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2011年9月15日

「道後」ってどういう意味なのか、やっとわかった

昨日四国の松山から帰ってきた。松山も暑かったが、関東も暑い。どうやら週末までは厳しい残暑が続くようだ。

松山では道後温泉でゆったりしてきたわけだが、この「道後」という言葉の由来について、なんだかわけのわからない気がしていた。古い地名で「前」だの「中」だの「後」だのが付くのは、「越前/越中/越後」 「備前/備中/備後」「肥前/肥後」など、旧国名で、都に近い方から、前 - 中 - 後と分かれていったのが由来である。

古く「越(こし)の国」と言ったところが、越前・越中・越後(今の福井東部、富山、新潟)に別れ、同様に「吉備(きび)の国」 が備前・備中・備後(今の岡山東部、岡山西部、広島東部)、「肥(ひ)の国」が肥前_肥後 (今の佐賀・長崎、熊本) に分けられた。ところが愛媛県は古くは「伊予の国」と言ったので、「道後」といってもそれに対応する旧国名がない。

これについて、道後公園の案内係で、「この辺の歴史のことなら、知らんことはないぞなもし」といった風情のおじさんに訊ねたところ、とても親切に教えてくれた。

大化の改新後、今治(あのおじさん、「いまばる」 と発音していて、なかなかいい感じだった)の辺りに伊予の国の国府が置かれたが、一般的には国府付近を「道中」といい、それより都に近いところが「道前」、遠いところが「道後」となるのだそうだ。そして後に、今の道後温泉のあるあたりのみを指して「道後」と称するようになったのだという。

それだけ今の道後は、温泉も湧いたし、鎌倉時代から安土桃山時代まで伊予の国を支配した河野一族の「湯築城」という城もあって、松山市の中心とは別個の発展を遂げた重要な土地だったということらしい。加藤嘉明が松山城の築城を開始したのは、関ヶ原の合戦以後のことだから、むしろ道後の地域の方が、先に発展したもののようなのである。

つまり、今はどちらも松山市だが、昔は別の土地だったのだ。なるほど、だから文化の薫り高い松山中心地と、どこかじゃらじゃらした道後温泉の辺りは、雰囲気的にもずいぶん違っているわけなのだね。

まあ、こんなことは地元の人には当然の常識なのだろうが、こちらは何しろ東北生まれの関東住まいだから、今回初めて知ったわけなのである。

ただ私はなにしろ、こういうことにはなかなかしつこいので、「じゃあ、日本全国に国府があったのに、どうして『道後』の地名は松山にしか残ってないんだ?」 と疑問に思いながら帰ってきたのである。そして今日、ググってみたのだけれど、現存する地名としては愛媛県松山市にある「道後」関連以外は見つけることができなかった。

ただ、「imajouの独り言」というサイトにおもしろい記述が見つかった(参照)。ちょっと長くなるが引用させていただく。

道前・道後の地名は、中世の史料によると多くの地域で使われていたことが確認でき、愛媛県では道後の地名が今に残り、中でも道後温泉の名は全国に知られている。道前の名は秋田、愛知、福島、宮城、岩手県などに残っている。

(中略) 15世紀の史料では、神崎庄(現在は伊予市内)や浮穴郡太田(現在喜田郡内子町小田)が道後と認識されていたことが判り、この時代には道後はまだ広域地名であったことが確認できる。

16世紀中頃になると、湯築城や道後温泉周辺を指す用例が散見されるようになる。また、河野氏やその権力体を指し示す用例が確認できるとのことで、広域地名であった道後が、政治・経済の中心である現在の道後を指す地名に変遷して行ったと見られる。

imajou さんがこの情報を仕入れたのは、"平成 21年度湯築城資料館企画展「道後の由来」" だったようだ。ふ~む、これって、前述の道後公園の中の資料館である。あの案内係のおじさん、どうやらただ者ではないのだな。道理でなんでも知ってると思った。

いずれにしても、国府付近の都より遠い地域を指す一般名詞に近い広域地名だったものが、愛媛県の松山付近において、だんだんと範囲を狭めて固有名詞化したもののようなのである。

一応もっと調べてみると、広島県にはつつじの名所「道後山」があり、伊勢では「北伊勢 3郡(員弁・三重・朝明)を道前三郡、元からの神三郡を道後三郡と呼ぶ場合もある」という (参照)。

