原発事故では本当に一人も死んでいないのか?
少なからぬ人が、「少なくとも今回の原発事故では死者が一人も出ていない」というようなことを言ったり書いたりしている。これはかなり誤解を生む表現だと、私は前から思っていた。
確かに、原発事故を直接的な死因とした死者は、一人も確認されていないだろう。しかし、だからといって「今回の原発事故では死者が一人も出ていない」というのは、乱暴な結論だと私は思う。世の中は複雑系なのである。
「風が吹けば桶屋が儲かる」というのは、極端な屁理屈の喩えだが、原因があって結果が出るという法則は、連鎖するものだということを指摘している点では、一面の真理である。世の中は、二次的、三次的、さらにずっと遠因的な要素が絡まり合って動くのだ。
複雑系を現す喩えとして、「中国で蝶が羽ばたくと、南米で嵐が起きる」とすら、度々語られるではないか。世の中は「風が吹けば桶屋が儲かる」どころではないのである。直接的な因果関係以外は無関係だと断じたり、無視したりするのは、ある意味で詭弁ですらある。
「震災で福島県の避難区域内で餓死した疑いの強い人が少なくとも 5人いる」と、あの NHK が報じた。これについては、関係者から疑問の声も出ているという。「餓死かどうか、解剖していないから明確な結論は出せない」というのだ。まあ、そりゃ、確かにそうだろう。
しかし「解剖していないから餓死かどうかわからない」というのは、それはそれとして、つまり餓死か衰弱死か、その他の死因なのか、その結論を明確にするのはペンディングにしておいても、原発事故で全員避難するという事態さえ生じなかったら、救えたかもしれない命が少なからずあったというのは、多くの証言からもうかがえる。
瓦礫の下から助けを呼ぶ声が聞こえていたのに、原発事故による避難指示が出たので、救助することができなかったのが残念だと述懐する消防団員は、一人や二人ではない。さらに、避難先の不自由な暮らしのうちに病気で亡くなった人もいると報告されている。
救えたかもしれない命を、いわば見殺しにしてしまったケースがあり、さらに強いられた避難生活で命を縮めた人もいるという事実に直面しながら、「少なくとも原発事故では死者は一人も出ていない」と主張し続ける強引さを、私は残念ながら持ち合わせていない。
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コメント
初めまして。
「お墓に避難します」と書き残して自殺した、確か避難区域在の老女がいる、と以前新聞社のサイトで見ました。
これです。未だ見ることが出来るようです。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110709-OYT1T00649.htm
私は、今回の事件で東電、東芝の経営者、また政治家、役人の中から一人として死者が出なかった、つまり切腹する者がいなかったという意味ですが、この点が今の我々日本人の特性の一端を指し示しているように思えてなりません。
投稿: senza zucchero | 2012年3月15日 22:56
senza zucchero さん:
>「お墓に避難します」と書き残して自殺した、確か避難区域在の老女がいる、と以前新聞社のサイトで見ました。
何とも言いようがないですね。
当人にしてみれば、ある意味で達観していたのかもしれませんが。
>私は、今回の事件で東電、東芝の経営者、また政治家、役人の中から一人として死者が出なかった、つまり切腹する者がいなかったという意味ですが、この点が今の我々日本人の特性の一端を指し示しているように思えてなりません。
これまで、企業の大きな不祥事があると、大抵首を吊る人がいましたが、今回は、知る限りではいませんね。
首を吊れと言っているわけではないので、その辺りはよろしく。
投稿: tak | 2012年3月16日 15:39