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2012年3月 9日

津波てんでんこ

あとりえ・チビッコ の keicoco さんに、三陸には「津波てんでんこ」という言葉があると教わった。Wikipedia によれば、「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」「自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない」という不文律だそうだ (参照)。

大抵の集落では、人々は助け合って生きようとしているが、こと津波ということになると、そんなことは言っていられないということなのだろう。とにかく我が身一つだけでも助かるのが、集落全体のためになるということだ。人を助けるために自分の命も失ってしまったら、元も子もない。

ことは津波とはわけが違うが、例えばキャンプや合宿が終わって後かたづけをする時など、最も効率的に進むのが、各自とりあえず、脇目もふらず自分の荷物をさっさと片付けるという方式だ。最終的に残った共有物を、自分の荷物をさっさと片付け終えた仕事の速いやつが片付ければ、あっという間に始末がつく。

一番始末におえないのが、どこから手を付けたらいいかわからないほど混乱することである。それを避けるためにも、常に自分の荷物はしっかりまとめておくに限る。そうしておけば、既に片付けは半分終えたも同然だ。

津波のときも、どこに逃げたらいいか常に意識して、いざという時にはダッシュで逃げるということなのだろう。そうすることで、多分最大限の命が助かることになる。混乱して右往左往すれば、多くの命が失われる。

 

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コメント

拓明さん
おはようございます。
ご紹介ありがとうございます。
昨夜も地震がありましたよね。
どこにいても始末が大切で、早く逃げられるようにして置くことが肝心ですね。
拓明さんは私がブログを書くきっかけとなった方です。
地震の揺れに負けず元気で居てください。

投稿: Keicoco | 2012年3月10日 09:21

なるほど。「津波てんでんこ」の教えを活かせる場面には遭遇したくないですが、日常でもそういう応用というかスケールダウンがありましたか。しかし「始末をつける」というのはなかなか含蓄のある言葉ですね。

投稿: 山辺響 | 2012年3月10日 12:47

山辺響さま

始末という言葉については、何となく母が『始末が大切』とよく言っていたような気がします。ですから旅行に行っても荷物を広げすぎないでささっと片付けられるようにできます。私の勘違いかと思って他の言葉を探しましたがないようです。もしかすると聞き違えていたかもしれませんが。
含蓄と聞いて喜ぶ私です。

投稿: Keicoco | 2012年3月10日 15:47

Keicoco さん:

>昨夜も地震がありましたよね。

昨夜は、私は熊本のビジネスホテルにいました。

ただ、地震警告アプリ 「ゆれくる」 の地域をつくば周辺にセットしてあるので、夜中にだいぶ iPhone がピロピロと騒いでました。

近頃、また地震が増えてきて、いやぁな感じですが、一方では慣れてしまっているので、あまり慣れすぎずに粛々と生きていきたいと思います。

投稿: tak | 2012年3月10日 22:39

山辺響 さん:

私は 「始末」 という言葉が案外好きでして、「文明の始末まで想定するのが文化」 と考えているほどです。

投稿: tak | 2012年3月10日 22:42

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