また、『古代交通研究』 第 13号(参照)には、「下総国の諸郡を道前,道後で捉えた場合、道前は葛飾,千葉,印幡,匝搓,海上,香取,埴生、道後は相馬,猨島,結城,豊田となり (後略)」 という記述がある。この場合は、道前、道後というのは、まさに一般名詞である。

このように、ほとんど一般名詞だった 「道後」 が愛媛県において固有の地名となったのは、その辺りが重要な地域となったからだと思われる。他の国では国府より先の地域は辺境につらなるので、どこまでも広域地名的な漠然とした言い方になるわけだが、伊予の国では様子が違っていた。

たまたま、国府の置かれた今治よりも、今の道後温泉のあるあたりが政治経済的に中心となってしまったので、固有名詞化してしまったのだろう。この特殊性により、この地域においては広域地名的にも 「道前・道後」 という区分が今でも明確にあり、「道前道後水利総合開発事業」なんていうのがあったりする。

なるほど、こうした「道」というコンセプトがあったからこそ、「北海道」という地名もできたんだろうなあと思いあたった。

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コメント

お早うございます。今朝の新聞を読んでいて愛媛県の記事が出ていて「道後」が出ていました。今まで何も疑問に思ったことはなかったのですが、ふと調べてみようと思いいろいろ当たりました。貴殿の記事が大変興味深く書かれていました。初めて知ったことが多かったです。有難うございました。三重県 71歳 男性

投稿: 田淵勝 | 2015年9月 7日 04:19

田淵勝 さん:

お役に立てて幸いです。

「道後」というのはさりげない地名ですが、一度疑問に思うと 「こりゃ一体、何だ?」 と思わせるに十分ですよね。

投稿: tak | 2015年9月 8日 21:33

今治より京寄りに道前というのは聞いたことがないです。
昔(今もあるのかしら?)、松山の横河原あたりに道前温泉というのがあったけど、地元では あのへんを道前と言うのでしょうか?

投稿: バリイ | 2015年10月11日 20:29

バリイ さん:

>今治より京寄りに道前というのは聞いたことがないです。

旧周桑郡(丹原町、東予市)の辺りを、「道前平野」 と称するようですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/道前平野

伊予国で 、「道後」 に対する 「道前」 というのは、この辺りのことと考えられたのでしょうね。まあ、今治よりは都寄りです。

記事本文で触れた 「imajouの独り言」 というページにも、「愛媛県の道前・道後は高縄山を境としていたらしい」 とあり、それと矛盾しません。

そして「横河原」 も、この 「道前エリア」 の端っこと考えられたのでしょう。

投稿: tak | 2015年10月11日 22:16

愛媛で生まれ育ち、今は栃木在住ですが、まもなく56歳になろうかという今日になって初めて、道後の「道」の意味を知りたくなり、ここに辿り着きました。
一般には道後が有名で道前はあまり馴染みがないようですが、旧周桑郡や西条のあたりではわりと馴染みのある言葉です。
私の母校、西条高校の同窓会は「道前会」という名称です。
学校の正門である大手門をくぐると、右手には道前会館があります。(たぶん今もあるはずです。)
高校に入学した際には「輝け道前の群像」なる書物が配布され、感想文を書かされた記憶があります。
友人の経営する運送屋さんは「道前運送」ですし、「道前平野土地改良区」なる組織もあります。
というわけで、一般にはあまり知られていない「道前」ですが、地元ではわりと馴染みのある名称であるという情報提供でした。

投稿: さとた | 2022年7月11日 09:48

さとた さん:

おお、西条の辺りでは「道前」は今でもしっかりと生きた言葉なのですね。

西条市には行ったことがあり、知り合いもいるのですが、これは初めて知りました。

ありがとうございました。

投稿: tak | 2022年7月11日 11:05

道の意味が良く解りました。
ありがとうございました。
周桑郡丹原町に親戚があり、地名が
湯谷口で道前渓とゆう温泉場があったのを
思い出しました。

投稿: 木村幹夫 | 2022年8月 5日 12:00

木村幹夫 さん:

コメントありがとうございます。

「道」というのは、地名レベルでは案外生きているのですね。

投稿: tak | 2022年8月 5日 23:21

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