左脳と右脳の両刀遣い
昨日の「エンパシーは分析的思考を抑圧し、逆もまた真」というお話の続編である。私は昨年までは「エンパシー」というのは外来語としてさえ定着していないと思っていたので、 "empathy" と横文字で表記していたが、昨日からはカタカナで書くことにした。逆に、日本語の中に定着させたいという願望を込めて。
エンパシー(「共感」とか「感情移入」とかに近い意味合い……念のため)と分析的思考が両立しないのは、頭の中の回路が全然違っているからで、それを融合させてしまうというのは、ちょっと無理なお話のようなのだ。それならば、融合なんてしなくていいから、一人の人間の中で両方ともできるようにすればいい。両刀遣いになればいいのだ。
エンパシーなどの情動的、直観的な思考というのは「右脳」の領域で、分析的思考は「左脳」の働きであるというのは、既に広く知られている。私は前に、脳梗塞で倒れた長嶋さんが見事に復活された時、右手をポケットに入れたままだったことに関して、次のように書いている。
そして、右手がやられたということは、左脳がやられたということ。右脳でなくて、不幸中の幸いだった。
長嶋さんの脳のダメージが、左脳でなくて右脳だったとしたら、大変だった。直観を司る右脳にダメージが残ったら、長嶋さんが長嶋さんでなくなるところだった。(参照)
長嶋さんは、こう言っちゃなんだが、昔から左脳なんてあまり使っておられなかったから、脳梗塞で倒れられた後も、あの人間的魅力に溢れたキャラクターをしっかりと維持しておられる。これは本当に不幸中の幸だった。私は、人間的魅力というのは、左脳よりも右脳の働きで現われると思っている。
一時かなり話題になった YouTube の動画に "「奇跡の脳」 脳卒中体験を語る / ジル・ボルティ・テーラー" というのがある。脳科学者のジル・ボルティ・テーラーという女性がある朝、脳卒中に襲われた。彼女の脳卒中は左脳の領域で起ったようで、そのため、論理的思考がほとんど停止し、病院に運び込まれるまで右脳の働きのみになっていた。
その時どんな状態だったかというと、彼女は "euphoria" (歓喜にあふれた幸福感) だったというのである。自分と外界との境界がなくなり、すべてと一体になり、「もう、戻りたくない」 と思うまでの素晴らしい世界にいたというのである。時間があれば、下の動画を再生してご覧いただきたい。
とまあ、私としては脳卒中になるなんていうのは嫌だから、せめて時々は瞑想をして、右脳を活性化させておきたいと思うのである。
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コメント
俺はどっちかというと右脳派かもしれません
投稿: hiroyuki | 2012年11月 7日 22:15
hiroyuki さん:
そうかもしれませんね。
私は普段はできるだけ左脳を使いつつ、最後の最後は右脳で判断します (^o^)
投稿: tak | 2012年11月 8日 22:33