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2012年9月26日

「漢字が書けなくなった」 ことの弊害とは?

文化庁から平成 23年度版「国語に関する世論調査」の結果が発表された。この中で最も注目されているのが、報告書 P7 の「多様化する情報交換手段の日常生活への影響について」という項目で、7割近くの人が「漢字を正確に書く力が衰えた」と感じているという点である。

ちょっと一言だけ言いたいんだけれど、この項目に関する説明で、報告書の文言では、「携帯電話や電子メールなどの普及による情報交換手段の多様化が,日常生活に影響を与えている」となっている。これ、私としてはちょっと気持ち悪い。

ハードウェアとしての「携帯電話」と、ソフトウェアとしての「電子メール」をあまりにも無神経に並べすぎていると感じないだろうか。漢字変換システムを使うのは「電子メール」だけじゃないんだから、私なら「パソコンや携帯電話などの普及による……」と言い換えたいんだが、それはまあ、いいや。

話を戻すが、漢字が書けなくなったと感じる人が多いのは、これはもう当然の話である。私なんか、仕事にワープロを使い始めた 30年以上前からそれを感じている。手で書かないんだから、書けなくなるのは当たり前だ。

調査によると、60歳以上の人でも 55.6%がそう感じていて、10年前より約 30ポイントも上昇している。それも当然で、10年前の 50代の人が今回は 60歳以上になっていて、彼らの多くが、既にパソコンやケータイに馴染んでいるのだ。

ただ、「漢字を正確に書く力が衰えた」という事実の弊害があるかといえば、私の実感では、フツーの生活をしている限りは、ほとんどないのである。まるで困らない。あまり困らなすぎて、かえって困惑してしまうぐらいのものだ。

私は公式な文書を書く場合はほとんど電子機器を使う。手書きの手紙や葉書を書く場合でも、年配の人とはまったく逆の発想になるかもしれないが、PC や iPad で下書きをしてから、手書きで清書する。まったくの手書きは、仕事上の取材や、会議、電話の時の「メモ書き」ぐらいしかない。

だから私のメモ書きは、カタカナがやたら多い。何しろ時間との勝負だから、無理に漢字を思い出すよりも、瞬間的にカタカナで書くことになる。「インフォメーション」だの「モチベーション」だの「コンプライアンス」だののややこしい外来語は英語で書く方が速かったりするから、私のメモのカタカナは、「漢字忘れた!」の結果の方が多いのである。

メモ段階でカタカナになっても、原稿を書く時は PC を使うので、漢字を書く苦労はない。「同音異義語などの使い方が乱れる」なんて心配をする人がいるが、読む時にちゃんと意識的に読めているのだから、書く時に乱れるなんてことはない。気を付けなければならないのはむしろ「確率/確立」「国家/国歌」などのうっかりミスである。

とはいいながら、「漢字を読めるのに書けない」というのは、やはりどこか、目に見えないところで間接的な影響を生じさせているんじゃないかという心配がある。脳内回路のどこか切断されてしまった結果、発想力が「健全な伝統的日本人」よりもずっと貧弱になってしまっているんじゃないかなんて、妙なことを思ってしまうのだ。

「じゃあ、具体的にどんな影響だ?」と聞かれても、正確に答えられないどころか、実は見当もつかない。それでますます心配が広がってしまうのである。日記でも書こうかなあ。それも縦書きで。

 

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言葉」カテゴリの記事

コメント

そういえば私も漢字書けなくなりました。
漢検受けてみるといいかもしれないですね。

投稿: hiroyuki | 2012年9月26日 12:45

今回はインパクトがありました。

私はメモを取るときは、カタカナだと文字数が置くなるので音読みが一緒な当て字になっています(あとで気づくのですが。メモるときどれだけかけるかが勝負ですからね。)。つまり、本記事でいう、確率のとき確立と書いていたり、国家なのに国歌と書いていたり・・
で、再度メモを見返してみると意味がわからないものになっています。その時の状況も思い返さないと意味がわからないのです。
ですから、メモの意味がなさなくなる前に早いこと頭に刻みつけています。清書にとる形などとして。

