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2012年4月15日

あの当時のカウンター・カルチャーへの思い入れ

実はちょっとだけガックリしている。

というのは、3日前の記事 「60歳以上は信用するな」にまったくコメントが付かなかったからだ。この記事は、夏野剛氏の「60歳以上は信用するな! 夏野剛が若者に伝えたい、ワークスタイルの新フォーム」という記事の紹介に名を借りて、1960年代後半から 70年代初頭にかけてのカウンター・カルチャーへの思いを書いたものだった。

かなり強烈な思い入れを表現するために、ジェリー・ルービンの「Do It ―― やっちまえ」の日本語版の写真まで付けておいたので、「懐かしい!」といった反応があるんじゃないかと、内心期待していたのだが、今のところ、さっぱりである。「ありゃりゃ」ってなもんだ。

私にとっては、あの当時のムーブメントはかなり大きなものだったんだが、日本では大したものと思われていなかったのか、あるいは、話題にはなったものの、単なる流行りものとしてしか受け止められていなかったのか。いずれにしても拍子抜けである。

この拍子抜け感は、なにかデジャヴ感があると思ったら、それは 1970年、高校 3年の時の映画 "Woodstock" の時の拍子抜け感とよく似ている。

これに関しては、7年半前に書いているので、「ウッドストック」という記事をお読みいただきたい。これは拍子抜け感について書いたものだが、この記事自体もコメントがゼロという拍子抜けものだった。どうもこの手の私の思いというのは、スベってしまいがちなのかしらん。

手短に紹介すると、あの伝説のロック・イベント、ウッドストックの記録映画が、当時私の住んでいた酒田の街の映画館で上映されたが、その初日は、高校の期末試験前日に当たっていた。

それでも私は、酒田中の高校生が試験勉強なんてものは放り出して映画館に殺到するものだと疑いもせずにいて、1週間も前から指定席券を手配していたのだが、上映初日の映画館はガラガラだったというお話である。

「なんだ、みんな、ウッドストックよりも試験でいい点を取ることの方が大事なのかよ」と、私は裏切られた思いで一杯になったのだが、映画が始まってしまってからは、もうそんなことは忘れて夢中になってしまったのであった。

というわけで、あの当時のカウンター・カルチャーに、本気で夢中になった人間というのは、私が思っていたほど多くはなかったようなのである。それで、"Do It" の表紙の写真を見て心が騒いでしまう人というのも、そんなにはいないということなのだね。はいはい。

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

これまでのコメント歴(?)から、あるいはすでに察していただいているかもしれませんが、私は「その時代」に対するシンパシーとも言える思いを強く抱いています。ただ、あいにく私自身は「(だいぶ)遅れてきた世代」なので、なかなかコメントしにくいんですよね(^^;

投稿: 山辺響 | 2012年4月16日 09:25

小生(1955生)が貴兄にシンパシーを感じるのはまさに1950年代のビートニク~ヒッピーカルチャーに至る世代特有の匂いを共有しているからだと思います。既成のものにたいする反発やたえずリベラルであろうとする気概がウッドストックのような巨大ムーブメントを引き起こしたのでしょうね。
しかしながらやっぱり我々も隔絶された世代といわざるを得ません。実はそれが誇りであったりして・・・

投稿: taro | 2012年4月16日 18:45

日頃はあまり物事を世代論に還元すべきでないと思っているのですが、こればっかりはホントに世代的にピンとこないんです。すみませ~ん。
大きなくくりでは同じオッサンということになるんですけどねえ。

投稿: きっしー | 2012年4月16日 19:26

山辺響 さん:

リアルタイムじゃなかったんですね。

私のビートニク世代に関する思いと似ているのかも (^o^)

投稿: tak | 2012年4月16日 21:21

taro さん:

おぉ、感覚共有世代がいた!
うれしいことであります。

投稿: tak | 2012年4月16日 21:22

きっしー さん:

同じ世代でも、ちっともピンと来てない人の方が多いみたいですからね。

こればっかりは、しょうがない (^o^)

