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2012年9月28日

複雑なことを単純に考えて満足するのは、中途半端に賢い奴

巷では、「バカな奴は単純なことを複雑に考える。普通の奴は複雑なことを複雑に考える。賢い奴は複雑なことを単純に考える」と言われている。ずっと昔から言われている言葉と思っていたのだが、どうやら稲盛和夫氏の名言とされているらしい。

これについては私はいささか疑問をもっていて、「複雑なことを単純化して考える以上の賢さ」というタイトルで、2年ちょっと前に書いている。そして最近、もうちょっと単純に(つまり限界的な賢さをより洗練させて)考えることができるようになったので、書いてみようと思う。

これって、本当は「考える」ではなく、「説明する」と言い換えるとしっくりくるんじゃなかろうかということだ。つまり、「バカな奴は単純なことを複雑に説明する。普通の奴は複雑なことを複雑に説明する。賢い奴は複雑なことを単純に説明する」というわけだ。

そしてさらに単純化してしまうと、「バカな奴の説明を聞くと、ますますわからなくなる。普通の奴の説明は聞いても聞かなくても同じ。賢い奴の説明で、ようやくわかる」ということだ。つまり、説明とは複雑なことを易しく言い換えることだから、バカな奴の説明は、説明になっていないということである。要するに自分がよくわかってないから。

論理思考というのは基本的に二者択一の繰り返しで展開される。これを「弁証法」といって、論理思考の基本モデルだ。しかしそれは裏返して言えば、人間は単純化しないとまともに思考できないというだけのことなのだ。つまり、複雑なことを複雑なままにしていては、考えているようで何も考えていないのである。だから当然、説明もできない。

思考するということの大半は、複雑な構造を単純化する作業に費やされる。それさえ十分にできれば、8割以上の作業を終えたということになる。その上で結論を出すのは、とても簡単なことだ。

複雑なことを単純化して説明できる奴は、世間では「あの人は賢いから、何でもわかりやすく説明してくれる」なんて言ってもらえる。言い換えると、上手に説明してもらうと、誰でも楽に「わかったつもり」になれて、ろくに考えなくても結論が出せるということだ。組織においては「説明」がいかに重要かということである。

しかし、「単純化して考えて、上手に説明できる」 というだけで終わってしまうのは、「中途半端に賢い奴」しかない。単純化するための視点はいくら賢くても人それぞれに違うから、同じことを説明するにも人の数だけ「わかりやすい説明」があって、それによって導かれる結論も微妙に違ってくる。

言うまでもないことながら、実際の世の中の「複雑系」の動きは、思考と説明のための「単純化モデル」では説明しきれない。だから、世の中の動きは論理的思考の結論を平気で裏切る。

だから、「より賢い奴」というのは、複雑なことを単純に説明できて、その上で「これでかなりの部分を説明できているけど、カバーしきれない部分も残されている」ということに自覚的である。

世の中のいろいろな事象に関して、「論理思考」による結論で「想定」ということをすると、必ず「想定外」の現象によって裏切られる。それは、なまじ想定なんかするからいけないのである。つまり論理思考ってやつは、普段は役に立つけど、時々期待を裏切るのだ。

どんなに詳細なデータを打ち込んで、スーパーコンピュータをフル稼働させて出した天気予報も、明日のことはよく当たるが、明後日以後のことはよく外れる。3ヶ月先の天気(季節予報)なんて、今でも当たることの方が少なくて、気象庁の言うことと逆になると思っている方がましだというほどのものだ。経済予測もそれに似たところがある。

中途半端に賢い奴は、「正しいのは俺で、世の中の方が間違っている」と思いがちだが、天気予報や経済予測のことを思えば、そういうのを日本語では「至らない」というのだということがよくわかる。世の中の姿というのは「不確実性に満ちた複雑系」であって、究極的には人間の脳如きで単純化なんかしきれるわけがないのだ。

だから稲盛さんも、複雑なことを単純に考えてある程度通じる経営問題より深いところに関わるには、仏門に入ってしまうしかないのかもしれないね。

 

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コメント

ご無沙汰をいたしております。

上司に進捗説明をしているのに…。

細部を掘り下げる訳でもなく、今後の展望を確かめるのでもなく…。

「何故その状態」なのかを、こんこんと。(いわば対話のループです。)

「私には、そんなにも落ち度があるんですかぁ!」と聞きたくなるぐらいのネチネチです。


同じテーマで、同じ方向なのに、なかなか次の展開を望めません…。

こちらは、結論(指示)をいただきたいのに、ご自身が納得(気分的)しないと…、(あのね、勝手に進められないのに)どうしたらよいの???


そうか。
説明が“バカの部類”ということで、一応納得しました。

まだまだ、修業が足らないことを、痛感いたしました。


(長々とありがとうございました)

投稿: 乙痴庵 | 2012年10月 2日 01:17

乙痴庵 さん:

何度説明しても、同じことを繰り返し聞かれるってことがありますね。

「それは、さっき言っただろうが!」 と、イラッときます。

そういう場合、相手は説明された通りの文脈で解釈できないんです。自分の文脈でないと理解できない。理解の間口が狭いんですね。きっと。

「○○は消化が悪い」 と言ってもピンとこなくて、「○○を食べると、お腹を壊す」 ならわかるってな感じです。

相手の思考メソッドの傾向を理解して、言い換えてあげると通じたりします。なかなかうっとうしいことですが。

投稿: tak | 2012年10月 2日 21:42

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