喪中と年賀状
今年は年賀状が少ない。それも当然で、昨年の 10月に父が死に、11月のうちにいわゆる「喪中欠礼葉書」というやつを出しておいた。この「喪中欠礼葉書」というものの元々の意味は、「喪中なので、こちらからは年賀状を出しません」ということのようで、「お前も俺に年賀状なんか寄こすんじゃないぞ」と強要する意味はないのだという。
「喪中の人には年賀状を出さない」というのが一般常識化しているが、出してしまったとしても、とりたてて責められるほどの失礼ではないのだという。世の中には「欠礼葉書を出したのに、年賀状を寄こした」と言って怒る人がいるが、そんなことで怒ってはいけない。
というわけで、私だって年賀状をくれるんならどんどんもらいたいとすら思っているのだが、やはり圧倒的に少ない。来るのはほとんどが何かの業者からの営業年賀状である。今年、私は年男(恐ろしいことに、還暦を迎えるのだよ)なので、お年玉で当たる辰の絵の記念切手が欲しいと思っているのだけれど、当たるかなあ。
とまあ、それはそれでいいのだが、私の実家には死んだ父宛の年賀状が、まだ何通か届いているという。今、実家には私の妹がいて、父宛の年賀状がパラパラ来るのに戸惑っているようだ。
大抵の親戚と知り合いには通夜と告別式の前に知らせを出したし、それ以外の知人にも、10月中に葉書で死亡通知を出した。それでも、本人宛に結構年賀状が来る。その本人はもうこの世にいないんだから、喪中の私宛に年賀状が来るのとはわけが違う。「死んだと知らせたやんか」と言いたくなってしまう。
ただ、死亡通知を出し漏らした 2~3人から届いた年賀状は、これはもう仕方がないので、改めて通知しておこう。いやはや、親父の住所録を隅から隅まであたったつもりだったのに、漏れってあるもんだなあ。
一番驚いたのは、通夜と告別式に出席してくれた父の親しい友人から、年賀状が届いていたことだ。これ、ついうっかりなのか、はたまたボケてしまったのか。まあ、年も年だし、家人が気を利かせて代筆してくれたんだろうと思っておく方がいいかもしれないが、死んだ親父も、さぞかしびっくりだろう。
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