投稿: tak | 2012年4月16日 21:23

私は、ビートニクは書物で経験
その後のカンターカルチャーや反戦、反体制、ベトナム戦争の実態が報道機関を通じて米国民に知らされた、そのショック、およ徴兵への恐怖から始まったものだと思います
私自身、ベトナム戦争はサイゴンに駐在、何度も死にかけるような経験をして、戦場から帰ってきたばかりの泥だらけのブーツの米兵達とバーで飲んでいましたから、彼らの恐怖心と、米国本土の若者達の徴兵への恐れは痛いほどよく分かっていました
知り合いのGIは自分のライフルで引き金を引く右手の人差し指を撃って、米国本土に帰還となりました
そのせいか?帰国後のプライベイトな生活においては、ほとんど、日本にいた米国人の若い人達(ベトナム帰還海兵隊員を含む)とだけ付き合って暮らしていました
そういう私から見れば、日本の反戦の集いもヒッピー遊びも、長髪もカウンターカルチャーも、戦争も知らず、徴兵の危険もない安全な場所に住む平和ボケの単なるファッションとしか思えませんでした

投稿: alex99 | 2012年4月16日 22:04

alex さん:

>そういう私から見れば、日本の反戦の集いもヒッピー遊びも、長髪もカウンターカルチャーも、戦争も知らず、徴兵の危険もない安全な場所に住む平和ボケの単なるファッションとしか思えませんでした

確かにそんな面はあった(ボケやすい環境であったことは否定できないので)にせよ、戦争を知らずに育ったことと平和ボケとは、きっちりイコールにはならないと、私は思っています。

好んで戦争の直中に行くこともないし。

投稿: tak | 2012年4月17日 23:49

alexさんのコメントを拝見して思いだしたのですが、当時の反戦運動に熱心なヒッピーは批判の矛先を向け違えて帰国してきたベトナム帰還兵につば吐いてたりしてたそうですね。ウッドストックの映画は大学時代にアメリカ学の授業で見たきりなので、私もちょっと遅れ組です(1967年生まれ)。あの頃、アレン ギンズバーグのレクチャーも見に行ったりしました。

とは言え、離婚した旦那(17歳年上)はベトナムへの兵役を逃れておりますし、今のお付き合いしている人(8歳年上)はヒッピーカルチャーにどっぷり浸かっていた(いる?)人なので、私もこの夏おんぶしてGathering of the Vibesというグレートフルデッド関係のコンサートイベントに行くことになっています。ヒッピー文化は昔とは比べ物にならないとは言うものの、いまだに健在なのです。takさんもよかったらお越し下さい(笑)。

という訳で、カウンターカルチャーを直接経験していない私も多少は思い入れのある話題ではあります。日本でどうだったかはもちろん直接には知らないのですが、takさんほどムーヴメントに真剣になった人は少なかったんでしょうね。

投稿: めぐみ | 2012年4月26日 11:03

めぐみ さん:

グレートフルデッドは、まさに永遠なのですね。

私は近頃、毎晩ネットラジジオで Grateful Dead Radio を聞いています。今でも一番しっくりくる音になっちゃってます。

http://www.gdradio.net/

Gathering of the Vibes, 楽しんできてください。
私は 7月 19ー22日の前半は空いてますが、後半がふさがっていて、残念ながら行けません ^^;)

こういうの、日本でやったら何人集まるかなあ。

投稿: tak | 2012年4月26日 14:46

あんなマニアックなことをコメント欄に書くべきか迷ったのですが、takさんも聴かれてるんですね。なんかすごく嬉しいです(゚▽゚*) 私も夜にはよくarchive.orgに収録されたデッドのコンサートを聴いているんですが、gdradioもさっそくブックマークしました。

デッドの日本での知名度は低いとのことなので(なぜでしょう?)、日本でやったらアメリカからはるばる来るデッドヘッズの方が多いでしょうね。

投稿: めぐみ | 2012年4月28日 04:20

めぐみ さん:

デッドの音楽性はカントリーからブルース、ジャズ、サイケデリックにいたるまでものすごく幅広いんですが、どれもこれも、ものすごくアメリカで、「デッドの音」なんですよね。

まったく不思議なバンドです。

日本みたいな、緻密で計算されまくった音を求める市場では、あのぼわーっとした感覚は理解されないのかもしれません。

投稿: tak | 2012年4月28日 15:35

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