2人の 「担任の先生」 の思い出
今日の TBS ラジオ「安住紳一郎の日曜天国」の聴取者からのメッセージ・テーマは、「担任の先生」というものだった。聞いていると、先生に関していろいろな思い出をもった人がいるものである。小学校 4年生の時の担任の先生が、「本日、千代の富士関が引退されました」と号泣したので引いてしまったという人がいた。そりゃ、引くだろうなあ。
「担任の先生」といえば、私にも忘れられない人がいる。それは中学 2年と 3年の時の、2人の担任である。まあ、あれほど対照的なキャラの教師はいないだろう。
中学 2年の時の担任は I という女教師だった。彼女は本名で呼ばれることは滅多になく、その特異な容貌からの連想により、某インスタントラーメン・メーカーの社名からとったあだ名を付けられていたが、それが何だったかは、彼女の名誉のためにここには書かない。
彼女はヒステリックなまでの真面目人間で、生徒が何か逆らったり不始末をしでかしたりすると、残酷なまでにとことん追求し、罰を与えるという、一種の恐怖政治のような学級運営をした。結構な悪童でも、あれだけヒステリックに出られると、恐れてしまうものだということに、私は驚いた。
彼女の「とことん追求」があまりにも理不尽な場合に言い返せるのは、クラスの中では私ともう一人の女子しかいなかった。さらにあまりにひどいときには。私は論理でとことん言い負かすことまでできたから、個人的にはただ、「うっとうしい担任に巡り会ってしまったなあ」と思うばかりだったが、友人の中にはトラウマになるまで萎縮したやつもいる。
中学 2年の 3学期が終わって春休みに入る前に、彼女はクラス全員に、ガリ版刷りの「春休みの勉強予定表」なる紙を渡した。春休み中、何日に何の科目の勉強をするか、その予定をびっしりと記入して提出しろと言う。予定表にはご丁寧なことに、きちんと実行したら○印を付ける欄まである。
そんなものを書いても、どうせその通りに実行できるはずがないのだから、まったく無駄なことと思ったが、そこはそれ、些細なことで逆らうのも面倒だから、1日ごとに英語、国語、数学、社会、理科を順番に書いてざっと仕上げ、提出しておいた。
終業式の日に、彼女はチェック済みの予定表をクラス全員に返し、きちんと実行したかどうか、その結果を記入して、3年生になった始業式の日に再び提出するようにと厳命した。しかしなぜか、私の予定表だけは返されず、後で職員室に来いという。
職員室に行くと「こんな大雑把でいい加減な予定表を書いたのはお前だけだ」と責められ、その日のうちにきちんと書き直して再提出するように求められた。
どう書き直せばいいのかと訊ねると、1日に 1科目だけの勉強では足りないから、きちんと時間を区切り、何時から何時までは何の科目の教科書の何ページから何ページというように、細かく具体的に記入しろというのである。
私はそこでぶち切れた。「どうせ守れるはずもない予定表なんてものを書くのにそんな無駄な時間をかけて、勉強をつまらなくするような行為は、断固拒否する。春休みなんだから、その日その日でやりたいようにやる」と宣言したのである。まあ、春休みにそんなにまでしてガリ勉しなくても、私はクラスで楽々トップだったということもあったしね。
彼女は激怒して「先生の言うことをきけないというのか!」と怒鳴る。「きけないのじゃなくて、きかないのだ」と言い返し、予定表は受け取らずに、そのままさっさと帰ってきた。どうせ終業式は終わったのだし、せっかくの楽しい春休みを前にして、ヒステリー女に関わっている暇はない。
春休みが終わり、中学 3年生になった始業式で、私たちはあの女教師 I が結婚のために退職し、担任は新たに赴任した K という美術専門の男性教師に代わったと聞かされた。わずか1月たらずの間に急に寿退職なんて、信じられない話である。私たちは唖然とし、同時に彼女の結婚相手は世界一気の毒な男だと、心から同情した。
新学年最初のホームルームの時、クラスの生徒たちは、I に書かされた勉強予定表に○や×の結果を付けたものを、律儀にも提出した。多くの生徒の予定表の結果欄は ○印のオンパレードである。一日中私と一緒に遊び呆けていたくせに、まったくもう、ウソばっかりだ。
提出された紙を見て、新担任 K は、「これは一体、何だ?」と聞いた。前期からクラス委員をしていた生徒が「前の担任の I 先生から春休み中に書くように言われていたので、提出しました」と答える。
