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2012年1月 4日

論理的になるということは、バカになることなのかもしれない

1年半前に論理思考の限界に関する記事を何本か続けざまに書いた。ざっと挙げてみよう。

人間の脳はデュアルタスクが限度なので (2010/06/05)
人間の脳は三等分すら苦手なので (2010/06/08)
論理思考の限界 (2010/06/25)
論理思考の限界 その 2 (2010/06/27)
複雑なことを単純化して考える以上の賢さ (2010/06/30)
(ちょっと間をおいて)
理屈通りに行かないのが、世界のありよう (2010/11/04)

一連の記事の中で私は、論理思考というものの限界を、くどくどと、ちょっとだけ論理的に書いている。論理思考というものがあまり当てにならないものなのだということを示すために、論理思考を用いているのだが、論理思考というのは、その程度には機能するようなのである。

自らの限界を提示できるのだから、まあ、論理はまったく信頼できないというわけじゃない。だからこそ我々は日常生活において論理思考を厭わないわけだが、過度に信頼しすぎちゃいけないということだ。何しろ、何事も理屈通りには運ばないのだから。

最近あの岡田斗司夫氏がご自身の公式ブログで、それと似たようなことを書かれている。「美人の恋愛コラムニストを前に、ついついしゃべりすぎてしまいました(by岡田斗司夫) 」という記事だ。

この記事の中で岡田氏は、次のようにおっしゃっている。

女の人は考えが複雑すぎるんです。「これもある。でも、あれもある」って、物を考える時に関連性込みで引っ張ってくる。1つ手繰ったらそれにいろいろ糸が付いていて、その糸の先にいっぱい重たいものが付いてるんです。網引っ張るみたいにして、そうしたらそこにいっぱいものがあるから、引っ張り上げられないんですよね。

(中略)

論理的になるのはバカになるということです。物事を単純化するというのは、子どもみたいに見るということですから。そうすると、本質が見えることもあるんですけども、大事なディティール取りこぼすんです。

(中略)

犬ですから、理屈を追いかけるという、理屈まっしぐら。フリスビー投げればシュッと走るみたいなもので、理屈で考えるといったらシュシュシュッと曲がるんです。大変お上手なんですけども、それは訓練された犬にしか過ぎないので。僕らは女性が思うような複雑な概念というのは扱いきれない。

岡田氏はどうやら恋愛論に関連した文脈で、「男 = 論理的、女 = 非論理的」という、あえて雑ぱくな前提に立ちながら、要するに男(= 論理的人間)は「単純な犬」みたいなものだということをおっしゃっているのである。

私は冒頭で紹介した「複雑なことを単純化して考える以上の賢さ」という記事の中で、 「賢い人は複雑なことを単純に考えるが、もっと賢い人は、単純化した過程で切り捨ててしまったファクターがあるということに、きちんと自覚的である」と書いている。

この言い方はかなりモデレートなもので、その点岡田氏はもっと思い切りがいい。「論理的になるのはバカになるということです」と、一刀両断に言い切っている。私はそこまでは言い切れなかったなあ。

 

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哲学・精神世界」カテゴリの記事

コメント

 

 論理的思考によって生きるのがベストだと思っていた、自称「科学少年」の私の人生を振り返ってみると、肝心の時にうっちゃりを食らって負け越し多しです。(ああ、私のごんげだ頭)
 
 でもそうやって生きてきた自分が、少し、いとおしく思えているこの頃です。
    こちら、朝マイナス10度、昼、吹雪です。

投稿: ひろぼー | 2012年1月 4日 21:21

初めまして。
いつも楽しみに読ませてもらってます。

僕は音楽をやってるモノですが、
イメージの中にある音やリズムや言葉やらを
いざ言葉やメロデイやらにのせようとすると
やはり随分なミネラルとも言うような「結晶からはじき出されたモノ」が
あまりに多くて途方に暮れる感じをこの記事を読んで思い出したりしました。

今年も楽しみにしております。
お身体に気をつけて、面白い記事期待してしまってます。

投稿: ミギヤマ | 2012年1月 5日 01:16

ひろぼー さん:

日頃は論理で生きて、いざというときには思いっきり直観的に決断してしまうのが私です (^o^)

つくば方面の朝はマイナス3~4度です。
まだまだ生やさしいですね。

投稿: tak | 2012年1月 5日 21:31

ミギヤマ さん:

>イメージの中にある音やリズムや言葉やらを
>いざ言葉やメロデイやらにのせようとすると
>やはり随分なミネラルとも言うような「結晶から>はじき出されたモノ」が
>あまりに多くて途方に暮れる感じ

う~ん、分かる気がします。

仕方なく何かを切り捨てると、今度は寸足らずになって、今度は余計なものを付け加えたりしているうちに、いいような、悪いような、変なモノになるというか。

投稿: tak | 2012年1月 5日 21:33

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