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2012年12月に作成された投稿

2012年12月31日

年末のご挨拶

なんだかんだと、年末の後始末みたいなことをやっているうちに、ふと気付けば日付が変わっていて、もう大晦日である。これで今年も 1年間、ブログの更新を継続した。9年間、毎年毎年、飽きもせず更新し続けている。我ながら馬鹿みたいである。

昨年は春先の震災で仕事がいくつかぶっ飛んでしまったり、秋には親父が死んでしまったりと、波乱の年だったが、今年はまあ、いくぶん落ち着いた年だった。7月に還暦を迎えてしまったが、こんな年にいろいろ厄介なことがあったりしなくて、幸せなことではあった。

話は変わるが、30日の Wowow で UFC 154 を見た。ジュニオール・ドス・サントス対ケイン・ヴェラスケスのヘビー級タイトルマッチは、私の期待通り、ヴェラスケスがリベンジを果たし、チャンピオンに返り咲いた。

ドス・サントスもなかなか素晴らしい選手だが、私としてはボクシングとタックルを切るテクニックだけで総合格闘技のトップに君臨されるというのは、あまり愉快なことではなかったから、オール・ラウンダーのヴェラスケスが勝ったのは、かなり嬉しい。あとは将来的にアリスター・オーフレイムの挑戦にどう立ち向かうかだ。ああ、楽しみである。

とりあえず、皆さん、よいお年を。

 

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2012年12月30日

「感情」 ほどやっかいなものはない

今日、ラジオを聞いていて、「自分にとっての今年一番のできごと」というテーマについて聴取者からの投稿を紹介するコーナーで、「10歳上の義理の妹(義理の姉ではない)に、面と向かって『あなたが嫌い』と言われたこと」 というのが読まれた。

義理の妹とはいえ 10歳も年上なので、口の利き方も丁寧に接していたのだが、ある日突然「嫌い」といわれ、気を使いすぎてよそよそしかったのかも知れないと思い、「以後、改めますね」と言ったら、「心にもないことを言うな」と追い打ちをかけられたというのである。なんとお気の毒に。

よっぽどの嫌われ者ならいざしらず、それなりに気を使って接していて、いきなり「嫌い」などと言われては、立つ瀬がない。この投稿をした人は、最初はショックだったが、思い直すうちに「私だって、あの人、大嫌い!」と開き直ったということである。まあ、これで余計な気の使いようをしなくて済むようになったのだから、OK だろう。

仕事上の同僚とか親戚とかは、嫌でも近しく付き合わなければならない間柄である。だったら、好き嫌いなんて感情はなるべく抑えておくものである。心の中でどう思っていようがそれは当人の勝手だが、それを露骨に表しては周囲の人間まで嫌な気分にさせてしまう。

私は、人付き合いというのは好き嫌いですべきものではないと思っている。否応なく付き合わなければならないなら、なるべく気持ちよく付き合う方がいい。どうしても虫が好かないなら、敬して遠ざかっていればいいだけの話である。わざわざ面と向かって「嫌い」なんて言う必要はない。

衆目の一致する嫌われ者(親戚中に 1人ぐらいはいるものだ)でもないのに、何となく「虫が好かない」というだけで「嫌い」などというのは、それはわがままというものだ。しかし世の中にはこんな具合に、自分の好き嫌いを表に出さなければ気が済まない人というのがいる。確実にいる。

ユングの性格判断では、こういうのは「外向的感情型」という。物事の価値判断をするのに、「善/悪」とか「合理/不合理」、「美/醜」とかではなく、「好ましい/好ましくない」(煎じ詰めれば 「好き嫌い」)が基準になるのである。

このタイプの人は、フツーには案外人当たりがよく、世の中をうまく渡っていけることが多いので、たいてい「自分はいい人」と思っている。その「いい人である自分」が気にくわない対象は、とりもなおさず「悪い」ということになる。個人的な「好き嫌い」を、「善悪」と錯覚しがちなのが問題なのだ。

この傾向の激しい人が職場や親戚に 2人いると、馬鹿馬鹿しい派閥が形成されて大変なことになるが、案外よくある光景である。

ちなみに、こうしたことに全然付き合わないのが「内向的論理型」の人間だ。このタイプは、面と向かって「嫌い」なんて言われても、案外ショックを受けることもなく、「ああ、そうですか」と受け流せる。

「勝手に嫌っていてください。別にあなたに好いてもらうために生きてるわけじゃないから」ってなものだ。そもそも、人付き合いそのものが嫌いだったりするから、はなから相手に嫌ってもらう方が、余計な気を使わずに済むだけ気楽ということもあったりする。

で、外向的感情型の人間にとっては、内向的論理型のこうした一見冷酷な態度が気に障って、ますます「嫌い」になるみたいなのである。人間の心理というのはなかなか思うようにはいかないものだが、私にしてみると、「感情」ほどやっかいなものはない。

 

