葬儀を終えて
昨日、父の葬儀を執り行い、火葬し、その後にすぐ初七日、四十九日の法要をして、なおらいの食事会をした。朝から夕方までびっしりの長丁場で、さすがに疲れた。そして一夜明けても葬式の後始末に追われ、なかなかゆっくり休ませてもらうことができない。
田舎の葬式というのは、決まり事が多くてなかなか大変なものである。受付で渡す香典返しは、香典の金額によって品物のランクがある。私なんぞは、香典の金額によって渡す品物に差を付けるなんていうのは、かえって失礼なような気がするのだが、田舎では香典に 5,000円出しても 10,000円出しても、受け取る香典返しが同じというのは納得できないことらしい。
その他諸々、私からみればどうでもいいような些細なこだわりが多くて、「勘弁しておくれよ」 と言いたくなるが、「郷に入っては何とやら」で、まあ、言われた通りにこなしている。父はそうしたことにはちっともこだわらない人だったので、苦笑いしているかもしれない。
私が死ぬ頃には、もう少しゆるやかになって、些細なことはなくなっていてもらいたいものである。
ところで酒田の火葬場では、鶴の湯のおばさんを焼いてくれたおじさんの姿は見当たらなかった。
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コメント
喪主として初七日までの取り仕切り本当にお疲れさまでした。
男兄弟二人の弟である私の個人的な経験談ですが、
三年前の一月に長患いの母親が永眠しました。
父親が喪主となりましたが高齢なので兄が補佐をし、
父の指示で私が細々とした対応をいたしました。
二ヵ月後の三月に母の忌明けの諸行事をすると一緒に、
墓地を出身地から近場に改葬することを親戚一同に了承してもらい、
お寺さんとの手続きを兄を同伴して終えた直後に、
体調を崩してわずか十日ほどの入院で父が亡くなりました。
父の葬儀は、母と同じ会場、同じ葬儀社の担当者で、
二か月前の父の役割を兄が務めて私が補佐をしました。
頂戴したお花を並べる順番や、焼香の手順、車に乗る人の数と順番や、
火葬場までお見送りする人と残って次の支度をする人、
などなど前回の経験で兄と私が分担して行えました。
その後の法事で親戚一同が集まる度に、
不慣れな私達兄弟の為に両親が最後の教育をしてくれたのでは?
と一連の葬儀の話になります。
投稿: ちいくま | 2011年10月23日 17:42
ちいくま さん:
それはまた、大変でしたね。
と同時に、わずか 2ヶ月間に 2度の葬儀というのは、悲しみの連続ではあったでしょうが、記憶の新しいうちに済ませることができたわけでもありますね。
ウチの場合は、母の葬儀が 4年半前でしたので、あまり記憶が鮮明でなく、大変でした ^^;)
よくよくの近親のみの密葬や家族葬で済ませる人が増えてきたのも、無理からぬことという気がしました。
投稿: tak | 2011年10月23日 22:55
takさん、お疲れさまでした。
私の両親のときは、母が1月2日に亡くなり、親戚や葬儀屋さんと母の葬儀の打ち合わせをしている最中に父が倒れ、8日に亡くなりました。長子である姉が喪主を務めたはずですが、あまりにもバタバタしていたのでよく覚えていません。まぁまだ姉も私も学生でしたので、実質的には親戚が万事取り仕切ってくれたのだと思います。
ただ、寒かったことと、出前の寿司が続いて、「もう寿司はしばらくいいや」と贅沢なことを思ったのを覚えています。
投稿: 山辺響 | 2011年10月24日 09:41
山辺響 さん:
正月のうちにご両親が相次いで亡くなられるとは、とてつもなく大変でしたね。
まあ、こういうことはあまり慣れたりしたくはないものです。
投稿: tak | 2011年10月24日 12:51