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2012年9月29日

実家を「うち」と呼べない理由

emi さんが「夫が実家のことを『うち』と呼ぶのが嫌」 という話を聞いて、「ぽかーん」としていらっしゃる(参照)。ネット上には、夫が自分の実家を「うち」と称することに違和感を覚える妻が多いようなのだ (参照)。

emi さんは、「生まれ育った最初の『うち』がいつまでも 『うち』 なのは当たり前でしょ。なにが気に障るのか、さっぱりわからない。が、意外なことにこれ、妻たちの間では "あるある" のカチンと来るネタらしい」と述べておられる。

振り返って自分のことを考えるに、私自身は自分の実家のことを「うち」と言ったことはないと思う。山形県の酒田という田舎町の高校生だった頃の私は、とにかく家を出たくてたまらなかった。

うまいこと東京の大学に合格して、実家を脱出することができたのは、昭和 46年。そう、私にとっての実家は、「脱出してきたところ」なのである。何度も気軽に帰ってはいるものの、「本拠地」(home) では決してない。

私の父と母は両方とも既に他界したが、最後まで彼らを「捨てた」という意識になったことはない。決して親孝行ではなかったが、関係性はとても良かった。両親も先祖も捨ててはいないが、「実家」に関しては、明らかに脱出したのである。だから、実家は 「うち」(home) ではない。

私としては自分の実家を「うち」と呼んでしまったら、自分のアイデンティティが損なわれてしまったような気がするだろう。だから「実家」と言わずに「酒田」と言っている。

これはあくまでも私個人の問題だから、配偶者が自分の実家のことを「うち」と言う分には、まったく気にならないと思うが、私の妻も、あまりそうは呼ばないタイプの人間である。

私同様、彼女も実の両親との関係は良好だが、「実家」に関していえば、やはり脱出してきたところという位置づけのようなのだ。これって、60年代後半から 70年代初頭にかけての、独特の感覚なんだろうか。

とにかく「家」というのは、それを捨てて、「街に出る」ためのものだったと思う。思えばずいぶん単純な時代だったよね。

 

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