加えた。
「偶像崇拝」 を禁じるイスラム原理主義者たちは、実は「アメリカ的なるもの」や「資本主義的なるもの」を現す「偶像」を憎悪していただけのようにも思える。しかし「偶像崇拝」が害毒であると同様に、「偶像憎悪」も時として真実を見誤らせる。
アッラーが教えたのは、言葉を変えて言えば、「偶像を相手にするな」ということなのではなかったか。偶像憎悪は「裏返しの偶像崇拝」に姿を変えることがあるのだ。
9年半前の私、ちょっと冴えてたかもしれない。
そして今、アメリカはグラウンド・ゼロにどうやら新たな偶像を建てようとしているようなのである。それがいたずらにヴァルネラブルなものでなければいいのだが。
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