死ぬ算段
還暦になってしまったからというわけでもないと思うのだが、最近、死ぬことばかり考えている。いや、世をはかなんでしまって死にたいというわけではない。それどころか、ちゃんと意気盛んで、まだまだ死にそうな気はしていない。
まだまだ死にそうではないのだが、やはり死ぬことの算段はしておかなければならないと思うのである。それは昨年父が死に、今年伯父が死んで、葬式に出たからかもしれない。とにかく、死というのはいずれ来るものなのだ。
『般若心経』によれば、諸法は空相であり、生まれることもなければ滅することもないというのである。それどころか老いたり死んだりすることもなく、老いたり死んだりすることが尽きるということもない。つまり、生まれたり老いたり死んだりというのは幻の如きことなのだ。
とはいえ、幻の如きこととはいいながら、人は生まれ、老いて死んでいくように見える。どうせ幻なのだから、生まれ、老い、死んでいけばいいのである。しんどいことではあるが、それを厭うてもしょうがない。幻と思えば気軽に引き受けられる。
どうせ幻なのだから、その幻のほころびを補填するために、必死に医療に頼ろうという気もあまりしない。幻は幻としてサクサクと走馬灯のごとき流れに任せていればいい。死ぬように見えるときは、ちゃんと死ぬように見せておけばいい。それも功徳である。
よく生きることとはよく死ぬことであるというが、そんなわけで、今のウチから死ぬ算段をしておくのも悪くないと思うのである。
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