米国在住の emi さんが、"Joking Around" と、「マクドナルド」という興味深い記事を 2本、立て続けに書いておられる。後者は私が一昨日書いた 「マクドナルドのセットメニューって、ビミョーにボッてるのね」という記事にトラックバックされている。それに加えて、私は昨日、「ビニール傘と日本人」という記事を書いた。
ここにあげた 4つの記事をつなぐキーワードは、「思考停止」である。発端となった私のマクドナルドのセットメニューに関する記事の最後の 2行は、こんなものだった。
それにしてもマックに限らず、「深く考えさせない戦略」というのは、現代社会にかなり深く浸透してるよね。
これは、マクドナルドが 「実はビミョーに割高かもしれない」 セットメニューに、客を巧妙に誘導する戦略をとっているらしいということを言っている。よーく考えれば、単品組み合わせでオーダーする方がボリュームがあって安いということに客が思い至らないように、店の造りと雰囲気ができあがっているのである。
これに関して emi さんは、「もし私がカネ儲けをするのなら」 と視点を変えて、次のように書いておられる。
今の日本人は、いわゆる思考停止を好んで行う。
自分は何が好きか嫌いか、何をしたいかしたくないか、わからない。
「わからない」 と口にすることを恥ずかしいとさえ思わない。
決めること、考えることを強いられるとストレスを感じ、逃げたくなる。
誰かに説明/解説/決断/判断をしてもらうと安心する。
これは社会的および教育的にはとんでもなく重大な問題であり
愛国心のある者なら危機感を覚えるはず。
だが、もし私がカネ儲けをするのなら、これを使わない手はないと思う。
消費者が考えることを放棄したがるのならば
そこにはカネをむしり取る隙ができる。
この発想に従って、考えることをおっくうがる消費者に、「決めるの苦手でしょう?こちらでやりますよ」「簡単にしておきましたよ」「難しいことは知らなくていいんですよ」「考えるのはやめて休んでいてください」「みなさんそうしてますよ」とたたみかける戦略をとるというのだ。なるほど。マクドナルドのメニューはこの線に沿っている。
emi さんは、「そしてこの問題に気づいていないのは日本の外にはあまりいない」として、「日本人に思考をさせないために、カネを出させるために、世界は必死で知恵を絞り、さまざまな仕掛けをしてくる。がんばれ、ニッポン」と結んでおられる。emi さんて、案外憂国の情に溢れてる。
そしてこのことは、emi さんの 4日前の「珍しくアメリカを褒めてみる」の 1行で始まる "Joking Around" という記事にも関連する。
内容は、emi さんの済んでいるアパートの管理人から、「コンクリートのシーリングをするため、木曜は朝 9時から夕方 4時までガレージを使わないでください」という、紙切れ 1枚のお知らせが、前日の水曜日にあり、住人はそれに文句も言わず、当然のこととしてきっちり従ったというものだ。
emi さんは、これに関して次のように指摘する。
日本だったらこうはいかないと思う。
「あ、すみません、お知らせ見ませんでした」
「忘れてました」
「ちょっとぐらいいいじゃないの」
「そもそも前日にお知らせってありえない」
「家賃払ってるのはこっちだぞ」 etc. etc.
いろんな言い訳やクレームで足並みを乱す人がきっと出てくる。
米国では、ルールはルールである。「アパートの管理人がガレージを使うなといえば、たとえ周知がイマイチでも、テナント側に言い訳は許されない。従うのが当たり前なのだ。そうすることで皆も自分も気持ちよく暮らせる」ということだが、日本では「いいじゃない、ちょっとぐらい」という意識が常につきまとう。
私はこの記事に、次のようなコメントを付けさせてもらった。
日本では「目に余る」という状態になった時、別の言い方をすると、「打たれるほどの『出る杭』になった時に、初めて 「ルール違反」と認識されるようなのです。
多くの人が同じぐらいのレベルでルールを破っているうちは、それは見過ごされるべきであるという無意識的合意があるように思えます。
ということなので、「出る杭」になってしまうと、時にはわけのわからない理由で取り締まられます。
これに対して、emi さんは次のレスを付けてくれた。
「ルール違反かどうか」よりも「みんながしているかどうか」のほうが重要というわけですね。これも思考停止の一例でしょう。
まさに「みんなで渡れば恐くない」という意識が支配している。日本を出てみるとわかるが、外国では信号無視が当たり前だが、「みんなで渡れば」なんてことは、全くない。それぞれがてんでばらばらに、「勝手に単独で」、つまり「自分の判断で」信号を無視する。
私は10年以上も前に、「赤信号は、本当に皆で渡れば恐くないか?」という記事を書いて、「赤信号は一人で渡るから恐くない」と主張している。よく見もせずに、前に倣えでぞろぞろと渡ったら、危なくてしょうがない。
昨日の記事でちょっとだけ触れたが、有名な「沈没船ジョーク」は、船が沈没しそうになった時、いろいろな国から来た乗客を率先して海に飛び込ませるために、どのように声をかければいいかというものだ。
アメリカ人には 「今飛び込めば、英雄になれます」、ドイツ人には 「飛び込むのが規則です」、イタリア人には 「美女が泳いでます」、フランス人には 「決して飛び込まないでください」、そして日本人には、「みなさん、飛び込んでいらっしゃいますから」と伝える。なるほど、それぞれの国民性をよく表わしている。
確かに、日本人はもう少し「自分で考えてみる」という訓練を積む必要があるだろう。私は常々、「ほんのちょっとだけ『へそ曲がり』になればいいだけ」と言っている。へそ曲がり的に考えると、大抵の場合、付和雷同するよりずっといいソリューションが見つかるものだ。
ちなみに沈没船ジョークには最近、「韓国人には」というのが付け加えられていて、「ぐずぐずしてると、日本人が先に飛び込んじゃいますよ」と言うのだそうだ。これは効果抜群だろうなあ。
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