« まだまだ続く旅の空 | トップページ | 熊本は案外涼しいじゃないか »

2012年8月31日

高麗屋はどうして「松本」と「市川」を名乗る?

染五郎が舞台から転落事故を起こしたと聞き驚いた。父の幸四郎が転落の音を聞いて駆けつけた時には、奈落は血の海で、最悪の事態も想定して「覚悟を決めました」と語ったという。いやはや、そんな「最悪の事態」にならずに済みそうで、よかったよ。

ところで、歌舞伎ファンになったばかりの時に感じた疑問、「どうして高麗屋は、親子で名字が違うんだ?」というのを、ふと思い出した。高麗屋の跡取りは、「松本金太郎 → 市川染五郎 → 松本幸四郎」という順で名を継いでいく。途中、染五郎の時だけ、「松本」ではなく「市川」になるのだ。

この当初の疑問は、そのうちに自分の中ではあまりにも当たり前のことになってしまって、きちんと理由を調べることもないままに、今まできてしまった。理由はことさら調べていないが、まあ「市川団十郎家と松本幸四郎家の特殊なほど強い関係から、そんな風になっているんだろうな」と、薄々思ってはいた。

市川団十郎家(成田屋)で跡取り息子に恵まれなかった場合、弟子筋に当たる松本幸四郎家(高麗屋)から養子を迎え入れて団十郎を継がせるということが、度々あった。最近では、こないだくだらない喧嘩でボコボコにされた海老蔵のお祖父さん、十一代目団十郎が、七代目幸四郎の息子である。

だから、当代の団十郎と幸四郎は従兄弟同士で、その息子の代の海老蔵と染五郎は、はとこ同士ということになる。まあ、梨園の御曹司は従兄弟同士や、はとこ同士がやたらと多いから、珍しいことではないが、成田屋と高麗屋はとくに縁が深い。

遠くは四代目と五代目の団十郎が、それぞれ一度、二代目と三代目の松本幸四郎になってから市川団十郎を襲名し、その後また幸四郎に戻ったりしている。二代目幸四郎は、実は二代目団十郎の種だったという説もあるが、それは今となっては検証のしようがない。

とまあ、それほど成田屋と高麗屋は深い縁にあるので、四代目の幸四郎あたりから、市川染五郎とか市川高麗蔵を名乗ってから幸四郎を襲名するというのがパターンになったようだ。

改めてググってみると、模範解答としてそんなような理由が述べられていて(参照)、私の推測は間違いじゃなかったようだと、少しホッとした。

 

|

« まだまだ続く旅の空 | トップページ | 熊本は案外涼しいじゃないか »

芸能・アイドル」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 高麗屋はどうして「松本」と「市川」を名乗る?:

« まだまだ続く旅の空 | トップページ | 熊本は案外涼しいじゃないか »