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2012年3月20日

石巻市長の「宿命」発言

日本の政治家って、言葉の使い方のなってない人が多いなあと、常々思っているのだが、"石巻市長、「宿命」発言を謝罪 大川小惨事で" というニュースを読んで、ますますその思いを強くした。言葉の使い方をちょっと間違えただけで、余計な物議を醸し出したりしてしまう。とくに悪気があったわけでもないのだろうが、それはやっぱり自分の責任だ。

石巻の市長の「宿命」発言というのは、新聞記事から知る限り、昨年の大震災で児童・教職員計 84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校の惨事について、6月に市教委が開いた保護者への説明会で、こんなようなことを述べたということのようだ。

「もし自分の子どもが亡くなったら、思いを償っていくという、自分自身に問うということしかない。これが自然災害における宿命だと思っております」と述べ、遺族から批判を受けた。

多分、話の前後をカットされているので文脈がわからなくなっているということもあるのだろうが、それを勘案してもこの発言は意味不明瞭すぎる。「自分の子どもが亡くなったら」、「思いを償い」、「自分自身に問う」 しかなくて、それが 「自然災害における宿命」と言われても、「なんじゃそりゃ?」と言うしかない。

この発言に対する遺族からの批判に、同市長は「私自身のとらえ方として、自然災害のやむを得ない事情があったということで『宿命』という言葉を使った。言葉が足りなかったところはある」と言い訳しているが、だからといって、「思いを償い」、「自分自身に問う」 しかないとは、ますますもって意味がわからない。

勘ぐれば、「自然災害なんだから、『自分に問う』ことはしても、市の責任を追及するということは遠慮してもらいたいのよね」と言外に言っていると思われてもしかたがない。一方、市教委は今年 1月の説明会で学校側の落ち度を認め、人災の面があったとして謝罪しているというのだから、「自分自身に問う」しかないというのは、結果的に暴言に近いものになった。

まあ、同市長にしてみれば、そこまでひどい意図があったわけじゃなく、ちょっとしたセンチメントの中に、おぼろげながら「市として追求されたくはないんだよなあ」という無意識的願望が混じり込んだだけということなんだろうが、やっぱり、「余計なこと」を言ってしまったことには変わりない。

で、同市長は昨日の市議会で 「遺族の方が傷ついたということであれば率直におわび申し上げたい」と謝罪したというのだが、これ、政治家の失言に関するお詫びに必ずといっていいほど登場する陳腐な決まり文句だ。私としては、かなり気に入らないのである。

去年の夏、復興相に任命されたことで舞い上がり過ぎ、被災地で周りがびっくりするような親分風を吹かせてすぐに辞任した松本龍氏も、「結果として被災者の皆さまを傷つけたのであれば、おわび申し上げたい」と発言していた。

これに関して私は、" 「傷つけた」 んじゃなく、「怒らせた」 んだろうよ" という記事の中で、「このおっさんにとっては、怒るのは常に自分で、相手は常に、それによって少々傷つくかもしれない存在でしかないのだ」 と書いている。

政治家というのは無意識的にかもしれないが、自分と住民を上下関係で捉えているようだ。自分は常に、下手したら住民を傷つけてしまいかねない上の立場にいて、「怒られる」という下の立場にいるはずがないと、どうしようもなく思いたがっている。しっかり「対等」と認識すればいいだけの話なのに。

ちなみに、「宿命論」 でいえば、宿命的なのは日本列島が現在の位置にあることにより、定期的に大地震に見舞われるという客観的事実だけであり、そこで暮らす個々の人間が死ぬとか生きるとかいうことまで宿命というわけでは、決してない。このことについても、同市長は言葉の使い方を誤っている。

政治家なんだから、「悪気じゃないんだから、真意をわかってよ」なんて甘えちゃいけない。言葉の使い方に関しては、役人の方がさすがに 100倍も上手だ。ただ上手だというのは、言質を取られないということに関してのみで、決して理解しやすいということではないのだが。

 

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コメント

「遺族の方が傷ついたということであれば率直におわび申し上げたい」という言い方、しばしば謝罪会見等で使われますが、私もかなりムッときます。
takさんがおっしゃっているような点もさることながら、この期に及んでまだ「…であれば」などと、問題を起こしたこと自体をを認めていない言い方だからです。「問題が生じたかどうかは、まあアレだが、とりあえず謝っといてやるよ」という風に聞こえます、私には。

投稿: きっしー | 2012年3月21日 09:33

きっしー さん:

>この期に及んでまだ「…であれば」などと、問題を起こしたこと自体をを認めていない言い方だからです。「問題が生じたかどうかは、まあアレだが、とりあえず謝っといてやるよ」という風に聞こえます、私には。

なるほど、仮定法ですね。
かなり傲慢な言い方ということになりますね。

投稿: tak | 2012年3月21日 13:36

はじめまして。

この市長さんの謝罪の仕方は
いま話題の安冨歩さんの「原発危機と東大話法」にある「東大話法規則20」の「もし○○○であるとしたら、お詫びします、といって、謝罪したフリで切り抜ける」にどんぴしゃりですね・・・。
嘆かわしいことです・・・。

投稿: たぬきち | 2012年3月24日 14:18

たぬきち さん:

>いま話題の安冨歩さんの「原発危機と東大話法」にある「東大話法規則20」の「もし○○○であるとしたら、お詫びします、といって、謝罪したフリで切り抜ける」にどんぴしゃりですね・・・。

まさに。
この本、読んでみましょう。

投稿: tak | 2012年3月25日 17:13

ぜひお勧めします!
ちなみに安富先生は東大東洋文化研究所の准教授です。
3.11以降の日本の政治家、学者、官僚、大企業家、マスコミの発言に疑問符だらけだった私には、自分の思考を整理するのにとても参考になりました。
先生の他の著書「生きる技法」「今を生きる親鸞」も読もうと思っています!

追伸:実は何年か前からこちらのブログの隠れファンでした。
これからも引き続き拝読させていただきます!

投稿: たぬきち | 2012年3月25日 20:29

たぬきち さん:

ありがとうございます。
『原発危機と東大話法』を、アマゾンで発注しました。
届くのが楽しみです。

投稿: tak | 2012年3月25日 21:17

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