清税孤貧という俗物
久しぶりに無門関ネタ。今回は第十則「清税孤貧」という公案である。公案自体はとても短くて簡潔だ。曹山和尚のところに清税という僧が訪ねてきた。その時の会話は、超訳すると次のようなものだったというのである。
清税 「私は寄る辺ない孤独で貧乏なものです。お恵みを」
曹山和尚 「税闍梨さんよ!」
清税 「うむ」
曹山和尚 「おいしい銘酒を 3杯も飲んでおきながら、まだ足りないと言うのかね」
とまあ、たったこれだけの話だ。ぱっと見では、何が何だかわけがわからん。それだけに、いろいろな解釈がある。
一つには、曹山和尚が清税に、「さんざん恵まれた境涯でありながら、まだ人を頼って教えを請おうなんていうのは、甘えるにもほどがあるぞよ」と一喝したという解釈だ。まあ、素直に読めばそう受け取りたくなるところだが、禅問答って、そんなに素直で単純なものじゃないだろうという気がする。
二つめは、曹山和尚が清税の人物がかなり怪しいのを見抜き、「お前、かなりへりくだったようなことを言っているが、実は腹に一物もっているだろう。とっとと帰れ!」 と追い返したというようなことになっている。うぅん、これもなんだか単純すぎておもしろくない。
三つ目の解釈は、曹山和尚が訪ねてきた清税に対していきなり「税闍梨」と呼びかけたことに注目する。「闍梨」とは「阿闍梨」の略で、お坊さんに対する敬称。つまり、「税先生!」と呼びかけたのだ。
禅問答というのはなかなか一筋縄ではいかないもので、清税は訪ねて来るなり自分は「孤貧」であると言った。しかしそれは、表面的な言葉とは裏腹に「自分は何物にもとらわれず、何物も所有していない。これほど高いレベルにいるのに、謙遜に教えを請う。立派なものだろう。どうじゃ、参ったか!」と、大見得切って見せたのだ。
それで、曹山和尚は、「おう、そうかそうか、それは大したもんじゃ、税先生よ」と呼びかけた。そしたら相手は「うむ」と応じてしまったというのである。何物にもとらわれず、何物も所有していないはずの男が、いきなりいい気分で「先生」になっちゃったのだ。
それで、曹山和尚は 「お世辞言われて舞い上がっちゃうくせに、言葉だけはへりくだったようなことをお言いでないよ」と、相手の俗物性を喝破した。私はこれが一番素敵な解釈だと思う。
何しろ「曹洞宗」という宗派の名称は、曹山和尚と同時代の洞山和尚の頭文字を取ってできたというほどだから、曹山和尚という人は半端じゃない名僧だった。どんなに口でへりくだって見せても俗物は俗物と、すぐに見破ったのである。
現代日本の宗教界にも、口では大変へりくだったようなことを言いながら、実は俗物の極みというのが見え見えのお方がいるが、お近づきになりたくないなあと思うのみである。
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コメント
狗に仏性あるやなしや
まだわかりません
投稿: jerjey | 2012年2月18日 23:21
jerjey さん:
あるだのないだの、詮索するのがうっとうしいので、「ねぇよ!」 ということにしちゃったんでしょう。
あるだのないだのではない 「ねぇよ!」 ということに。
投稿: tak | 2012年2月19日 23:15