ディスプレイ上の日本語表示と解像度について
大分前に、「人間は文字を認識する時、最初と最後の文字さえ合っていれば読める」 というのが話題になった。次の段落の太文字は、平仮名の順序がめちゃくちゃなのだが、案外すらすら読めてしまうのである。
こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく
人間の脳の機能というのはなかなかすごいもので、上の平仮名は、文字通り単語の最初と最後の文字だけが合っていて、途中はかなりめちゃくちゃなのに、大抵の人はすらすら読んでしまう。しかも、文字のフォントが小さいほどすらすら読めて、あまり大きいとかえって読みにくくなる。大きいとこんな感じだ。
文字が大きすぎると、あまりにも文字そのものが明確に認識され、逆に文字の並びとしての単語認識に手間がかかるせいだろうと、私は思っていた。確かにそれは正しいと思う。ただそれだけでなく、PC のディスプレイ上に限って言えば、画像としての文字を拡大すると、表示がまともじゃなくなる。
例えば私のある日のブログをディスプレイ上に表示して、それを画像として部分的に拡大してみると、下のようになる。
なんとまあ、案外スラスラと読んではいたが、実はこんなにめちゃくちゃなフォントをまともな字と認識して読んでいたということになる。画数の多い「層」とか「違」という字なんて、よく見れば「こんなの字じゃないぞ」と言いたくなるぐらいのものだ。人間の脳の認識能力のすごさに、改めて気付かされる。
こんなのをまともな字に「翻訳」しながら読んでいるのだから、目にはかなりの負担がかかっているのだろうと思われる。
cagylogic というブログに 「新しい iPad のインパクトは漢字圏とアルファベット圏で違う」 という記事があり、新型 iPad の Retina ディスプレイの解像度の素晴らしさについて、こんな風に書かれている。
僕らは漢字ネイティブだから、「ようやく僕らの文字を正しく表示するデバイスを手に入れた」と感じるのだけれども、アルファベット圏の人は、以前から「文字を正しく表示するデバイス」を持っていた。今回発表された新しい iPad は、今まで 「文字を正しく表示するデバイス」 に加えて、「文字のデザイン (フォ
ント) を正しく(美しく)表示するデバイス」を手に入れたことになる。
なるほど、私は新型 iPad のディスプレイをまだ見ていないのだけれど、多くの人がその詳細さと美しさについて称賛している。それによって、日本語はようやくまともに表示されることになったというわけだ。これはかなり重要なことではあるまいか。
ちなみに上述のブログ記事に、日本語の文字をエミュレーションした拡大画像(上の単なる画像としての拡大とは違う)が載っているが、まともでない画像でみると、日本語フォントは本当に滲んでいるのがわかる。ディスプレイは解像度の高いものでないと、目にかなりの負担をかけているわけだ。
還暦に近づいてきた近頃、PC で仕事をしていてやたらと目が疲れるのも道理であると思い至ったのである。
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コメント
逆にこんなに省略しても違和感なく認識するように画素を配置する技術ってのも興味が湧きますね。
自動なのか一個一個デザインしてるのか。
それとも適当に省略しても(読み手の能力のおかげで)結構普通に読めちゃうのかなぁ?
投稿: Cru | 2012年3月31日 10:47
Cru さん:
技術的制約によって、何となく落ち着くべき形に、半ば自然に落ち着いたという感じなんでしょうね。
錯覚というのは、いい方に働いていることの方が多いのかもしれませんね。
投稿: tak | 2012年3月31日 23:11