60歳以上は信用するな
「60歳以上は信用するな! 夏野剛が若者に伝えたい、ワークスタイルの新フォーム」という Wired の記事を読んだ。
夏野氏は、現在「個人の情報発信能力を高めた "ソーシャル革命"」が進行中であるとし、日本において「それを阻んでいるのが60歳+−5歳の世代」と規定して、「彼らの大多数は、新しい IT や事象に疎いし、同じ世代としか付き合いたがらない。そもそも新しいライフスタイルに適応できないと思っているので、IT に対する抵抗感が強い」と指摘している。
そして、自分の生徒たちに「オジさんの話を聞くのはいい。でも、絶対に言うとおりにはするな」と教えているという。
なるほど、なるほど。「60歳以上は信用するな」という見出しを読んだ時、私はまだ辛うじて 60歳になっていないから(今年の夏に還暦になるけどね)、「まあ、いいか」と思ったのだが、本文の中で、ソーシャル革命を阻んでいるのが「60歳+−5歳の世代」と書かれているので、「何だよ、俺も含まれてるのか!」と、俄然ムッときた。
だったら、初めから「55歳以上は信用するな」と書きゃいいじゃないか。しかし、そもそも「○歳以上は信用するな」というのは、申し訳ないけど、元々は現在 60歳以上になっているオッサンたちが、若い頃に叫んでいたレトリックなのである。
このフレーズがメジャーになったのは 1964年、バークレーのフリー・スピーチ・ムーブメント(FSM) 集会で、ジャック・ワインバーグ (Jack Weinberg)という男が "Don't trust anyone over thirty!"(30歳以上は誰だろうと信用するな!)と叫んだことに端を発する。1986年に日本でムーンライダーズが歌ってからというわけじゃないのだ (参照)。
あれから 48年経って、「30歳以上」が「60歳以上」に上積みされたわけか。48年経ってしまったのだから、当時 13歳だった私が 「信用するな」と言われた年齢に達しているのも、しかたのないことなのかもしれない。しかし、待てよ。本来なら 48年経ったら「30歳以上」というのが「78歳以上」になっていてもいいじゃないか。
それが今になって、「60歳以上は信用するな」になったのだから、途中の 18年間は悲しいまでの反動時代だったのかもしれない。
ヒッピー・ジェネレーションの中でもとくに Yippies (イッピー) と言われた Jerry Rubin という男が書いた "Do It" という本がある (参照)。この本は 1970年に世に出たのだが、翌年には日本語の翻訳版が出て、私の本棚の中にかなり黄ばんだ姿で所蔵されている。邦題は「やっちまえ」ということになっていて、田村隆一氏の訳だけに、いい線行っている。
この本の中で Jerry Rubin は、次のように言っている。
ぼくは 1964年バークレーの FSM の中で生まれた。
だからぼくは 5才になったんだ!
『ビレッジ・ボイス』やデリーが「30才以上の人間は信じるな」と言うなら、ぼくは答えてやるぜ ――
そんならおれには、まだ 25年もあらあ!
というわけで、それに倣うならば、我々はようやく 48歳になったのである。夏野氏が「信用するな」という 60歳までにはまだ一廻りもあるし、55才までだって 7年もある。「文句あるか」ってなもんだ。
忠告しておくが、あの当時のカウンター・カルチャーをどっぷりと経験した年代を戸籍年齢だけでみたら、痛い目に遭うのである。
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コメント
中高年の人がその昔、かなりロックやジェリー・ルービン(←私は今まで全く知らない人だった)に影響を受けたのは、不合理な世間を感知し世間は予想できても、自分が仲間に入るとは信じたくなく、社会のなかで悪いと知りながら、生きていくためには変えられぬということから、そういう行為をとってしまう大人を批判することで、自分を正当化でき、ぴったりと合う居場所を見つけたと思ったからでは?と思いました。「おおぉ!ロッ君よ、よくぞ言ってくれた。」というように感じていたとイメージします。
そういうのがわくのは、なかなか世の中は不合理だらけであると、モヤモヤしているからです。そういうモヤモヤ感を払拭させてくれたのが、ロックなのだろうなぁ。
金髪先生や小林克也の洋楽の深夜番組(共にテレビ朝日系?)が好きでよく見ていました。熱く語られるロックに憧れたものです。いまだに誰がどういう歌を歌っていたか知りんせけど、その当時の映像から伝わってくるものに魅力を感じる。
添付されていた記事内容を昨日読みましたが、ちょっと私の感覚にはそぐわなかったです。私はマイペースにいきたくゆっくりがよい。あわただしいネットチョ―活用人生は嫌だ。また、お財布携帯は私は持ちたくありません。そうすると戸籍年齢とは違う60-5歳に入ってしまいますね。
世間が許してくれる範囲でアイ ラブ レトロを貫きたい。だって、本物のお財布でさえ存在感があやしく紛失騒動を起こし、深夜にカードを止める手続きを(何度も)×2し、いろんな人に迷惑をかけ、痛い目をみても懲りない私が、お財布携帯などのお気軽を持ったりしたら、危なっかしくてしょうがない。
そういう点は自分で分かるので制御する。
私にはリスクを背負うよりレトロなほどよい重みが一番であります。
痛い目みて学んだことは、管理しきれないから余計なカードは作らないです。
価値観はひとそれぞれですとも(・<)☆
投稿: BEKAO | 2012年4月18日 17:23
BEKAO さん:
>添付されていた記事内容を昨日読みましたが、ちょっと私の感覚にはそぐわなかったです。
当然だと思います。
きっとほとんどの人の感覚にそぐわないですよ。あんなの。
投稿: tak | 2012年4月19日 00:31