「蛇の目でお迎え」 という文化
「あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかえ うれしいな」という歌詞の歌は、「あめふり」というタイトルの童謡だが、作詞が北原白秋というのは、今しがた Wikipedia で調べてみて初めて知った。この歌、最近の小さい子たちは、多分知らないだろう。
今日カーラジオを聞いていると、ある年配の女性からの投書が読まれた。小学生の頃、学校が終わる前に雨が降り出し、友達は皆、母親に雨傘をもって迎えに来てもらっているのに、自分の母は仕事をしているので来てくれず、たった一人で玄関に取り残された。その時、学校の先生にやさしく送ってもらったという思い出をつづったものだった。
ふぅむ、そういえば昔は学校が終わる前に雨が降り出すと、家の者が傘を持って迎えに来るという風習があったものなのだよね。おかげで、学校の玄関はごった返していた。テレビの「サザエさん」のアニメでも、夕方、傘を持って波平さんとマスオさんを駅まで迎えに行くという場面が時々出てくる。古き良き時代のお話だ。
振り返れば、私も傘をもって迎えにきてもらったことが 2度ある。最初は幼稚園の頃で、母が迎えに来てくれた。その母は間もなく勤めに出たから、2度目は小学校の低学年の頃で、迎えに来たのは祖母だった。病弱な祖母はその迎えで大儀な思いをしたというので、以後 2度と来てくれなくて結構ということにしたような気がする。
というわけで私はそれ以後、家人に傘をもって迎えに来てもらったことはなく、雨が降ればずぶ濡れになって走って帰った。私としても、迎えを待つより走って帰った方が早いし気楽なので、それで風邪をひくなんてことも、淋しい思いをするなんてことも、まったくなかった。
私が今に至るまで、多少の雨では傘をさす気になれないというのも、実はこの頃に養われた感性なのかもしれないと、ここまで書いて思い当たった。
そして自分が親になって子供を持つ頃になると、私の妻は多分、学校に傘を持って子供を迎えに行ったことなんて、一度もないだろうと思う。これは決して親が薄情になったというわけではない。ただ、日本はそういうふうに傘を持って子供を学校まで迎えに行くという文化の国じゃなくなったんだと思う。
今でも傘を持って迎えにいく母親が少しはいるのかもしれないが、少なくとも迎えの親たちで、学校の玄関がごった返すなんていう光景は、絶えて久しいだろう。
この変化の最大の要因は、天気予報の進歩だろう。昔は鉄砲の弾と天気予報は滅多に当たらないと言われたほどで、ラジオの天気予報が 「晴れのち雨」 なんて言っても、あまり真に受けなかった。だからたまに天気予報が当たると、傘を持って迎えに行くという光景が見られたのである。
ところが最近の天気予報は、少なくとも当日と翌日の天気ぐらいなら、とてもよく当たる。お天気キャスターが「今は晴れていても、昼過ぎから広い範囲で雨が降ります」と言ったら、大抵の人は素直に傘を持って出かけるようになったのである。だから当然、迎えもいらない。
「帰る頃には雨になるから、ちゃんと傘を持つのよ」と母親に言われても、それを聞かずに学校に行ってしまったら、それはもう、いくら子供とはいえ自己責任というものだ。何しろ母親としても、子供はちゃんと傘を持って行ったと思い込んでいるし、近頃は共働きが多いから、「蛇の目でお迎え」なんていう文化は廃れてしまったのである。
それにしても、日本人は本当に 「雨が降ったら傘をさす」 民族なのだなあと思う。先月 7日に「ビニール傘と日本人」という記事で、そんなようなことを書いたのだが、わざわざ学校や駅まで傘をもって迎えに行くという文化がつい最近まであったことまでは、書きそびれていた。
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コメント
takさんっ、「蛇の目でお迎え」文化が形を変えて残っているところが今もあるじゃないですか。
郊外の駅の玄関口ですよ。雨の日の朝夕の駅へ向かう道は、出迎えのクルマで交通渋滞ってところ、多いのではないでしょうか。
そういうクルマの運転者チラ見すると、おおむねママさんっぽい人だったりしますよね。普段は駅から徒歩・自転車なのを今日は雨だからと出迎えしてるんだなー、と。
ちなみに私の出身小学校は、傘忘れた人の為用の置き傘が大量に用意してあって、お迎えほぼ無用状態でした。世代的にはぎりぎり目お出迎え文化の時代ではあるのですけど。
