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2011年9月 3日

SP レコードで聴いた 「ちょっと昔の日本語」

今日、出先から車で帰ってくる途中、カーラジオで TBS ラジオの開局 60周年番組「ラジオ東京スピリッツ」の、「SP で聴く日本人の話し方」 という特集を聞いた。

SP というのは SP レコードのこと。私が子供の頃までは時々見かけた、ちょっと重めの 78回転/分で聞くレコード盤である。と言っても、若い人の多くは LP レコードが 33回転/分だったことすら知らないだろうなあ。

同じような大きさで、溝の間隔が粗く、LP レコードの倍以上の速さで回るのだから、あっという間に聞き終わる。せいぜい片面 5分ぐらいだった。それで、LP レコードの正式名称は long-playing record で、一方 SP は standard-playing record と言うのだそうだ。Short-playing record でないところが、逆にちょっといたわしい。

そういえば、我が家には昔の歌謡曲やエンタツ・アチャコの漫才(あの有名な 『早慶戦』 というネタ)、広沢虎三の『清水次郎長伝』(石松三十石船の件) などの SP があったなあ。あれ、どこに捨てられてしまったんだろう。もったいない。

TBS ラジオの話に戻る。この番組では、SP レコードを 3万枚以上も収集しておられるという大衆芸能研究家、岡田則夫氏のコレクションの中から、とても貴重な音源を聞かせてもらって、私は運転しながら狂喜していた。

中でも乃木希典東郷平八郎の声を聞けたというのは、どえらい話のタネになる収穫だった。

乃木希典将軍の声は、びっくりするほど甲高かった。これは、録音するためにラッパに向かって(当時は今のようなマイクですらなかったらしい)話をするなんていう非日常的な行為に、緊張していたせいかなあ。それとも、小柄な人だったようだから地声が甲高かったのかなあ。

そのほかにも政治家、軍人、実業家の演説、中等学校と言った時代の甲子園野球、バスガイドや店頭プロモーション、パチンコ店の店内アナウンスの実演など、それはそれはいろいろな録音があって、古色蒼然とした味がなかなかよかった。

古色蒼然といえば、釈超空(折口信夫)、北原白秋の、自作短歌の朗詠などは、もう涙ものと言ってもいいぐらいのものだった。意外なことに、北原白秋の朗詠の方がずっと一音一音を長く伸ばして、時代がかっていた。いや、もしかしてあれは、まさに 「歌っていた」 のかもしれない。

こうした古色蒼然さは、なんと昭和 20年代後半まで(私の生まれた頃だよ)残っているのだった。さすがに戦前のような、文語そのままをしゃべっているようなものではないが、なんとなく「よそ行き」「おすまし」口調なのである。ということは、人前でしゃべったり、録音したりするというのは、当時はかなり特別なことだったのだろう。

この番組のパーソナリティを務める小島慶子さんは、飛行機の CA や百貨店の店内アナウンスに、今でもその痕跡が色濃く残っていると指摘していた。なるほど。飛行機に乗ることや百貨店で買い物するのは、今でもほんのちょっとだけ「特別なこと」であるのかもしれない。

もっとも、それが特別なことと思っているのは航空会社や百貨店側だけで、今や客としてはその口調を「なんだか滑稽」と思ってしまうギャップが生じている。これなんか、文明論的におもしろい現象だと思う。

私が一番おもしろいと感じたのは、明治時代に日本で初めて録音されたという音盤シリーズの中に、外国人落語家、初代快楽亭ブラックの小話があったことだ。ノイズの中から辛うじて「~でやす」なんていう言葉が聞こえる程度のものだが、英国人とは思えないほどちゃんとした江戸っ子口調だった。

そして意外にも、一番古い音源なのに、一番現代的に聞こえるのである。それは「落語」という「口語の話芸」だからだと思う。二葉亭四迷が新時代にふさわしい言文一致の文体を模索している時、初代三遊亭圓朝の落語口演筆記を参考にしたというのは有名な話で、まさに 「さもありなん」 と思う。

演説など、人前で話すスタイルが文語から脱しきっていなかった当時、もとより口語のスタイルだった落語が、最も現代的だったというのは、ある意味で当然だった。しかも、外国人である快楽亭ブラックであるからこそ、江戸の口語を客観的にモダンに演じることができたのかもしれないという気がする。

というわけで、本日夕方 6時からの TBS ラジオを聞かなかった人は、人生においてちょっとだけ損をしたといってもいいかもしれないよ。

 

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コメント

>広沢虎三の 『清水次郎長伝』 (石松三十石船の件) などの SP があったなあ。
>あれ、どこに捨てられてしまったんだろう。
>もったいない。

わ!わ!わ!我が家にもありました~
私が小学校1年生のころ聴いたのは
「国定忠治」で、
最後のフレーズが
「安堵の吐息が漏れていたぁ~」でした。
あららん、懐かしいな~~

投稿: tokiko68 | 2011年9月 4日 09:10

tokiko68 さん:

>私が小学校1年生のころ聴いたのは
>「国定忠治」で、
>最後のフレーズが
>「安堵の吐息が漏れていたぁ~」でした。

よくまあ、覚えていらっしゃる。

でも、それは途中のフレーズで、
(なにしろ SP 盤は短いのでぶつ切りになっているはず)
本当の最後は、
「ちょうど時間となりましたぁ」
のはずだと思います (^o^)

投稿: tak | 2011年9月 4日 13:10

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