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2012年12月29日

色恋沙汰でだまされる人たち

女性に全然モテないわけというわけでは決してないけれど、苦もなくモテすぎるなんてことは、人生において一度も経験がない。だから急にほいほいモテるようになったら、それは夢の中の出来事か、だまされているかのどちらかに違いないと思っている。できすぎの儲け話と同じである。

5.8億円横領、愛人に ベトナムで日本人に禁錮 20年」 なんていう記事に遭遇して、ますますその信念が固まった。ベトナムの三洋電機子会社の元社員が、会社から 5億 8千万円余りを横領して、愛人のベトナム人女性に貢いでいたというのである。この金は、バー開設の資金やマカオでのギャンブル代に消えたらしい。やれやれ。

このベトナムの件は命があるだけまだマシな方で、日本では首都圏と鳥取で、結婚詐欺による連続不審死事件なんていうのがあった。たいして美人というわけでもない女にあっさりだまされ、大金を貢いだ上に殺されてしまったのでは、まったく浮かばれない。

中国ではハニートラップというのがあるらしい。美人スパイにたぶらかされて、国家機密や企業秘密をポロポロもらしたり、弱みを握られて操られてしまったりするというやつだ。こんなのにひっかかるお偉方がいるのだから、日本は平和である。

もしかして色恋沙汰に慣れないマジメ一方というタイプが、こんなことに引っかかるのだろうか。だとしたら、あまり大勢に影響ないちょっとしたところで、色恋沙汰で傷つくという経験は、人生の早いうちにしておく方がいいのかもしれない。

 

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2012年12月28日

今年は伊勢神宮、出雲大社、熱田神宮にお参りできた

そういえば、今年の収穫は伊勢神宮と出雲大社と熱田神宮に参拝できたことだった。1年のうちに、この三つの大きな神社に行くことができ、しかも、いずれも仕事での出張のついでなので、旅費は自腹を切っていないのである。これはかなりの幸運である。

伊勢神宮には、30代の頃に当時勤めていた会社の慰安旅行で行ったことがある。しかしバスで内宮に乗り付けてさっと参拝し、すぐに志摩の方に移動するという駆け足スケジュールだったので、残念なことにまともな印象がない。

今回は 8月の下旬という暑い時期だったが、外宮からじっくりと参拝して、内宮の後は猿田彦神社と月読宮まで脚を伸ばした。汗をかきかきだったが、初めてお伊勢参りをしたという実感があった。遷宮の工事が始まっていて、シートで覆われた中から槌の音が聞こえていたのも趣だった。

出雲大社に行ったのは、10月の初めのこと。お伊勢参りをしてから 1ヶ月半ぐらいの時期だったから、「今年はラッキーだなあ」という気がした。ただこの時は遷宮の最中で、工事の幕が張られ、大きな神殿をみることができなかった。機会を改めてもう一度訪れなければなるまい。この時は、出雲阿国の墓参りができたのもラッキーだった。

ちょっと遡るが、3月初めには熱田神宮も参拝していた。私は名古屋には何十回も仕事で行っているが、名古屋城も熱田神宮も訪れたことがなかった。この時には時間に少しだけ余裕があったので、思い切って両方とも行ってみたのである。熱田神宮の宝物殿はなかなか素晴らしかった。

さあ、次の目標は熊野三社である。できれば近いうちにお参りしたいものである。

 

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2012年12月27日

インクジェット・プリンターの進化と年賀状印刷

ようやく年賀状を作り終えた。今年は割とあっさりとできた。

あっさりとできた理由は、ひとえに新型プリンターの威力である。我が家にはプリンターが 3台ある。ブラザーの 10年前のタイプのレーザー・プリンター、昨年買ったエプソンの複合機、最近買ったブラザーの、A3 まで対応した Fax 複合機である。

普段のビジネス文書の印刷はレーザー・プリンター、B4 以上の用紙の印刷はブラザーの Fax 複合機、綺麗に仕上げなければならないカラー印刷はエプソンの複合機と、使い分けている。やっぱり、ブラザーの複合機は、印刷の品質でエプソンに負ける。

で、今回の年賀状印刷は、エプソンの複合機を使った。昨年は父が死んだので、これを年賀状印刷に使うのは初めてである。初めて使ってみて、最近のインクジェット・プリンターの威力に驚いた。

何しろ速い。自分のブログを読み返すと、6年前には旧式のインクジェット・プリンターで 1枚印刷するのに 130秒かかっていた(参照)が、今回は 15秒程度である。このスピードアップぶりはすごい。まさにあっという間にプリントし終えてしまう。

それに前のプリンターは葉書のフィードが下手で、何度も給紙エラーを起こしていた。この時のことは 3年前に、「給紙エラー続出の年賀状印刷」という記事でストレスたっぷりに書いている。ところが今回は一度もジャミングすることなく、あっさりと済んでしまった。これは本当にありがたいことだった。

思い返せば年賀状作成は、手書きや、今は昔の「プリントゴッコ」の時代には、1日がかりの仕事だった。ワープロを使い始めた頃から半日がかりの仕事になり、PC になっても、プリンターの能力の限界のせいで、半日がかりというのは変わらなかった。それがプリンターの進化で、2時間程度の仕事になった。

