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2011年11月15日

TPP 交渉のごたごた

日米首脳会談での野田首相の TPP に関する発言について、日米での解釈の違いが問題になっている。のっけからこうでは、これから先が思いやられる。

Asahi.com の記事によると、"野田首相は、重要品目に配慮しつつ、全品目を自由化交渉の対象にする、とした昨年の政府方針に言及。「この基本方針に基づき、ハイレベルな経済連携を目指す」という内容の発言をした" ということになっている。

同記事では、ホワイトハウス側は "野田首相が、全品目を自由化交渉の対象にするとした「基本方針」に直接言及していることから、発表文の趣旨は正確と判断しているとみられる" としている。

これだけみると、残念ながらホワイトハウス側の解釈の方がより論理的に自然で、野田首相の発言はかなり言葉足らずだったと言われても仕方がないように思う。野田首相の、自らは多くを語らず、調整型の手法に徹するという手法が、外交の場では無力であるどころか、誤解を生じ、国益を損なうということを物語るものだ。

米国の発表にある野田総理のコメントの "put all goods, as well as services, on the negotiating table"(すべての商品とサービスを交渉のテーブルに載せる)というのは、別に特別なことではない。それどころか、むしろ TPP の当然の前提である。

この当然の前提を認めたくなかったならば、野田総理は非常に慎重に言葉を選んで、我が国の要求する特殊な条件を強調しておかなければならなかった。それをしたら角が立つと思ったのか (というより、まだ明確に言えるような段階じゃなかったからだろうが)、曖昧に「ハイレベルな経済連携を目指す」などと言ってしまったのなら、米国にあのような発表の仕方をされても仕方がない。

言うまでもないことだが、米国の解釈は論理的に自然とはいえ、あえてそうしたブリーフィングにして発表してしまったという点では、やはり恣意的で、強引ということもできる。ただ、そうした恣意的で強引な発表をされてしまうような言い方をしてしまったというのは、やはり野田総理のチョンボだ。

TPP は、交渉のテーブルに着く前の段階で、既にボコボコにパンチを食らい始めている。

だが、だからといって TPP に参加するのが間違いだとは言えない。一種のプチ鎖国状態を維持して、そのツケを払うことを延々と先延ばしにするのは、得策ではないだろうと、私は思っている。何しろ将来的にサービスが完全自由化されても、我が国には「日本語」という最強の非関税障壁だってある。

TPP 交渉の席に着くことは、我が国のとても稚拙な外交をレベルアップするための、実践的トレーニングになるのではないかとすら思うほどだ。

 

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