私は正直に 「僕は書くのを拒否したので、提出できません」と言うと、彼は「そうか」と答え、次の瞬間、「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てるように言って、その紙の束をくずかごに放り込んだ。この瞬間、彼はクラス全員の心をつかんだ。私はクラスがやっとまともになったと思った。
新担任の K 先生はもろに本音で生徒と接してくれる人で、生徒にとても慕われたが、やはりあの型破りすぎるキャラでは、学校という組織の中でうまくやっていけるはずもなく、数年後に退職したと聞いた。専門の画家になったらしく、インターネットで彼の名前を検索すると、美術関係のサイトに載っているのを時々見かける。逢いたいなあ。
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コメント
私(30代後半)が子どもの頃は、今のように教師が大人しくはなく、言動も行動も理不尽な先生が結構いました。
それが許される世の中だったのだな…と懐かしいような思いに浸ってます。
投稿: shun | 2011年10月 9日 17:56
shun さん:
>私(30代後半)が子どもの頃は、今のように教師が大人しくはなく、言動も行動も理不尽な先生が結構いました。
理不尽でも、愛情の感じられる理不尽だったら構わないんですが、この記事に登場した I という女教師のように単なるヒステリックな理不尽では、生徒が萎縮して可愛そうでした。
私は全然萎縮せずに果敢に論理で反撃 (I の自己矛盾を明確に暴き出してとことん追求) して、さしものヒステリー理不尽女教師が泣いてしまうまで追いつめたこともあり、ある意味では大いに鍛えられたので、いい経験になったとも言えますが。
投稿: tak | 2011年10月 9日 21:49
残念ながら理不尽さに愛情…は感じられませんでしたが、人間らしい愛嬌はあったような気もします。
ヒステリックは嫌ですね。きっと誰にとっても付き合いきれないタイプだったのでは…。
多分職員室では、心の中でtakさんに拍手していた同僚教師も多かっことでしょう(笑)
投稿: shun | 2011年10月 9日 22:00
私の小5の時の女の担任もひどいものでした。
ヒステリー持ちでえこひいきがひどく、私なんかひどく嫌われていました。ある日、校外で下級生が暴行された事件がありましたが、まったく根拠がないのに、君がやったんだろうと30分も詰問されました。疑いが晴れた後もまったく謝罪の言葉もなく、ひどくくやしい思いをしたものです。6年になってクラス替えがありましたが、また同じ教師が担任になってしまい悪夢でした。
授業内容もあとから考えるとひどいものでした。
卒業後しばらくして、その女教師が他界したことを知りましたが、なんの感情も沸きませんでした。
教師不適格者をスクリーニングし解雇する制度ってないもんだろうかとつくづく思います。
投稿: ハマッコー | 2011年10月 9日 23:35
shun さん:
>多分職員室では、心の中でtakさんに拍手していた同僚教師も多かっことでしょう(笑)
確かに、私の I に対する反抗は、全校的にはほぼ公認状態で、他の教師は見て見ぬふりをしてくれていたように思います。
なにしろ、いつも私の方がずっと冷静だったので、廻りとしては怒りようがない (^o^)
投稿: tak | 2011年10月10日 12:17
ハマッコー さん:
>教師不適格者をスクリーニングし解雇する制度ってないもんだろうかとつくづく思います。
本当にそうですね。
ひどい教師にひどい扱いを受けた子は、後々までトラウマを抱えかねません。
公害と言ってもいいかもしれません。
投稿: tak | 2011年10月10日 19:02
小学3年のときの担任を思い出します。「怖い先生」と評判の男の教師で、4月の始業式で担任が発表されて、親によれば、帰宅した私の顔は青ざめていたそうです。
噂どおり、体罰は多いわ、生徒にある意味屈辱的なあだ名はつけてからかうわ(私は短足だったので……って今でもそれは変わりませんが、ダックスと呼ばれてました)、ひどい教師でした。
後年、たぶん体罰が理由だったと思うんですが、親たちの突き上げを食らって、辞めたか別の学校に転勤させられたという話を聞きました。
でも、(私も含め)当時の生徒からは、怖がられつつも慕われていたように思えてなりません。ある意味、管理教育とは対極の豪快な人だったし、体罰も目つきは怖いけど実際にはそんなに痛くないとか、そういう感じだったんですよね…。真剣に嫌っていた生徒もいたんだろうけど…。
