「知らずに犯す罪」の重さ
今月 15日の記事でちょこっと触れた「知って犯す罪より知らずに犯す罪の方が重い」ということについて、もう少し書かせてもらう。
何かことをなすにあたって、本来は知っておくべき前提的事項を知らずにやってしまったために、へまをしでかしたり、誰かにちょっとした迷惑をかけてしまったり、あるいはそこまで行かなくても、誰かの手助けでようやく辻褄が合ったり、後始末ができたりすることがある。
こんな時、当然知っておくべき前提を知らずにやってしまったことについて、周囲に謝罪したり、手助けしてくれた人に対して感謝するのが当然だろう。しかしこの世の中では、この当然のことが案外当然でなかったりする。
不始末をしでかしておきながら、あるいは余計なことで人の手を煩わせておきながら、「だって仕方ないじゃない。そんなこと、知らなかったんだもの」と言って居直るタイプの人が、少なからずいる。
本来、当然知っておくべきことを知らなかったのは恥ずべきことなのだが、その手の人はそれを決して恥とは思わない。それどころか、後始末を手伝ってくれた者に、「知ってたんなら、初めから言ってくれればよかったのに!」などと責めたりまでするのである。
と、ここまで書くと、読者はおおよそ見当がつくだろうが、私はそうしたタイプの人の不始末の尻ぬぐいを、過去に何度かした経験をもつ。そして驚くべきことに、その尻ぬぐいをして感謝されたことは、一度もない。「初めから言ってくれなかったあなたが悪い」みたいなことを言われるのだから、驚くばかりである。
こちらとしては、まさかそんな常識的なことも知らずにコトに当たっているとは想像もつかないから、言ってあげようなんて発想すらない。ところが、無知な人はそれを責めるのである。そして困ったことに、別の機会に念のために常識的なアドバイスしてあげても、それをまともには聞かないのだ。逆にうるさがられてしまう。
経験則として、40歳を過ぎてもそれが直らない人というのは、誰がどう注意しても直らない。だから放っておいて、被害があまり大きくならない段階で、目立たずさりげなく後始末してあげるしかない。
というわけで、「知らずに犯す罪」を犯してしまう人というのは、確かに罪深いのだが、周囲の者にとっては、なかなか人生勉強になるところがある。
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コメント
全く同感です。
私も過去に、知らずに犯してしまった他人の失敗をいやというほど処理してきました。連中のスタンスは“知らなかったんだから仕方ない”です。
後で“私の仕事のどこがいけなかったのか”と訊かれたことは一度もありません。同じ失敗を繰り返さないように仕事の技術を教えると、人格を攻撃されたと思い込むようで、途端に不愉快な表情を浮かべます。
繰り返しの失敗に声を荒げて注意すると、今度は開き直りです。
失敗しそうな様子をみて忠告をしますが、それを無視してやっぱり失敗します。もう絶句です。
“知らなかったんだから仕方ない”“知らないことを恥と思わない”というスタンスの人間にはつける薬はありません。
こんな連中の中にいてしまった自分も不甲斐ないですが。
今は、こういう連中と縁が切れて気分スッキリです。
思い起こせば、小学校の教師はよくこんなことを言ってました。“知らなかったんだから仕方ないよね”“うっかりしてたんだよね”。こんな言葉を使って失敗した子供を慰めていました。
この問題は日本人のメンタリティから来てると思います。
投稿: ハマッコー | 2012年2月25日 21:59
私も同様の処理を任されました。
「法に疎く」ということで大体はOKでした。
それが駄目な場合はキツかった。
でも「知る」「知らず」は本来無意味と思います。
投稿: jersey | 2012年2月25日 23:51
ハマッコー さん:
お互い、うっとうしい人生勉強をしたみたいですね ^^;)
投稿: tak | 2012年2月26日 17:01
jersey さん:
>でも「知る」「知らず」は本来無意味と思います。
細かいことを知らなかったというのは、誰にでもあることです。
ただ、何かをするに当たって 「ちょっとあぶないから念のため」と、事前に調べたり聞いたりしてみるということは必要なことで、その 「調べてみなきゃ」 「聞いてみなきゃ」 ということに思い至らないことが 「無明」 だと思うのです。
何度失敗してもそこに思い至らないというのは、それはもう、「罪」 というものではなかろうかと思うのであります。
投稿: tak | 2012年2月26日 17:07