いやはや、時代の進歩というのは大したものである。

 

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2012年12月26日

イニエスタ・讃

近頃、BS で Wowow のサッカー中継にはまりかけてしまっている。スペイン・リーグ(リーガ・エスパニューラ)がおもしろくて、バルセロナがご贔屓になってしまった。サッカーの醍醐味を最も表現できているクラブは、誰が見てもバルセロナだろう。

バルセロナが好きなんていうと、「巨人・大鵬・卵焼き」みたいで、ちょっと後ろめたい気もするが、よく考えればリーガ・エスパニョーラにおける巨人は、多分レアル・マドリードなんだと思う。だとすると、バルサは阪神というところか。ずいぶんできすぎの阪神ではあるが。

バルサでは、とくにイニエスタがご贔屓だ。あの鋭く切り込むドリブル、ファンタスティックなパスが心を躍らせる。どうしてもメッシが目立ってしまうけれども、彼は弱い相手が疲れ切ってしまった後半にゴールをバシバシ連発する選手であって、その前に相手を疲れさせてヒイヒイ言わせてくれているのは、イニエスタを初めとする選手たちなんだと思う。

国際試合では、相手を疲れさせてくれるイニエスタがおらず、しかも徹底的にマークされもするので、メッシはリーガで見せるようなファンタスティックな活躍ができない。前回の南アフリカでのワールドカップでも、拍子抜けするほど冴えなかった。

彼は抜群に強いチームで生きるタイプなんだろう。それに比べてイニエスタはきっと、どこに行っても活躍できる。まだまだ 28歳と若いし、ますます感動的なプレイを見せてもらえるものと思っている。

 

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2012年12月25日

Today's Crack 毎日更新 9年目

"Today's Crack" の毎日更新を始めてから、今日でちょうど 9年目になった。記事の数でいえば、3,250本をとっくに越えている。さらに 「ほぼ毎日更新」 ということなら、平成 14年の夏頃からなので、もうとっくに 10年を越えている。

Maka-Veli.com というブログサイトに、「ブロガー調査結果: "アクセス数が 500を超えるブロガーは 52%がほぼ毎日更新"」という記事がある。ブログ記事としては今年 11月 1日付だが、ネタとなった調査は 2010年 9月に実施されたものだ。ちょっと古いが、今でも傾向はそんなに変わっていないだろう。

このブログ記事のまとめた「調査サマリー」の 8項目を以下に引用してみる。

  1. 開設期間は、「1~2年」 17.8%、 「2~3年」 16.9% と 1~3年が多い

  2. 1日の平均アクセス数は、80% が 50以下 (わからないも含む)

  3. アクセス数 500を超えるブログは 1.7%

  4. 半数以上のブロガーは週に 1回以上、更新をしている

  5. アクセス数が 500を超えるブロガーは 52% がほぼ毎日更新をしている

  6. ブログを書く目的は「自分の日記、備忘録として」が最も多く 63.5%

  7. ブロガーの Twitter の利用率は 3割を超える

  8. ブログ更新などをつぶやいて告知することに利用する人も多い

ブログ開設期間は、1~3年というのが 3分の 1 以上で、それ以下のものも含めれば、ほぼ 3分の 2 になる。さらに 5年以下だとほぼ 85% で、言い換えれば、ブログを 3年とか 5年以上続けるのは結構難しいということを示している。

「半数以上のブロガーは週に 1回以上、更新をしている」というのは、裏を返せば、週イチの更新ができなくなったブロガーは、サイトを閉じてしまうことが多いということでもある。結構おもしろい記事を連発したブログでも、徐々に更新が滞り、そのうちに閉鎖してしまうというケースが、さして珍しくない。惜しいことである。

ブログの世界は参入障壁がやたらと低い代わりに、撤退障壁も低いのだ。

1日の平均アクセス数をみると、8割が 50 以下というのだから、ウチみたいにカウンターに現われる数だけでも平均値が 2,000 ぐらいなのは珍しい。ちなみに、ウチのカウンターに表示される数値は、スマホ用や RSS の表示までは拾わないので、実際のアクセス数よりもずいぶん低めの数値が表示されている。

ココログ純正のアクセス解析を覗いてみると、このブログにはここ 4ヶ月間、1日平均で、約 2,300人が 3,400回アクセスしている (PC と ケータイでの閲覧の合計)。これでも RSS での表示まではカバーされていないから、やや控えめな数字である。

さらにここ 1ヶ月ではさらに上昇していて、約 2,800人が 3,800回アクセスしてくれている。これは、年末になると「年賀状 手書きの一言」などのキーワードでググったアクセスがやたらと増える(参照)ための一時的現象なので、来月になったら少しは落ち着くだろう。

とはいえ、私もあまり意識していなかったが、ウチのブログは、実際にはカウンターに表示されるよりは少なくとも 5割増しぐらいのアクセスがあるみたいなのである。要するに、ウチのカウンター表示はものすごく慎ましやかなのだ。

