スティーブ・ジョブズに捧げる記事 その2
亡くなったスティーブ・ジョブズは、仏教徒だったのだという。禅に傾倒していたらしい。彼の価値観の根底にはカウンター・カルチャーがあったのだろう。プレゼンテーションにボブ・ディランの詩を引用したり、ビートルズのアルバム写真を使ったりしていたことからも、それがうかがわれる。
IT で生きてきたのだから論理を重視しないわけはないが、究極的には論理よりも直観を信じるタイプだったんだろう。道理で彼の開発したデバイスやコンセプトに惹かれるわけである。気が合いそうなのだもの。ああ、最初に買った PC が Windows マシンだったというのは、私にとって痛恨だった。Mac にしておけばよかった。
iPhone や iPad を日頃使い続けていると、「論理よりも直観」というコンセプトの心地よさを感じるのである。近頃報道される Windows 8 とやらにうんざりしてしまうのは、MS の開発コンセプトが、元々自分には微妙に合わないものだったんだけれど、そのギャップがますます大きくなりつつあるのを感じるからだ。
Windows 8 では「メトロ」とかいうタッチパネル式にかなりシフトしたユーザー・インターフェイスが採用されるらしく、その点では Apple 寄りになっているようにも思えるが、どうみてもデスクトップに情報を詰め込みすぎだ(参照)。情報はあればあるほどいいだろうと思っているのかもしれないが、あれでは起動した途端にうんざりではないか。
MS Office 2007 以降のユーザー・インターフェイスをみても、ちっとも使いやすくない。MS としては、「こう変えた方が使いやすいはず」と、かなり「論理的」に思っていたのだろうが、それが「人間の直観」とずれているから、いつも戸惑ってしまうのだ。彼らの考える「効率」というものは、大抵の場合、「心地よさ」と一致しないのである。
だから、あれほどまでに使いにくいのだ。フツーのオッサンやオバサンが、何度教えてあげても操作を覚えられないのは、Windows の世界が、「IT の論理」 に従属しないと渡れない世界だからである。「人間の直観」から、いつもずれているのだ。
私は面倒くさいのは死ぬほど嫌だが、効率の奴隷になんかなりたくない。効率を追いすぎると、かえってその前段階の手続きが、死ぬほど面倒くさいのである。
iPhone や iPad を使っていると、「IT の論理」を「人間の直観」に近づけようとする意志が感じられる。効率とか論理とかいう視点からみると「なんでこんなことをするんだろう」というような、ちょっとした操作感が、実は人間の直観にマッチするから、使っていて心地良いというようなところがある。
その意味では、PC というデバイスはその初期においてはかなり Apple 的なものであったのだが、途中から極端に MS 的なものに変質してしまったのだろうと思う。初期の Apple のコンセプトは、むしろ iPad においてより高度に体現されているような気がするのである。
パソコンの世界に、意に反して MS-DOS と Windows で入ってしまった私に、死ぬ前に iPad というデバイスを提供してくれたスティーブ・ジョブズは、やはり私の友達である。
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コメント
いつも、いつもtak-shonaiさんが
スティーブ・ジョブズさんのことを持ち上げるから
私まで、夢に見るような気分になってます。
あああ、
何故
私は、windows98から入ってしまったのでしょう
投稿: tokiko68 | 2011年10月14日 18:36
ですから、
スティーブ・ジョブズさんが亡くなったというニュースを
知った時、
まるで、心の友を失ったような錯覚に陥って、
悲しい気分になりましたよ。
つい、
ちょっと前まで、
名前も知らなかったのにね。
影響を受けやすい性格だこと!ほんと。(≧∇≦)
投稿: tokiko68 | 2011年10月14日 18:40
tokiko68 さん:
私自身、元々 「Mac ユーザーであるべきだった」 とは思っていても、こんなにも Steve Jobs に共感を覚えるとは、iPhone と iPad を使い始めるまで思いませんでした。
スタンフォード大学でのスピーチも、リアルタイムで (じゃないか、スピーチ後のニュースで)、英文で読んだんですが、 そんなに感動した記憶もないんですよね。
彼の偉大さは、やっぱり彼の残したデバイスを使うことで最もよくわかります。
Apple の残党は、「こんな時、スティーブならどうしただろうか?」 と考えながらやってもらいたいです。
投稿: tak | 2011年10月14日 20:32