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2011年10月29日

ああ、ゴチャゴチャ言わずに電子書籍化してもらいたいなあ

"「こんなの論外だ!」アマゾンの契約書に激怒する出版社員 国内130社に電子書籍化を迫る" という記事が BLOGOS の記事が話題になっている。記事の内容は、アマゾンが日本の出版業界にとっては到底受け入れがたい横暴な条件で、電子書籍化を要求しているというものだ。

それに対して、日本の出版業界はかなり反発していて、アマゾンのもくろむ日本の出版業界への電子書籍での参入は、当面大きな抵抗に阻まれることが予想されるというのである。

私は出版業界の中身については全然詳しくないので、かなり安易な立場からかもしれないということを十分に自覚しながらも、「消費者の立場から」という「伝家の宝刀」的な言い方をさせてもらうとすれば、「難しい話はどうでもいいから、日本もさっさと電子書籍化を進めてくれよ」 ということになる。

出版業界の現状は、これまでの「紙の媒体で売る」というビジネスモデルに最適化しているのは当然だから、電子書籍化なんてことはしたくないのだろう。しかし、全ての消費者とは言わないし、圧倒的多くの消費者ですらないかもしれないので、ここでは慎重に「少なからぬ消費者によって」ということにしておくが、電子書籍化は確実に望まれている。

私は自分の部屋の書棚にぎっしりと収納された本を見るに付け、「ああ、これが小さなハードディスク(あるいは別のデジタル・メディアでもいい)に入ったら、なんと楽だろう」とため息をつく。

先日の東日本大震災では、書棚の本がガラガラに崩れ落ちて、それをきちんと系統立てて収納しなおすのにかなりの手間がかかった。これが例えば、iPad の中に入っていて、それがどっかのクラウドにバックアップされているのだとしたら、余計な力仕事はせずに済んだのだ。

もちろん、電子書籍に向かない出版物もある。例えば現状での地図、図鑑などだ。紙の媒体としての地図や図鑑は、パラパラとめくれる利便性において、電子書籍に勝る。しかし検索と表示の手法が進化すれば、これらもデジタルの方が有利になるかもしれない。

ごくフツーのテキスト中心の書籍ならば、電子書籍の方がずっと有利だ。もちろん、読みやすさで言えば紙の媒体の方が上回るかもしれないが、「モノ」 としての取り扱いのしやすさということまで考えれば、デジタルの圧倒的勝利である。

読みたい時にさっとダウンロードして、読み終われば収納にスペースをとらず、読み返したくなれば、いつでも即座に取り出すことができる。

日本での電子書籍化にあたっての最大の問題点は、市場の規模ということだろう。

英語の書籍ならば、ほとんど全世界を相手にすることができるが、日本語書籍の市場は人口 1億 2000万ほどの日本国内にほぼ限られる。しかも、その中で電子書籍を読むことのできるデバイスを持っている人口は、まだまだ多くない。

その上、この国では「本は紙の媒体で持ちたい」という伝統的(?)消費者が少なくないので、電子書籍の可能性は未知数だ。そんな市場を相手にするのは、リスクが大きいだろう。

その辺のショッピング・センターの、大規模でない書店の品揃えをみると、日本の書籍市場の中身が推定できる。よく売れる本というのは、その時々のベストセラーと、メジャーな雑誌と、コミックだけだ。ちなみにコミックは一部で電子書籍化が進行中らしいが、私はあまり興味がないので、ここでは取り上げない。

一番問題なのは、私のようなタイプのちょっと物好きな消費者 (ここでは書籍の話だから 「読者」 と言う方がいいかもしれないが) にとっては、その辺の書店では買う本がないのである。というわけで、私のような読者が本を買うのは、都心に出た時に大型書店で本あさりをするか、目的の本が明確な時にアマゾンで注文するかしかないのだ。

もし日本市場で電子書籍化が進んだら、まずアマゾンなどで注文した時に、本が届くまで待つ必要がなくなる。注文したらその場でダウンロードできるのだから、すぐに読み始められる。さらに、大型書店でするしかなかった本あさりが、いつでもどこでも、手元のデバイスでできるようになる。