紹介した調査では、1日の平均アクセス数が 2,000~5,000 というのは、全体の 0.3% しかない。へえ、これは我ながら大したもんじゃないか。5,000 以上を 「アルファ・ブロガー」 とすれば、私は「ベータ・ブロガー」ぐらいの位置づけぐらいにはしてもらってもいいだろう。「超二流」 って感じね。いいなあ、この響き。

5番目の項目の「アクセス数が 500を超えるブロガーは 52% がほぼ毎日更新をしている」というのは、見方を変えれば、「毎日更新するからこそ、アクセスも増える」ということだ。記事数が多ければ多いほど Google に拾われることも増え、過去ログへのアクセスが増えやすくなる。

私の場合、ウンチク・ネタが多いから、Google からの過去記事へのアクセスが結構多い。上述の「年賀状 手書きの一言」なんていうのは、その典型だ(参照 1参照 2)。言い換えれば、毎日楽しみにアクセスしてくれる固定読者ばかりじゃないのである。

私としてはできれば固定読者の比率を上げたいというのが本心だが、毎日更新して財産が増えるほど、一過性のアクセスも増えるといういたちごっこが続く。裏を返せば、ここまで来てしまうと、たとえ更新頻度が下がったとしても、アクセス数が激減することはないだろうということでもある。値段の下がりにくい株を持っているようなものだね。

まあ、余計なことを気にせずに、淡々と好きなことを書き続けていこうと思っているだけなのだが。

 

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2012年12月24日

ふと気付けば、クリスマス・イブ

Merry Christmas!

いやはや、ふと気付けば、いや、別に私が気付かなくても、世の中はクリスマス・イブである。11月に入ってからというもの、月日の経つのがものすごく速い。もう来週は大晦日になってしまう。

今日も今日とて世間は振り替え休日というのに、仕事で出かけてきた。考えてみると、この 2ヶ月でまともに休んだのは、先月の 27日(例の「胃腸風邪」というやつで、久しぶりに自発的に医者にかかった日)しかない。あとは、九州に 3回も飛んでバタバタで仕事をしてしまった。

というわけで、今日は帰宅してからぼぅっとしてしまって、まともな記事を書く気になれない。まあ、クリスマス・イブでもあるし、静かな気持ちで寝ることにしたいと思う。

 

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2012年12月23日

企業広告入りのカレンダーなんて、いらないから

バブルの頃のようにうんざりするほどではないが、年末になるとあちこちから、頼みもしないのにカレンダーが届く。基本的に下に社名や店名の入った、観光地の絵葉書をやたら大きく引き延ばしたようなカレンダーを使う気は毛頭ないから、さっさと処分である。

Img_4565

処分といっても、ただ捨てるわけではない。それでは資源の無駄遣いになるという気がするので、上部の金属で綴じてある部分から切り離し、さらに小さくカットして、メモ用紙にするのだ。

この年末も 3つの会社から届いたカレンダーをカットして、メモ用紙にした。まったくもう、企業が少なからぬ金をかけて作り、届けてくれたカレンダーを、こちらはほぼ自動的な判断で、金をかけずに手間暇だけをかけて、メモ用紙にするのだ。これだったら、初めからメモ帳の形で届けてもらう方がましだ。

いや、別にメモ用紙に不自由しているわけでもないから、はっきり言えば何も届けないでくれるのが、こちらとしては一番楽である。家にいる時にピンポンして届けてくれるなら、面と向かって受け取りを断ることもできるが、知らないうちにポストにねじ込まれているので、こんなことになる。

カレンダーを届けるなんて、ちっともサービスになっていなくて、面倒なだけということを、企業はもっと認識してくれればいいのにと思う。まあ、中には無料でもらうカレンダーを欲しい人もいるだろうから、そういう人は営業のお兄さんに 「今年もちょうだいね」とおねだりしておけばいい。おねだりなしの顧客には届けないでもらいたいのである。

 

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2012年12月22日

ようやくインターネット選挙が解禁されそうだが

自民党の安倍総裁が楽天の三木谷社長と会談して、選挙でのインターネット解禁を要請され、「次の選挙までにやりたい」と返事したらしい。やれやれ、今頃になってようやくだ。

安倍さんって Facebook もやってるし(参照)、夫人の安倍昭恵さんもやってる(参照)というぐらいで、案外 IT 活用には関心があるみたいなのだ。だがそれにしたって、この決断は遅すぎには違いない。

私は 4年前から「選挙に web を使わせろ」というサブサイトを運営していて、その中で、日本の選挙制度で最も馬鹿馬鹿しいのは、選挙にインターネットを使えないということにとどまらず、諸悪の根元は公職選挙法だと、何度も主張している。

公職選挙法というのはかなり特殊な法律で、基本的なコンセプトは、選挙運動というのは「してはいけない」ということのようなのである。とはいいながら、すべて禁じるわけにもいかないので、「しかしながら、○○と○○だけはしてもいい」という構図になっているのだ。

