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2012年5月 1日

「伝統」をファンタジーにしちゃった教育

私は酒田市立第一中学校という中学校(通称: 一中)を出たのだが、当時は毎週月曜の朝に全校生徒が体育館に集められ、「朝会」 というのに出席させられた。この朝会では校長の話があり、私の在校していた 3年間はずっと Y という校長だったのだが、彼の話は「伝統ある一中生徒、心を一つにして……」という決まり文句以外、何も憶えていない。

この決まり文句、Y 校長は 「心を一つにして」という部分を「こころをシトチにして」と発音するので、入学して最初の朝会では思わずこけてしまったが、それからは毎度のこととて、誰もクスリともしなくなった。

で、「伝統ある一中」というのも、戦後の学制改革で「新制中学」になってから、当時はまだ 10数年しか経っていないし、なんだか意味不明だなあと思っていた。もっとも木造の校舎自体は、歴史を十分感じさせるものだったが、それは要するに、オンボロですきま風だらけというだけの話だったし。

まあ、そのオンボロ校舎が使われていた戦前の高等小学校とか国民学校とかの時代まで含めれば、「伝統ある」ということなのかもしれないが、ことさらに毎週の朝会で繰り返すほどありがたい意味のある「伝統」だったのかどうか、私は今でも疑問に思っている。

第一、「伝統ある一中」の「伝統」とやらの中身が一体どういうものだったのか、誰もわかっていなかったし、具体的に語られたことは一度もなかった。つまり、校長の繰り返していた「伝統」というのは、実体のないファンタジーでしかなかったのだ。

で、こうしたファンタジーとしての「伝統」を、わけもわからずありがたがっていた一方で、現代の教育からはどんどんと「伝統的なもの」が排除されているらしい。例えば、二宮金次郎の像が学校からどんどん撤去されていると聞く。

薪を背負って書物を読みながら歩く二宮金次郎の像は、勤勉と向学心の象徴として、昔はどこの学校にでもあったものだ。それが撤去される理由というのがふるっていて、「子どもに労働をさせるのはいかがなものか」とか「歩きながら本を読むのはあぶない」とかいうお笑いぐさみたいな話のようなのである。

私は二宮金次郎の像を是が非でも保存しろと言っているわけではない。それほど思い入れがあるわけでもないのである。ただ、像を撤去する理由というのが馬鹿馬鹿しすぎて説得力がないので、つい二宮金次郎の味方をしてしまいたくなってしまうのである。

当時は子どもが家事労働を手伝うのは当たり前の話だったし、子どもが薪を背負って歩くような時代には自動車は走っていなかったいうことを教えるのが、それこそ教育というものだろう。そしてまともな教育をしていれば、そんな馬鹿なことを言う大人もいなくなるだろうというものだ。

これもみな、「伝統」というものを単なるファンタジーにしてきた教育の結果なのかもしれない。

 

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コメント

いつも楽しく拝見させて頂いております。
Sennaです。

二宮金次郎の話は各所で出てますが・・・。

あれって、関東(と言うか糸井川?)より東の話なんですかね?
私、出身は九州なのですが、金次郎さんの銅像がある学校見た事ないです。

投稿: Senna | 2012年5月 1日 22:16

金次郎像の撤去の理由というのは、言ってる方も無理矢理こじつけてるのかもしれません。

金次郎像が設置された経緯を見ると(Wikipedia調べですが・・・)、本当は思想的に撤去したいんじゃないかなぁという気がします。

ただそれを表立ってそれを言うと角が立つし、逆に「いままで何で設置してたんだ」と責められかねない。

そんなことなら適当な理由をつけてとりあえず撤去してしまおう、ということなんじゃないでしょうか。

長じてからの功績も、他の偉人と比べてしまうと地味ですしね。

投稿: ヤマト | 2012年5月 2日 01:18

二宮金次郎の像は何回か引越し、転校した私も学校では見たことがありませんが、ロマン(伝統ファンタジー?)を感じてしまいますねー。個人的にはそんなこじつけたような理由で撤去なんて残念に思います。

投稿: めぐみ | 2012年5月 2日 13:17

ヤマト さん:

「適当な理由をつけてとりあえず撤去」だと、私みたいなのがいて、起こさなくてもいい子を起こしてしまいます。(^o^)

長じてからの功績が B級というのは、だからこそいいのかもしれませんよ。

投稿: tak | 2012年5月 2日 13:21

めぐみ さん:

わたしのいた小学校では中庭にありましたが、誰も注目していませんでした。

同窓生の中では、多分、あったことすら知らないというのが半数以上でしょう。

「伝統ファンタジー」とは言い得て妙ですね (^o^)

私としては、ラジオ体操がこんなに長続きしてるんなら、同様に文部省唱歌も二宮金次郎も残して、文化遺産にしてしまえばいいじゃないかと思っています。

投稿: tak | 2012年5月 2日 13:28

Senna さん:

レスが遅れて済みません。

二宮尊徳は相模国(今の神奈川県)の小田原に生まれ、下野国(今の栃木県)に移り、日光で一生を終えたそうですので、まさに関東の人ですね。

どう見ても上方のお洒落感覚は感じません ^^;)

栃木県にはつい最近まで、彼にちなんだ「二宮町」という町がありましたが、今は真岡市に併合されたようです。

ここの道の駅には、二宮金次郎の像があったように記憶しています。

投稿: tak | 2012年5月 3日 09:16

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