9・11 と 3・11 で、やっぱり思ってしまうこと
9・11 から 10年を迎えたニューヨークでは、グラウンド・ゼロで追悼式典が行われた。オバマ大統領が旧約聖書の詩編の一節を朗読し、ポール・サイモン、ヨーヨー・マなどのアーティストが追悼の演奏を行った。
米国、とくにニューヨークでは、あの日以来、世界認識が大きく変わってしまったのだといわれる。崩落したワールド・トレード・センター・ビルで、あるいはその近くで仕事をしていた人たちは、身近で戦争が起こったような経験をした。あの日は交通網までがストップし、多くの人が帰宅難民になったらしい。
この日の経験を、ブログに書き記した市民も多い。昨日の TBS ラジオではそのうちの何本かの記事を日本語に訳して読み上げ、さらにその記事を書いた当人に改めてインタビューしていた。
ようやくの思いで自宅に電話が通じ、テレビを見ていた妻からの情報で初めてテロだったと知った男性。ハドソン川を越えたニュージャージーの自宅まで数時間を歩きながら、滅多にないスカートとハイヒール姿で出勤してしまったことを呪い続けた女性。
初めはわけがわからずにカメラマンと一緒に現場まで取材にでかけ、ビルの崩落を目の当たりにして、命からがら逃げまどいながら決死の中継を行った TBS の駐米スタッフ。
多くの人が避難する道すがら、ありったけの水を買い求め、まったく見知らぬ人と話をしながら断片的な情報を交換し、助け合ったと、思い出を語っていた。そしてこうした経験をブログに書き記した人がいる一方で、携帯電話を持っていない人も少なくない時代だったと、改めて認識した。
10年前は、近いようで遠い。そして、その 10年後にちょうど半年足りない今年の 3月 11日。日本であの震災が起こった。日本でもあの日以来、世界認識が大きく変わってしまった。
9・11 では 3000人近くが命を失い、3・11 では 犠牲者が 2万人以上に達した。10年前に米国民が茫然と経験した 「世界認識のシフト」 を、今年我々が似たような意識レベルで経験したが、そのシフト幅はさらに大きかったかもしれない。もっともその後、米国はイラクでそれ以上の兵士の命を失うことになったのだが。
震災以後、とくに米国民が「オペレーション・トモダチ」や義捐金送付など、復興支援に親身の協力をしてくれたのは、こうした「共通意識」があったからではなかったかと思う。
Twitter では "prayforjapan"(日本のための祈り)というタグで、膨大な書込みがあった。多くの名もない人が世界中で日本のために祈り、悲しみ、行動を起こしてくれたことを知った。
3・11 大震災が起きたのは金曜日だった。そしてその翌週の金曜日である 3月 18日、多くの米国人が勤め帰りに赤十字や慈善団体に立ち寄り、ほんの小額ではあるが、日本のための寄付をしたことを、Twitter にさりげなく書き残してくれている。
"Stormy Monday" というブルースに、"The eagle flies on Friday"(金曜日に鷹が飛ぶ)という歌詞がある。ここに出てくる "the eagle" とは、鷹がプリントされたドル紙幣のことで、アメリカのブルーカラーの pay day(週給の支払日 のことを意味している。
今でも金曜日に現金で週給をもらっているとは思わないが、多くの米国人のブルーカラーが小金の入るウィークエンドに、飲みにも踊りにも行かず、10ドル、20ドルと寄付してくれた。そのことに私は、かなり感動したことを覚えている。
10年前、世界はテロのニュースに愕然とし、今年は震災、tsunami、原発事故に愕然とした。その「愕然」には、テレビで流される映像が大きな役割を果たした。世界は今後しばらく、「3・11 から何年」と改めて思い出し、その半年後に「9・11 から何年」と報じるのだろう。そして、あの忌まわしい映像をもう一度眺めるのだろう。
しかし、同じ「11日」という日に起きた 2つの厄災を、忌まわしい受動的な記憶に止めるだけでは、何の教訓を得たことにもならない。世界認識のシフトをオルタナティブな方向への一助にしなければならない。10年目の年に起きた災害で、私はそのことを確認した気がする。
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