最も典型的なのが、前に「日本一シュールな法律条文」というエントリーで紹介した「選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない」(公選法 第141条の3)という宇宙人的条文だ。具体的にはこんなような条文なのである。

(車上の選挙運動の禁止)
第141条の3 何人も、第141条 (自動車、船舶及び拡声機の使用) の規定により選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない。ただし、停止した自動車の上において選挙運動のための演説をすること及び第140条の2第1項 (連呼行為の禁止) ただし書の規定により自動車の上において選挙運動のための連呼行為をすることは、この限りでない。

嘘のような本当の話だが、公選法では「選挙カーでは選挙運動しちゃいけないんだけど、特例として、停止中の演説と、走行中の連呼だけは許してあげる」というようなことになっているのである。それで、あの馬鹿馬鹿しい選挙カーの連呼が大々的に展開されるわけだ。

こんなようなことで日本の選挙というのは、「これだけはやっていいよ」と公選法に書いてある以外のことをすると、選挙違反になってしまうのである。それで「インターネットを使っていいよ」と書かれてないので、web を使うと選挙違反になるわけだ。これでは世の中の変化についていけるわけがない。

だから基本的には、選挙におけるインターネット解禁以上に、公選法の基本的なコンセプトから変えていかないと、まともな選挙にならないのである。

 

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2012年12月21日

ベストな選挙システムなんてないのだね

3日前の「小選挙区制が日本の現状に合わないわけが見えてきた」という記事についたコメントの中に、大選挙区あるいは中選挙区にして、有権者は定数分の候補者に投票できるようにすればいいというご意見が複数みられた。例えば定数 2 の選挙区では 2人の候補者に投票し、3人、4人の選挙区では、それぞれ 3人、4人に投票できるというシステムだ。

私としてはそれを真っ向から否定するつもりはない。確かに、これなら小選挙区制でありがちな極端な結果が生じるのを防げるし、同一党派内の派閥で無駄な争いをすることもなくなる。しかしこのシステムにしても、根本的な問題がある。

それは、定員 2 の選挙区では 1人の有権者が 2票しか投じることができないのに、定員 3 の選挙区では 3票を投じることができるということだ。さらに、定員 4名、5名の選挙区では、それぞれ 4票、5票を投じることができる。これでは、「1票の重み」ならぬ「有権者 1人の重み」が大問題となる。

それを防ぐために選挙区をきっちりと調整して、どの選挙区も例えば「定員 3」にしてしまうということも不可能ではないだろう。しかしその選挙区で、ある人は 1人にしか投票せず、ある人は 2人、3人に投票するということも、当然出てくる。

そうなると同じ選挙区内で結果としての不公平が生じる。権利をフルに活用して不公平を抑えるために、「別に支持しているわけでもない候補者にまで 1票を投じる」 なんてことも出てくる。これはかなり問題だ。「よりましな候補者」だけでなく、「だめさ加減がより目立たない候補者」にまで投票することもあり得るからだ

つまり、これですべて OK という「ベストな選挙システム」なんてないのだ。我々は状況に応じてちょっとでもベターなシステムを模索しながら、遅々たる歩みを続けていくしかないのである。

 

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2012年12月20日

"tak-shonai 的発想" というのを客観的に意識してみる

あまりにも急に季節が進行して、既に 1月とか 2月とかの厳寒期の様相に突入してしまったからだかなんだか知らないが、ちょっと時間感覚が狂ってしまっている。ふと気付けば、もう今年も 10日ちょっとなのだが、年末感覚が薄い。

年賀状も書かなければならないし、大掃除もしなければならない。しかしなんだか、そんな感じが薄いのである。ああ、そういえば年末総選挙なんてものがあって、クリスマス感覚なんかも吹っ飛んでしまったしね。

時間の進行にメリハリがない。古き良き「もういくつ寝るとお正月」的感覚が、失われてしまっている。時々思い出したように、テレビやラジオで「紅白歌合戦情報」が流れても、前世紀の遺物としか思われない。この季節感の狂いというか、時間感覚の同期喪失というか、これって一体何なのだろうか。

もしかして、これも一種の老化現象なのか? 私の脳が、時代の流れと同期しづらくなっているのか? 還暦過ぎるって、そういうことなのか? そうだとしたら、こりゃ一大事だ。

私はこれまで、コンテンポラリーとトラディショナルという一見相反する要素を、自分の中で折り合い付けてやってきた。ある意味、それが私のアイデンティティである。それがどんなものかというのは、このブログともう一つの "Wakalog (和歌ログ)" を、一人の人間が毎日更新しているということを見て頂ければわかる。

この「折り合い」のバランスがおかしくなって、トラディショナルだけに傾きかけるとしたら、それはちょっとやばい。コンテンポラリーの要素に、きちんと磨きをかけておかなければならない。そうでないと、"tak-shonai 的発想" がぼやけてしまうからね。

一度この "tak-shonai 的発想" というものを客観視して、それをさらに、かっこよくいってしまえば、アウフヘーベンしてみてだね、さらに成長してみないと、単なる昔語りのじじいになってしまう。そうならないために、少し意識してみようと思う。

