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2011年11月20日

「おいしい生活」 の質的変化

2000年ぐらいまで日本のライフスタイル産業をリードしてきた知人が、「もう魅力を感じる広告はない」と言いだした。「広告は 『おいしい生活。』で終わっちゃった」と言うのである。「おいしい生活。」というのは、糸井重里氏が西武百貨店のためにつくった伝説のコピーで、 1982年から翌年まで 2年間使用された。

この「おいしい生活。」に先立ち、糸井重里氏は「じぶん、新発見。」(1980年)、「不思議、大好き。」(1981年)という魅力的なコピーを発表している。そしてそれ以後の西武百貨店向けには、「おいしい生活。」を超えるようなコピーは、はっきり言ってない。これは、私だけの独断ではなく、誰が見たってそう思うだろう。

「うれしいね、サッちゃん。」「狩人か。旅人か。」(1984年)、「情熱発電所」(1985年)、「元禄ルネッサンス」(1986年)、「じゃない。」(1987年)、「ほしいものが、ほしいわ。」(1988年)、「より道主義だ。」(1989年)……。

そして 「いいにおいがします。」(1990年)を最後に彼は西武百貨店の仕事から離れ、そして今は、コピーライターという仕事からさえ離れているように見える。

1987年の 「じゃない。」というコピーには、かろうじて何か感じるものがあったが、最後に近い頃の西武百貨店の広告は、「商品の包み方が一番上手な百貨店になります」なんていう言葉が続いていた。「なんじゃ、そりゃ !?」である。「ああ、完全に終わったな」という感じがしたものである。その頃、あの「バブル」も完全に終わっていた。

日本の広告が「終わってしまった」のは、「おいしい生活」というものが「モノ = 商品」を購入することで簡単に実現するものではなくなってしまったからである。今やどちらかといえば、「モノ」より 「心持ち」とか「雰囲気」とか、そういったもので「おいしい生活」は実現される。

もちろん、「モノ」が全然要らないとは言わない。しかし余計なモノは持ちたくないという時代になってしまったのである。それにはもちろん、1980年代後半に比べて、国民の可処分所得がむしろ減少傾向にあるということも関係しているが、「買えないから我慢する」というわけではない。

私の父などは「誕生日や父の日でプレゼントをもらうのはうれしいが、同じくれるなら、できれば『食ってしまえば後に残らないモノ』にしてもらいたい」なんて言っていた。後に残ってしまうモノは、うっとうしくてしょうがないのである。

それでも、日本のビジネスはまだ「モノ」を売ろうとしているように見える。そのいい例が自動車業界だ。「若者のクルマ離れ」を何とかしたいなどと言っているが、きちんと分析すれば、若者向けのクルマが売れないのは、若者がクルマ離れしているというよりは、若者の人口が劇的に減っているという要因の方が圧倒的に大きいと気付くはずだ。

人間の数が減って、しかも可処分所得が減り、さらにクルマ自体が昔よりずっと長持ちするようになっているのだから、売れる台数が減るのは当たり前のことだ。売れる台数が減っているからといって「クルマ離れ」しているというわけではない。大都市以外ではクルマは「必需品」だから、所有率は高い。ただ、頻繁に買い換えなくなっただけだ。

自動車業界は若者の人口が激減しても「魅力的なクルマ作り」をすれば若者向けの自動車販売台数は維持、あるいは増加させることができるなどと思っているかのような振舞をしている。しかし、そんなことができるはずないじゃないか。

糸井重里氏は 1988年に「ほしいものが、ほしいわ。」というコピーを発表したが、今は「ちょっとほしい気もするけど、やっぱりいらない」と言える世の中なのである。むしろ「モノ」でないものなら欲しいのである。

例えば「笑い」である。それもテレビの「お笑い番組」などで見られる即物的で底の浅い笑いではない。心の底から笑える「幸せな笑い」である。ところが今、「心の底から笑ったことなんて、何年もない」という人が増えている。認知症とまでは行かなくても、生気を失った老人というのは「無表情」になってしまっている人が多い。

筑波大学名誉教授の村上和雄氏は、「普通の状態ではほんの 3%程度しか働いていない人間の遺伝子情報をトータルに活性化させるのは、笑い、喜び、感動などの『ポジティブな想念』(良いストレス)である」という仮説を主張し、そしてそれを実験によって立証してこられた。

「笑い」「喜び」「感動」 などの「ポジティブな想念」(良いストレス)は、なぜかあまり商品化、サービス化されていない。商品化されているのは、「使い捨て」でどんどんリピートされる「モノ」か「サービス」である。21世紀に入って既に 10年以上経った現在、オルタナティブな「商品」が開発されてもいい。

それは、これまでの「モノ」に還元しなければ商売にならないという思い込みを捨てることでもある。あるいは、「金銭」にならなければ、仕事にならないという都市伝説を捨てて、新たな道を探ることでもある。

 

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コメント

以前セゾングループで働いたことのある身としては、「ほしいものが、ほしいわ。」を採りたいところです。しかしこれはある意味「諦め宣言」であって、絶頂は「美味しい生活。」なのかなぁ。

投稿: 山辺響 | 2011年11月21日 11:22

山辺響 さん:

>以前セゾングループで働いたことのある身としては、「ほしいものが、ほしいわ。」を採りたいところです。

「ほしいものが、ほしいわ。」は、私には 「いらないものは、いらないの」 の反語に聞こえた記憶があります。

天の邪鬼ですみません ^^;)

投稿: tak | 2011年11月22日 23:03

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