投稿: まこりん | 2012年11月 2日 00:45
まこりん さん:
>郊外の駅の玄関口ですよ。雨の日の朝夕の駅へ向かう道は、出迎えのクルマで交通渋滞ってところ、多いのではないでしょうか。
そ、そういえば、そうですね。
駅まで徒歩 15分とか、自転車で 20分とかいうお父さんが多いんですね。
でも、私の感覚なら「徒歩 15分ぐらいなら、歩けよ」「自転車だったら、雨具ぐらい用意しとけよ」 って感じですけどね ^^;)
投稿: tak | 2012年11月 2日 01:01
takさん、初めまして。
もう何年も毎日楽しみに読ませていただいておりますが、今日は我慢ならずに飛び出してきてしまいました。
近年は「ゲリラ豪雨」とやらで、突然激しい雨が降り出すことがありますね。最寄り駅から徒歩3分の我が家でも、たまに夫や娘から「カサ〜」のSOSが入ることがあります。
そんな時、私は家でいつのまにか増殖してしまったビニール傘を数本持って駅に走り、困っている人に「どうぞこれ使って!」とさしあげます。
びっくりする人、戸惑う人、感謝してくださる人、傍らで大ウケしてくれる人など、さまざまな反応が面白くてやめられません。
にわか雨の夕暮れにどこからともなくあらわれて、道ゆく人に「カサお持ち?」とビニール傘を押し付ける…都市伝説「ビニ傘女」がささやかれるようになったら、それは私です。(笑)
投稿: ひっしー | 2012年11月 2日 01:39
俺もあんまり迎えに来てもらった覚えがないですねー
投稿: hiroyuki | 2012年11月 2日 17:36
ひっしー さん:
私、傍で大ウケしちゃう人です。
現に今、感動的に大ウケして、拍手しちゃってます。
これからも、ビニ傘女、お続けください。
いいお話をありがとうございます。
投稿: tak | 2012年11月 3日 16:19
hiroyuki さん:
それが、今の多数派でしょうね。
投稿: tak | 2012年11月 3日 16:30
「お迎え」文化が廃れたのは天気予報の精度が増したから、という分析も秀逸なら、「クルマでお迎え」という形で残っている、という指摘も面白い。でも一番面白いのは「ビニ傘女」ですね(笑) ビニール傘は天下の回りもの、だと思っています。
投稿: 山辺響 | 2012年11月 7日 08:57
山辺響 さん:
「蛇の目でお迎え」→ 「車でお迎え」というのは、ドーナツ化現象の象徴かもしれませんね。
>ビニール傘は天下の回りもの、だと思っています。
その昔、「28歳 OL。」 の Reiko Kato さんが、「ビニール傘はフリーウェア」 と書いていたので、私も 「ビニール傘は天下の廻りもの」 と書いたことがあります。
https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2006/04/post_b45c.html
Reiko Kato さん、時々鋭いことを書いてたけど、忽然と姿を消して、その後はどうしてるんでしょうね。
投稿: tak | 2012年11月 7日 20:33
昔は傘が高価で子供が自分用を持てず、一家に一本くらいを使いまわしていたのではないでしょうか
「あめふり」は1925年(大正14年)の童謡で、当時の物価はわかりませんが
1951年(初任給3-4000円程度)に傘が905円らしいので大正当時はもっと高価だったのではないでしょうか
傘と床屋の値段の推移
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4700.html
投稿: bero | 2012年11月 9日 16:48
bero さん:
貴重な考察、ありがとうございます。
確かに傘は貴重品だったかもしれませんね。
ただ、一家に一本というほどではなかったと思います。
というのは、一本の傘を修理しながら長く使っていたので、一家を構えて何年かすれば、複数の傘を所有するということにはなったと思います。
とはいいながら、子供に傘なんか持たすと、きっとどこかに忘れてきてしまうので、多少手間はかかっても、雨が降るたびに迎えに行く方が経済的ということだったかもしれませんね。
1958年に私が小学校に入った頃には、我が家には一人に一本以上の傘があったと記憶しています。
(決して裕福な家庭じゃなかったのに、日本人って、本当に傘が好きなんだなと、改めて思った次第です ^o^)
投稿: tak | 2012年11月 9日 21:03