 

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2012年12月19日

そろそろ年賀状を作らないと

実はまだ年賀状を作っていない。それどころか、年賀状の葉書も買っていない。先月 24日に「平成 25年用のカーボンオフセット年賀葉書が発行されないんだと」で書いたように、今年の年賀状は CO2 排出の罪滅ぼしができないみたいなので、ちょっとしらけてしまっている。

そうでなくても昨年は父が死んだので、平成 24年の年賀状は作らなかった。1年飛んでしまうと、年賀状の作り方を忘れてしまったような気がして、どうも身が入らない。私は本来は年賀状に凝るタイプなのだが、どうも「巳年」というのはあんまり絵になりにくくて、モタモタしているというところもある。

いずれにしても、コンビニの店頭でよく見かけるような市販の絵柄の入った年賀状なんて、私のどうでもいいレベルではあるが、一応のクリエイティブ・マインドの矜持が許さないというか、どうしても使う気になれないので、なんとかオリジナル・デザインの年賀状を作らないと気が済まない。

というわけで、そろそろ重い腰を上げようと思うのだけれど、今年はなんだかノリが悪いなあ。

 

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2012年12月18日

小選挙区制が日本の現状に合わないわけが見えてきた

私はこれまで、小選挙区制というのは「おおむね OK」だと思ってきた。二大政党による政権交代を容易にし、同じ政党が長期にわたって政権を担当することによる弊害を阻止できることは、かなり重要なメリットだと認識してきた。

自分が生まれた直後からほぼ 60年にわたって続いた、事実上の自民党一党支配による政治的な堕落に、リアルタイムで付き合ってきた者にとっては、政権交代が行われにくい選挙システムというのは、それだけでアウトだ。小選挙区制というのは問題はあるにせよ、ベターな選択だと思ってきたのである。

ところが、最近はこの考えに疑問を抱き始めた。前から小選挙区制を支持しなかった人にしてみれば、「何を今さら」ということになるかもしれないが、今の日本の状況では、小選挙区制がうまく機能しにくいということが見えてきたと思う。

というのは、ここ 3回連続で極端な結果が出すぎているからだ。前々回の「小泉郵政選挙」から始まって、「民主党による政権交代」「今回の揺り戻し」と、決まって第一党が 300議席前後の「どうみても取りすぎ」という結果になっている。

米国の大統領選挙のようにたった一人を選ぶのなら、勝った者が総取りするシステムで問題ないが、何百人かを選ぶ議会選挙選挙で、こんなにもその時々のムードで極端な結果になってしまうというのは、ちょっと危ない。

考えてみれば小選挙区制がうまく機能する社会というのは、大抵の選挙民にとって、その立場や土地柄や社会的地位などにより、別に深く考えたり迷ったりしなくても、自ずから支持政党がはっきりと決まりやすい社会だ。

米国でも英国でも、大抵の人が支持政党を明確に意識していて、選挙の度に大きく揺れ動くということはない。だから選挙結果にも、それほど極端な揺れ戻しは現われない。

ところが日本においては、半数以上の人が「支持政党なし」なんて呑気なことを言える政治風土がずっと続いているのだ。個々の選挙民の利害を明確に代弁してくれる政党がはっきりしないから、その時々の風向きに流される浮動票が、やたらと多い。

そのために近頃はとみに、選挙の度に極端な結果となって現われる。つまり政権交代の容易さは保証されたが、薬が効きすぎて、それ以上の不安定要因が増大してしまったわけだ。

各人が明確な支持政党をもたないという現状は、小選挙区制を基本としたシステムを是とする視点からは、「選挙民の意識があまりにも未成熟」 と映る。これでは小選挙区制はまともに機能せず、不安定要因だけが拡大する。

「だったら選挙民の意識を成熟させればいい」なんていっても、それは急には無理なことだ。そもそも小選挙区制がうまく機能する社会が「成熟した社会」なのかといえば、それは甚だ疑問で、「成熟させろ」なんていう主張はある意味傲慢ですらある。

一方、小選挙区制を非とする視点からは、「日本に合った中選挙区制に戻せ」とか「比例代表制を拡大しろ」とかいう主張が出てくる。しかし、あの派閥の親分によるぐちゃぐちゃにとぐろをまいたような体制になりやすい中選挙区制に戻るのは、私としてはゴメンである。

あるいは比例代表制を拡大したら、確かに選挙民の意向は忠実に反映されるだろうが、ただでさえ「半数以上が支持政党なし」という特殊な現状なのだから、「一時的な風向きが忠実に反映されたからといって、それでどうなる?」ということになる。

「じゃあ、どうしたらいいんだ」と言われても、こればかりは明確な結論なんて言えない。私としては「政治とは面倒なものだよなあ」と、ため息をつくばかりである。

 