私のような読者が読みたい本の多くはテキスト中心だから、電子書籍化にはそれほどの手間がかからないだろう。どうせ今どきのことだから、印刷の前段階ではデジタル化されているはずなのである。

極端にいえば、編集段階での最終原稿をそのままテキスト・ファイルでダウンロードさせてもらってもいいと思うほどだ。こちらで勝手に読みやすいフォーマットに変換しちゃうから。それでは簡単にコピーされちゃうのが問題というなら、特殊処理をした PDF でもなんでもいい。

ベストセラーにはほど遠いような範疇の書籍ほど、紙の本のカタチにしない方がコスト的に有利なはずだ。在庫だって本のカタチにしない方がいいし、ロングテイル対応にしても簡単にできる。

だからあまり数が売れないような、よほどの物好きを対象としたものほど、紙の媒体とはせず、しかも電子書籍のフォーマットにすらとらわれずに PDF か何かで、ちゃちゃっと対応してもらいたいと思うのである。

ああ、ごちゃごちゃ言わずに、本は電子書籍でダウンロードするのが当然という世の中になってもらいたいものなのである。好事家向けの本までそうしろとは、もちろん言わないから。

 

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コメント

 ほぼ同意。

 印刷することや流通させるシステムに本来の本を出版する事の意義を求めすぎていると思う。紙だろうが電子出版だろうが原稿を受け取って編集して印刷原稿を作るところまでのシステム自体は殆ど変わらないと感じる。

 出版社は一体自分たちの仕事のうちの何が失われると恐れているんだろう?もちろん、出版社を通り越して著作者自身がamazonと契約するなんて事態も今後は生まれてくるのかもしれないけど。

 紙での印刷と流通の関係で絶版にしてしまってる過去の書籍はすべて電子化によって再度未知の読者に読まれる機会を与えられる。出版社が発行もしないくせに出版権を抱え込む事には、消費者も著作者もなんのメリットもないと思う。

 本が電子化されることで、音声データでの読書が可能になる。視覚障害者で、ボランティアの方たちの活躍により点字書籍や音声図書を利用している人も新刊本を手に入れられるようになる。

 眼疾と年齢のせいで細かい文字を読むのが限りなく辛いので電子書籍は個人的には大賛成なのだけど、日本ではなかなか進まないですねぇ。

投稿: きんめ | 2011年10月30日 11:31

同じ記事を読んで、少し違う視点で思っていたのでコメントさせていただきます。

媒体を、コンテンツが生まれる土壌として捉えたとき、現在のデジタルコンテンツというのは「在庫を抱えなくて良い」ということがデメリットにもなりうるのではと思います。

良い本が出来上がる為には、著者だけでなく、編集者や出版社の仕事ぶりの影響も大きいと思います。
在庫を抱えなければならないシステムの中で必死に、買ってもらえる本を編み出す仕事。時に著者と対立しながらも、そうして磨かれて出来上がった本は多いと思います。

デジタルコンテンツでは、在庫という一面ではリスクが無くなるため、本よりも「売ってみせるぜ」という意思が弱まるのではないでしょうか。また関わる仕事人は少なくて済み仕事の規模はコンパクトになっていくと思うのです。
これが仕事人とコンテンツの劣化を(一時的にかもしれませんが)招くのではと心配です。

Appleのやり方は、ここに対するイノベーションを含んでいることがありますが、
Amazonのやり方には、よい本が出来上がってくる環境についてのビジョンが抜けているのではと思いました。

投稿: ナカヤマ | 2011年10月30日 12:45

ナカヤマ さん:

>良い本が出来上がる為には、著者だけでなく、編集者や出版社の仕事ぶりの影響も大きいと思います。

こうしたプロセスが、一面では出版という仕事を過度に商業主義的な方向に走らせているのではないかと、私は危惧します。

>デジタルコンテンツでは、在庫という一面ではリスクが無くなるため、本よりも「売ってみせるぜ」という意思が弱まるのではないでしょうか。

ローリスクですから、そんなにシャカリキになって売って見せなくてもいいわけです。

逆にローリスクであるために、これまでは日の目を見ることもなかったような、非商業的な隠れた名作が世に出るということも期待できます。

私はこのメリットの方が大きいと考えます。

投稿: tak | 2011年10月30日 17:19

きんめ さん:

