大津の事件の、ネットでの実名晒しについて
例の大津市の事件が、いよいよゴチャゴチャ化している。ネット上では「いじめの犯人」とされる中学生とその親の実名がとっくの間に晒され、ちょっと調べればマスコミの報道以上のことが簡単にわかってしまう。
こうした状況について、「ネットで実名を晒すのはいかがなものか」とか、「もし間違いだったらどうするのか」とか、批判的なコメントも多い。確かに、リベラルな視点からしたら、こうした行為は行きすぎだろう。本当に間違いだったりしたら、名前を出された人の人生は大変なことになる。(事実、今回の件でもガセネタがかなりある)
ただしかし、実名晒しを批判して「いい人ぶりっこ」をする気には、私はなれないのである。というのは、ネット社会というのはそういうものだからだ。
7月 6日の "「いじめ」と「イジリ」、あるいは「虐待」と「しつけ」" という記事で書いたように、今回の事件は、「悪役とそのバックに連なる陰湿な構造という、ものすごく典型的な筋立がうかがわれ、それがあまりにも典型的過ぎるので、現代劇というよりは時代劇のような様相」 である。後は水戸黄門の登場が待たれるばかりなのだ。
ところがこれは時代劇ではなく、現代におけるリアルな事件なのだから、すっきりと溜飲の下がる水戸黄門の登場はあり得ない。それで、ネット社会はこぞって「風車の弥七」や「かげろうお銀」になりたがったのだ。圧倒的ヒーローが不在の時代に存在感を発揮するのは、陰の脇役たちである。
繰り返すが、ネット社会とはそういうものなのである。これだけの草の根的ネットワークが張り巡らされてしまったら、いじめの犯人とその親の実名と住所が晒し出されることなど、あっという間の出来事でしかない。
それは言うまでもなく、決して褒められたことではないが、その流れは止めようがないのである。それはいくら批判してもいじめがなくならないのと同じことだ、むしろ長い間いじめ続けることよりも、ずっと短時間で簡単にできてしまう。こんなに簡単にできることを遮るなんて、できっこない。それは人間の「業」みたいなものだ。
どうせ止められないのならば、ネットという名の「より強力ないじめっ子」の力が、「日常的ないじめの抑止力」として作用することに期待するほかないと、私は思っている。
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コメント
気味が悪いのは、そういう実名を晒す「より強力ないじめっ子」の側は、たいてい匿名なんですよね…。それによって抑止されるのが「日常的ないじめ」だけならいいんですが、もっと別の何かも抑止されてしまわないか、というのが心配です。
しかし考えてみたら、前近代的な「世間」では、そういう空気圧が普通に働いていたわけか。何か不祥事を起こせば、あっというまに村全体に知れ渡ってしまい、居場所がなくなってしまう。「世間さまに顔向けできない」というときの「世間さま」なのかなぁ>ネット
投稿: 山辺響 | 2012年7月18日 17:13
山辺響 さん:
ネットの機能というのは、かなり複雑多岐にわたりそうな気がします。一筋縄ではいきませんね。
「ネットと世間」 については、大分前に考察していますので、ご参考までに。
「世間」 と 「ネット」 はよく似てる
https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2006/02/ululu.html
「世間」 にも狭義と広義があって
https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2006/02/__385c.html
投稿: tak | 2012年7月18日 18:16