明日は父の納骨式
父の納骨式が明日なので、今日、つくばの地を発って酒田に着いた。途中の道は今月初めよりずっと紅葉が進んでいる。
納骨式を控えているのに、実は今になっても父が死んだような気がしない。実家に帰ればいつものように、茶の間でお茶を飲んでいるような気がしている。そして実際に実家に着いてみると、そこにいないのが不思議だ。
四十九日が済むまでは、こんなようなものなのだろうか。
今日のところはこれにて。
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コメント
庄内 拓明様:
私も親父亡きあと実家にかえるたび
同じような感覚をもちました。
不思議ですが、今でも実家を思うと
親父がそこに居るような気がします。
いつか書いたかもしれませんが、故人
を思い起こすことがいい供養になると
いうことらしいです。
ご尊父のご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: jerjey | 2011年11月 7日 23:20
jerjey さん:
ありがとうございます。
やはり同じような感慨を持つ人は多いのでしょうね。
思い出すことができるうちは、死んではいないのだという人もいます。それも一理あるように思います。
投稿: tak | 2011年11月 8日 00:09
あるブログの「死んだらどうなるの?」という記事を思い起こしました。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52194249.html
(私のブラウザでは行間が詰まっていてひどく読みにくいのですが……)
私の場合、父母が死んでもう20年余りになりますが、今でもたまに夢に出てきます。たいていは夢のなかで叱られているような……(汗)
投稿: 山辺響 | 2011年11月 8日 11:42
山辺響 さん:
ご紹介の記事の内容、なかなか納得です。
(私はコピーして Word の行間 1.5行 表示で読みました ^^;)
さらに、すぐそばにいて見守ってくれているという実感すらもあり、それをあえて否定する必要もないと思っています。
投稿: tak | 2011年11月 8日 21:13
お父様のこと、いつコメントを残させていただこうかと思いながら、今日になりました。
この度はお悔やみ申し上げます。
庄内拓明さんのサイトには、もう何年前からでしょうか、毎日とはなりませんが、拝見させていただいております。
時の流れ、季節の移り変わりを感じつつ、色んな想いを巡らせ、またときにそれゆえの悲しささえ感じながら。
誰もが経験する、親を失ったときの悲しみに、私は耐えられるのだろうかと、今でも空を見上げてしまうのです。せめて私に子供でもいればと思うのですが、その悲しみや孤独感というものは、想像すらつきません。
それでも、庄内拓明さんの記事や他の方々のコメントを拝見し、ああ、そういうものなのかと、心の準備ができていくような気がしています。
ありがとうございます。
投稿: コロ | 2011年11月 8日 22:43