「尊厳死法制化を考える議員連盟」という集まりがあって、この議員連盟が「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」というのを公表して、超党派の議員立法で国会に提出する予定と報じられている。
これについて昨夜の TBS ラジオの "Dig" という番組で、聴取者を交えた討論があった。私は途中から 15分ぐらい聞いただけなので、この番組での討論の全貌を客観的に伝える材料を持っていないが、いずれにしてもなかなかやっかいな問題だという気がした。
番組にゲストとして登場したのは、上述の議員連盟側の人なんだと思うが、終末期医療に関して、患者本人が延命措置を希望するかどうかを自己決定できるような法制化が必要だというトーンで持論を述べていた。なんと、現状ではこれに関する自己決定を保証する法律がないのだそうだ。
この問題に関する詳細は、「法律要綱案骨子案」要旨 - 日本尊厳死協会」に詳細が述べられているので参照していただきたい。
このウェブページによると、議員連盟の法律案では、患者本人の希望により延命措置を開始しなくても医者は法的責任を問われないこととしているが、この問題を積極的に推進している日本尊厳死協会という団体はさらに、既に始めている延命措置を 「中止」 した場合でも、医者は責任を問われないとするように修正を求めているようだ。
ところが、昨夜の番組に電話で登場した聴取者の女性は、「尊厳死」の法制化に強烈に反対しておられた。終末期における医療・介護・福祉体制の十分な整備がなされていない現状では、患者が本心では生き永らえたくても、家族に負担をかけることを遠慮して、つい延命措置を講じないように希望してしまうこともあるだろうというのである。
彼女の意見の骨子は ネット上の「日弁連の会長声明」「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」のページに書かれていることとほぼ同様の中身なので、そちらを参照していただきたい。つまり、現状では「患者の自己決定」が本当に自由意志でなされたものか怪しいもので、それでは生命の尊厳が冒されかねないというのだ。
なるほど、これには一見もっともらしい面があるが、私は個人的には尊厳死を認める法案を早く通してもらいたいと思う。というのは、「医療・介護・福祉体制の十分な整備」なんていうのを待っていたら、この国では多分、何年経っても尊厳死は法制化できないだろうからだ。
それに単純な話として、尊厳死を保証する法律は、延命措置を「希望する/しない」の二者択一ではない。あくまでも、「希望しない」 という意志表明に沿ってのみ尊厳死が適用される。しかも患者の意志の確認には、慎重な手続きが決められている。
患者が延命措置を講じてもらってでも生き延びたいというのであれば、ただ黙っていればいい。「自分は尊厳死したいので延命措置を希望しない」と言い出しさえしなければ、尊厳死は適用されない。
また、ちょっと嫌な言い方かもしれないが、「医療・介護・福祉体制の十分な整備」ができていない世の中だからこそ、「こんな世の中でぐずぐず生き延びるより、さっさとあの世に行ってしまいたい」と願うということだってある。それは不十分な現状による強制というより、個人的な価値観とか好きずきとか美学とかいうようなものだ。
だから私の個人的な印象では、尊厳死反対は「反対のための反対なんじゃないかなあ」という気がするのである。まあ、反対している人は「決してそんなものじゃない」とおっしゃるだろうが。
他の人はどうだかしらないが、昨年死んだ私の父は生前、「もうダメだとなったら、延命措置はしないでもらいたい。ただし、痛いのだけは嫌だから、麻酔だけはよろしく頼む」と言っていた。ちなみに私も同様に希望するし、妻もそのように希望している。
これは少数意見ではないと思う。私の周囲の人に聞いても、多くは「延命措置でだらだらと生き延びるのだけは勘弁してもらいたい」と言っている。たとえ「医療・介護・福祉体制の十分な整備」ができたとしても、「そこまでして生き延びてもしょうがないじゃないか」というのは、案外本心だ。
しかし、そうした希望をいくら明確に表明していても、尊厳死を保証する法律がなければ、医療現場では当然のようにだらだらと延命措置が講じられてしまうだろうし、一度開始されたら、それを中止してくれと申し入れてもなかなか受け入れてもらえないだろう。下手したら、中止した医師がお縄になってしまいかねないのだから。
いや、それ以前に、一度開始された延命措置を家族が「中止してくれ」と申し入れること自体、どうしようもなく困難だろう。いくら患者本人の希望とはいえ、それを言ったら、周り中からいかにも薄情な家族というレッテルを貼られかねない。それだけに、尊厳死協会の「措置の中止も含めて法律で保証すべき」という要望はもっともな話だと思う。
つまり私としては、「生き永らえたくても、それを言い出せないのではないか」という危惧よりも、「すっきりとあの世に行きたいのに、なかなか行かせてもらえないのではないか」という危惧の方が先立つのである。
これを言い出すと、「延命措置によって命を取り留め、補助器具を付けながらも日常生活を続けられるまで回復した人もいる」という反論が、ラジオ番組の中でも出ていた。しかし私個人としては、たとえ回復の可能性が 0パーセントではないとしても、さっさと見切りをつけてしまいたい。
生き永らえることを無条件に善とする考え方は取らない。どうせ人間、いつか必ず死ぬのだから、延命措置を講じなければ生きられない状態になったところで、寿命が来たのだと見切りを付けることにしたい。それに私としては「来世だってあるし」と思っているのだよね。
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