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2012年12月17日

Softbank 版の iPhone 5 で、ちゃんとテザリングできた

Softbank 版の iPhone 5 で、12月 15日にテザリングが解禁された。10月 27日に購入した時は、ショップのおねえさんが 「テザリングは順次、通知が届きますので、それにそって設定して頂くことになります。お客様の場合は 1月にはいってからになると思います」 なんて言っていたが、別に通知なんかなくても、15日の夜にやってみたらちゃんとできた。なんだかなあ。

設定はとても簡単だった。設定画面で 「一般」 → 「モバイルデータ通信」 → 「インターネット共有」 と進み、現われた画面で 「インターネット共有」 をオンにする。それだけだ。しばらくすると、テザリングでインターネット接続したい PC や iPad で、接続ネットワークに "○○の iPhone" というのが表示される。

そこまでこぎ着けたらそれを選択し、さっきの画面に表示されていたパスワードを入力してやればいい。それだけで、サクサクとテザリングが開始されてしまう。あんなに待ちこがれていた機能がこんなにも簡単に実現されてしまうと、なんだか呆気ないほどだ。

iPhone 5 のテザリングは、とりあえず自宅でしか試していない。我が家は LTE がぎりぎりカバーされているが、なかなか不安定だ。LTE の時はアンテナが 2~3本しか立たないが、接続速度は 3G でバリ 5 になっている時よりずっと速い。そのかわり、すぐに 3G になってしまい、途端に遅くなるので、こけそうになる。

いずれにしても、LTE でなくても 3G で十分テザリングできる。初めは 「LTE 対応機種でテザリングに対応」 と発表されたので、LTE で接続しないとテザリングできないのかと誤解していたが、そんなことはないと確認できた。

この分だと、Softbank の電波の届くところでならどこでも、ちゃんとテザリングできるだろう。3月で 2年縛りが解ける E-mobile の Pocket Wifi は、めでたく解約してコスト削減ができそうだ。ありがたい。

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2012年12月16日

総選挙の開票動向にうんざり

今、総選挙の開票途中である。途中だけれど、自民圧勝、民主惨敗が、予定通り明らかになった。昨日の記事で書いたとおり、多分、というか、確実にこんなところだろうとは思っていた。

ただ、何が一番うんざりするかといって、「元の木阿弥」ほどうんざりするものはない。今回の選挙の「元の木阿弥度」はかなり高い。ちょっぴりだけ新味のあるところといえば、いわゆる「第三極」が進出してきているところだが、中身といえば、元の民主党議員(ほんのちょっぴり、元自民も)が別のところから出てきただけといったようなところが多くて、うんざり要因はそれほど軽減されない。

世論調査をすると国民の大多数が「脱原発」を望んでいるはずなのに、選挙になるとほとんど唯一脱原発を表明していない自民党が圧勝するというのも、摩訶不思議な現象だが、まあ、日本の選挙民の意識なんてこんなものだと思えば、発狂するほど腹が立つというわけでもない。

とにかく、うんざりである。

 

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2012年12月15日

民主党のイメージ戦略が暗すぎ

明日は衆議院総選挙。あまりに形勢がはっきりしすぎているので、当たるに決まっている予言をここでしてもしょうがないのだが、民主党は惨敗するだろう。今回のキャンペーン・ポスターからして、あまりにも暗すぎる。せっかくヌーボーとした野田さんの顔を、あんなにコントラストのきつい「どす黒モノクロ・アップ」にしちゃって、瀬戸際感出しすぎだ。

民主党のメディア戦略は昔からとてもお下手で、7年前の「郵政選挙」の時に、小泉さんブームで沸き立つ自民党に惨敗した時も、岡田さんの登場する TVCM がものすごく暗かった。やっぱりどす黒いモノクロで、岡田さんが虚空に向かってなにやら難しいことをつぶやいたかと思うと、自ら歩いて画面の外(下手側)に去るという、暗示的すぎるものだった。

キャンペーン CM で、暗い顔した党代表が自分で歩いて去ってしまうなんて、あれでは自ら惨敗ムードを増幅しているようなものだったが、今回も同様の雰囲気がむんむんしている。民主党の広報ブレーンって、状況が難しくなると「暗~いどす黒・アップ」にしたがる性癖があるのかなあ。

今回の民主党の TVCM は、ポスターほどには暗くない。しかし「総理をやって 1年余り」で気付いたのが、「大事なことは決めること」という TVCM も、フツーの神経だったら 「1年もかかって、気付いたのがそれかよ!」とツッコミたくなって当然ではないか。

民主党って、もっとマーケティング手法を上手に取り入れた広報をやらないと、どんどんじり貧になってしまうのが確実なんだがなあ。まともなブレーンがいないんだろうなあ。

 

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2012年12月14日

iPhone 5 でようやく Google Map が使えるようになった

iPhone 5 に機種交換してから、かなり快適に使いこなしてきたのだが、ただ、どうしても Apple 純正のマップだけは、できが悪くてうんざりしていた。Google が iOS 用のマップ・アプリを開発していると聞き、「Apple よ、ちゃんと意地悪せずに、App Store にアップしてくれよ」 と祈るような気持ちでいたところ、ようやく公開されて、インストールすることができた。