結論は、漢字を忘れると、言葉の価値がわからない希薄なものになるような気がします。語言がわからなくなる。

かなやカタカナの基ですし。

わたしも最近手書きで日記を付けています。今は放り出し中ですけど、付けようとはしていますよ(・<)☆←ただ単に言いたかっただけです。

投稿: BEKAO | 2012年9月26日 17:24

カタカナだと文字数が置くなるので」は、
カタカナだと文字数が多くなる」です。
モヤモヤしましたので。

と、これくらい忘れてどうする。わたしの頭はまだいけている!というのもあります。←こちらの方が大きいです。

投稿: BEKAO | 2012年9月26日 17:45

・・・再度、申訳ございません。

語言は語源です。

私が伝えたいことが通じなく、意味が通じなくなるところでした。

投稿: BEKAO | 2012年9月26日 18:09

本件に関し、比較的早い時期に問題提起された方です。
わはは。
http://www.youtube.com/watch?v=Efy25Txzg9s

投稿: きっしー | 2012年9月26日 18:34

hiroyuki さん:

>漢検受けてみるといいかもしれないですね。

コワイことおっしゃいますね ^^;)
自信ないです。

投稿: tak | 2012年9月26日 21:17

BEKAO さん:

>私はメモを取るときは、カタカナだと文字数が置くなるので音読みが一緒な当て字になっています(あとで気づくのですが。

よくわからないお話です。

あなたの場合は、メモに字数制限があるんですか? 字数を少なくするために、敢えて同音異義語にすることに、何の意味があるのですか?

それとも、敢えてそうしているわけじゃなくて、単に間違ってしまっているだけなんですか?

>語言は語源です。

フツーに 「ごげん」 と入力したら、「語言」 なんて変換はされませんよね。わざわざ区切って変換されましたか?

これはもしかして、「音読みが一緒な当て字になっています(あとで気づくのですが」 ということの実例ですか?

そうだとしたら、恐縮ですが、国語の書き取り問題からやり直されるほうがいいと思いますよ。

投稿: tak | 2012年9月26日 21:29

きっしー さん:

>本件に関し、比較的早い時期に問題提起された方です。

2000年 12月 11日というのは、確かになかなか早いですね。

そういえば、私も今回と似たようなことを書いた憶えがあると思って検索したら、2006年 11月 21日に書いてました。

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2006/11/post_410f.html

それより 6年近く早いとは、ダンス☆マン、ただ者ではないな (^o^)

"IT'S TIME TO PARTY NOW" と聞き比べて、「なるほど!」 と納得しました。

投稿: tak | 2012年9月26日 21:41

わざとの変換ではありません。
わたしのパソコンではそう変換されました。
変換機能そのままの状態で記憶させず(ちなみに一気に変換させたらこのようになりました→木尾九佐瀬図)使用しているからかしら。

国語は今勉強中です。
      

投稿: BEKAO | 2012年9月27日 12:54

BEKAO さん:

日本語入力システムを、よほど特殊な設定で使用されているとしか思われません ^^;)

投稿: tak | 2012年9月28日 00:14

私は逆に、漢字が書けるようになった方です。
元々漢字が苦手だったので、パソコンのお世話になる前から、手書き文書での漢字部分は仮名(私の場合は平仮名!)でした。
ところがパソコンで文書を作成するようになると、無意識に漢字を多用してしまいます。
こうして漢字に依存するようになると、手書きで文書を書くときも、漢字を使わないと落ち着かなくなってしまいます。
こうして、パソコンを使うようになってからの方が、私は漢字が書けるようになりました。

投稿: A-11 | 2012年9月30日 00:14

A-11 さん:

パソコンで文章を書くと、ややもすると漢字の使いすぎになることがありますので、ご注意ください。

投稿: tak | 2012年9月30日 18:54

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