>本が電子化されることで、音声データでの読書が可能になる。視覚障害者で、ボランティアの方たちの活躍により点字書籍や音声図書を利用している人も新刊本を手に入れられるようになる。

これは気付いていませんでした。大きなメリットですね。

投稿: tak | 2011年10月30日 17:21

takさん、お返事いただきありがとうございます。

考えが深まりました。

「売ってみせるぜ」とだけ書いてしまったのですが、
信念を持って売るということは、根底では「自分が良いと思ってるものを、たくさんの同士に知ってほしいぜ」ということになるかと思います。
電子書籍がメインストリームではない現時点では、出版社/編集者、それぞれ違う考えをもった方々がそれぞれの得意技でそれをなす事が可能と思うのですが、

電子書籍がメインストリームになっても、時期や、ならべる棚、平積み、帯など(またそれに変わるいろんな手法)を、なんと言ったらいいか、みんなで醸成するようなシステムは継続していって欲しいなと思います。

そういう意味で、
やはり今のAmazonに、日本の書籍販売のメインストリームは担って欲しく無いですが。
(今日もAmazonの段ボール届いてますが)


takさんが本記事で述べられたように、
電子書籍化と平行して、書店というチャネルも新しい形に進化していけば、より楽しい未来になるのかもと思えてきました。

投稿: ナカヤマ | 2011年10月30日 22:44

ナカヤマ さん:

>「売ってみせるぜ」とだけ書いてしまったのですが、
>信念を持って売るということは、根底では「自分が良いと思ってるものを、たくさんの同士に知ってほしいぜ」ということになるかと思います。

それは理解できます。
私の前のレスは、ちょっと意地悪っぽい言い方になったかもしれません。
お詫びします。

>電子書籍がメインストリームになっても、時期や、ならべる棚、平積み、帯など(またそれに変わるいろんな手法)を、なんと言ったらいいか、みんなで醸成するようなシステムは継続していって欲しいなと思います。

音楽やビデオがそうであるように、書籍もしばらくは、ダウンロード販売と 「モノ」 としての店頭販売が平行していくことになると思います。

その過程でいろいろな試みが行われることは、楽しみですね。

投稿: tak | 2011年10月30日 23:19

電子書籍・紙の書籍とも、メリット・デメリットはたくさんあると思います。しかしデメリットを相殺する手段は各々いろいろあるように思われるし、結果的に棲み分けが生じて、紙の書籍・出版社が生き残る道も十分にあると思うのですが。

電子データで入手し、読んで気に入ったコンテンツを紙の「書籍」の形で残してくれる装幀ビジネスなんてのも出てきたら面白いなぁ。昔はあったようですよ、そういう商売が。昔といっても、近代以前のヨーロッパだったと思いますけど。

投稿: 山辺響 | 2011年10月31日 10:21

山辺響 さん:

>結果的に棲み分けが生じて、紙の書籍・出版社が生き残る道も十分にあると思うのですが。

私もそう思います。

>電子データで入手し、読んで気に入ったコンテンツを紙の「書籍」の形で残してくれる装幀ビジネスなんてのも出てきたら面白いなぁ。

同じ本でも、持ち主のカスタマイズによって装幀が違うなんていうのは、おもしろいかもしれませんね。

投稿: tak | 2011年10月31日 20:09

私は山辺響さんと逆に、読み終わったら電子化できるようなパッケージを希望です。
始めから電化されていると、買っても読まないで終わってしまうような予感がするんです。やはり物理的に積みあがってプレッシャーをかけられないと(笑)。

投稿: きっしー | 2011年11月 2日 15:42

きっしー さん:

>私は山辺響さんと逆に、読み終わったら電子化できるようなパッケージを希望です。

なるほど。
読むまでは物理的プレッシャーをかけてきて、用が済んだら姿は消してしまうということですね。

読み終わったモノとしての本は、やっぱり古本屋に行くのでしょうか (^o^)

投稿: tak | 2011年11月 2日 20:49

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