« あまりの暑さで屋根職人が落下 | トップページ | Apple 対 Samsung の争いを巡る冒険 »

2012年8月27日

米の消費が急減しているらしいが

「私は白い御飯が大好きで……」と言う若い女性が増えた気がする。昔はそんなことはあまり言わなかった。好むと好まざるとに関わらず、米の飯以外の選択肢は少なかった。それ以前の、米の飯すら贅沢だと思われていた時代と比べれば幸せということだが、ことさらに「白い御飯が大好き」なんていう人は、それほど多くなかった。

ただ、それにしては米の消費は減り続けているらしい。農林水産省によると、2011年度の国民 1人当りの米の年間消費量は 57.8kg で、最高だった 1962年度の 118.3kg の半分以下になっている。

総務省の家系調査では、2人以上の世帯の米の購入金額が、初めてパンに抜かれてしまったという。パンの購入が急増したというわけでは決してなく、米の購入額が勝手に急減してしまった結果だ。

ただ、素材である米と製品であるパンを、金額で比較するというのはちょっとおかしいんじゃないかという気もするが、まあ、それはあまり追求しないでおこう。追求しすぎても、あまり意味のあることとも思えないし。

どうやら、本当に米の飯がたくさん食われていた時代は、好きも嫌いもなかったが、前ほど食われなくなった今の世の中になって、「好き」と言われ出したようなのだ。米の飯にしてみれば、ちょっとしたアイロニーである。

若い娘ッこが「白い御飯が大好きで……」というのは、どうも主食としてワシワシ食うというイメージじゃなく、むしろ嗜好品みたいな感じで言ってるんじゃなかろうか。米の飯に関するイメージは、確実に変わってきていると思う。

ちなみに、米というのは基本的には偉大なる食物で、栄養的にみるとかなりバランスがいいらしい。一日に必要な栄養は、一升飯を食えばほとんど摂取できるという。玄米にしてしまえば、さらにいい。ただしパンを一升食っても、それは無理だ。

また、米を生産する田んぼというのもかなりすごいもので、弥生(あるいは縄文?)の昔以来、同じ地面でずっと単一作物を栽培し続けてきて、なお土壌がイカれてしまわないというのは、稲以外の作物では不可能という説がある。麦などは同じ畑で収穫し続けたら、土壌が痩せてしまう。

なんだかんだ言っても、米というのは、最後の最後には強いのである。それだけはしっかりと覚えておこう。

 

|

« あまりの暑さで屋根職人が落下 | トップページ | Apple 対 Samsung の争いを巡る冒険 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

私も「白いご飯が好き」という発言を漠然と不思議に思っていました。
なるほど、そういう言明をする方々の意識の中では、お米がいわゆる主食という超越的な地位から、その他大勢の食品と同等の地位に転落していたという訳なんですね。

投稿: きっしー | 2012年8月28日 09:49

きっしー さん:

主食であれば、好きも嫌いもないと思うんですよね。
お米はもう、「最もよく食べられる嗜好品」なのかもしれません。
嗜好品だから、そんなに量は求めず、ちょこっとだけいただくと。

投稿: tak | 2012年8月28日 13:21

>パンの購入が急増したというわけでは決してなく、米の購入額が勝手に急減してしまった結果だ。

食事に占める、「いわゆる主食」の比重が低下しています。

かつて御飯はまぎれもなく主食だった。
肉が好き、魚が好き、とはいっても、
おかずをとる目的は、御飯を美味しく大量に食べるためだった。

そのころ、「アメリカ人の主食はパンではない、肉だ。」と聞いたことがある。

昨今、食事が洋風化したといわれるが、
食事の洋風化とは、主食の概念をなくし、
メインデッッシュと その引き立て役、とすることではなかろうか。

「白い御飯が大好き」は、昔の、「お新香大好き」のニュアンスだ。
消費量は減るはずだと思う。

投稿: McC | 2012年8月28日 22:54

McC さん:

「主食」という概念があるのは、ある意味幸せなことなのかもしれないですね。

肉しか食うものがない国では、さぞかし暮らしにくいだろうと思います。

投稿: tak | 2012年8月29日 23:53

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 米の消費が急減しているらしいが:

« あまりの暑さで屋根職人が落下 | トップページ | Apple 対 Samsung の争いを巡る冒険 »