投稿: 山辺響 | 2011年10月11日 18:19
山辺響 さん:
体罰=絶対悪とは言い切れないと、私も思っています。
要は、愛があるかどうかですね。
体罰より無関心の方がひどい仕打ちだと思います。
投稿: tak | 2011年10月11日 19:49
小・中学校ではよくあった「先生の分の給食は生徒が用意する」ルール。
小学校低学年の頃のある担任のマイルールは更に細かく「先生の給食は生徒の誰よりも早く用意されて然るべきだ」というものでした。
生徒を監督しなければならない先生の為に、というのは分かるのですが、うっかり後回しになってしまった時の暴れようが凄かったです。
大の大人がそんな事で生徒の机を投げるのはやめて頂きたい。
ちなみに女性です。(女性のヒステリックのは、時に男性の暴力よりも恐ろしいという事を早い時期に学んでしまいました)
他の校区では部活の監督中、気に入らない事があると女子生徒にボールをぶつけまくる(しかもバスケット部)愛の無い名物体罰教師がいたり、賄賂が黙認されていたり、転勤もなく10年程居座っていたりしたそうです。
田舎なもので、どうも問題教師の飛ばされ先に指定されているような感がありました。きっと現在も似たようなものかと。
社会のスタンダードに疎い田舎だからこそ、常識的な教師を送ってもらいたいものです…
投稿: 抹茶 | 2011年10月12日 09:02
抹茶 さん:
そりゃまた、想像を絶するひどさですね。
今だったら、父兄から突き上げられて、大変なことになりそう。
投稿: tak | 2011年10月12日 21:51
直接のクラス担任に当たったことはありませんが、個性的な先生と言うことなら、高校の時に尾崎豊に傾倒してた先生がいましたねぇ。
休みの日には公園とかで路上コンサートやってたりしたそうです。
転任になる最後の挨拶でも、壇上にギター持ってきて一曲歌っていきました。
とても面白くて生徒の人気もあったのですが、かなり型破りでしたね。
私自身の担任と言えば、私は先生から気に入られやすいタイプだったらしく、あまり外れな先生に当たった記憶がありません。
しかし後になって同窓会などで噂に聞くと、えこひいきがひどかったなどの評価が多い先生もいて、私はひいきされてる側だから「いい先生」と感じてたのかなあ、などと思い返すこともありました。
投稿: 風花 | 2011年10月13日 08:53
風花 さん:
型破りな先生は、いいですね。私は 「○○らしくない○○」 という人に惹かれます。
「先生らしくない先生」 とか 「政治家らしくない政治家」 とか。
いずれにしても、ひどい教師の被害に遭われなかったのはなによりです。
投稿: tak | 2011年10月13日 09:43
こんばんは~
tak-shonaiさん
かっこいい~~~~~~~!!!!!!!
くやしいな~
私の時代では、子供が、そういう態度をとることは
世間には、まだ、常識として皆無でした。
中学3年生、高校生1年生になったころから、
出てきましたね。
さすがに
頭の切れる男の子。
2人
しっています。
ひとりは、
大人になってから、弁護士になり
もうひとりは、雑誌社のデスクになりました。
う~~む。
tak-shonaiさん
おそるべし!
投稿: tokiko68 | 2011年10月13日 19:57
tokiko68 さん:
>私の時代では、子供が、そういう態度をとることは
>世間には、まだ、常識として皆無でした。
朱鷺子さんは、もっと上手にやり過ごしていたんじゃないでしょうか (^o^)
投稿: tak | 2011年10月14日 16:45
tak-shonaiさん
私は、ずっとひいきされる少女だったが
中学生の時
ひいきされるのが嫌になった。
ですから
徹底的に反抗しました。
とうとう答案を白紙で出すという挙に出た。
ついに、私が担任を
大きらいだというメッセージが彼に伝わった。
その先生は真面目で、教育熱心で、ハンサムで、
すばらしい科学の先生だったが
私はひいきされて
ひどく、ひどく、嫌だったんだ===!!!
ああ、
言ってしまった。
投稿: tokiko68 | 2011年10月14日 17:54
tokiko68 さん:
それって、初めて聞きましたよね。
ストレートで複雑で、聞いてみるとなんだかすごく朱鷺子さんらしいエピソードのようで、それで、その教師がちょっと気の毒で……。
投稿: tak | 2011年10月14日 18:22