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iPad 版がまだ出ていないのが残念だが、まあ、とりあえず iPhone の画面で Google マップが使えるだけでありがたい。他の有料の地図アプリなんかを入れずにガマンしてきてよかった。

Apple 版の地図はこう言っちゃナンだが、かなり大雑把で、よほど縮尺を上げて大きく表示しないと、鉄道が表示されない。これだけでかなりむっと来てしまう。さらに、当然表示されてもいいランドマークが表示されないのも困った。

しょうがないから、Saferi で表示される Google Map へのショートカットを、iPhone のデスクトップに置いたのだが、小さな画面で Safari を通して見るというのも、なかなかやりにくいのである。どうしても、専用アプリが欲しいとずっと思ってきた。

インストールした Google Maps をいじってみると、起動も反応も速い。かなり気を入れて作ったなということが感じられる。もう Apple のマップを使う気にはなれない。

ただ、iPhone の 「連絡先」 から目指す住所をタップすると、当然ながら Apple 純正のマップが立ち上がって地図が表示されてしまう。それが十分わかりやすければいいのだが、鉄道の駅からの距離感なども見たい時には、やはり見にくい。

仕方がないから、Apple のマップ上で住所をコピーして、Google の方にペーストしてやるという作業が必要になる。設定で、「連絡先」 から飛ぶ地図ソフトを選べるようにしてくれればいいのだが、そんなことはしてくれないだろうなあ。

そんなことを言うなら、アンドロイド・スマホにすればいいじゃないかと言われそうだが、地図以外の部分では iPhone の操作感が心地良いので、丸ごと捨てる気には到底なれない。ああ、あと 3年ぐらいしたら、Apple のマップも進化して使いやすくなっているなんてことにはならないかなあ。

 

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2012年12月13日

寒い東北に日帰り出張

今日は宮城県遠田郡美里町というところに日帰り出張した。最近は東北新幹線が青森まで伸びたので、新青森行きの「はやて」という特急に乗ると、上野から仙台までは約 1時間半で着いてしまう。そこから東北本線の在来線に乗り換えて、目的地に着くまでが約 40分。

電車に乗っているのは、わずか 2時間 10分ほどで、十分に日帰り出張圏内である。学生時代、新幹線ができる前は上野から仙台に行くだけで、特急で 4時間かかっていたのだから、本当に速くなったものだ。

所要時間が短くなったので、距離まで近づいたように錯覚してしまいがちだが、仙台を越すと日陰には雪が残っていて、そこはそれ、やっぱり東北である。太平洋側とはいえ気温が低いから、降れば雨ではなく雪になる。

電車を降りると、吹く風が頬を刺すように冷たい。最高気温が 4度というのだから、昼でも都心の最低気温以上にならなかった。その上、風が冷たいから、体感的にはかなり寒い。日本も広いものである。

ところで、私の住むつくば周辺は、年間を通じると最高気温が 37~38度ぐらいになることがあり、最低気温はマイナス 4度か 5度ぐらいになる。ということは、気温差が 42~43度ぐらいになるわけだ。これが北海道の旭川だと、75度以上の気温差になるらしく、世界でももっとも寒暖差の激しい都市の一つに数えられるという。

年間の寒暖差が 30度以内に収まってくれると、過ごしやすいのだろうが、そうなると人間の頭が、ややポーっとしてしまうかもしれないので、日本の気候を甘んじて受け入れようと思う。

 

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2012年12月12日

期日前投票に行くので、早く投票先を決めとかないとね

今度の日曜日は仕事で朝から晩まで地元にいられないから、近々期日前投票に行こうと思っているのだけれど、前にも書いたように、どの政党を支持すべきか決めかねている。私としてファースト・プライオリティは「原発をどうするか」という項目に置いているので、この段階で自民党は脱落だが、他の要素で錯綜しすぎている。

もやもやしていたところ、「日本政治.com」というサイトで「投票マッチング」というのをやっていると聞いて、飛んでみた。結構マジメな作りのサイトで、なかなか良くできている。20の設問に、「賛成/やや賛成/中立/やや反対/反対」の 5段階で回答していくと、最終的にどの政党の政策がマッチするかが示される。

その政党が自分の選挙区に候補者を出していない場合には、考えの近い候補者が 4名表示される。さらに回答した 20の設問についての各政党のポジションも明確に示されるから、単純な押しつけではなく、示された結論をさらに自分で吟味し、修正していく道も用意されている。私としてはここが気に入った。

このシステムで 20の設問に回答した結果、私の考えに最も近いのは「みんなの党」という結論が出た。まあ、そんなに違和感はない。しかし私の居住する選挙区には、みんなの党の候補者は出ていない。そこで、4名表示された 「考えの近い候補者」 は、上位から順に、維新の会、自民党、民主党、未来の党の候補者という順番になった。

しかし私は前々から言っているように、石原さんと橋下さんは支持しないから、維新の会は却下。さらに自民党も前述のように、ファースト・プライオリティの原発政策でアウト。となると、民主党か未来の党かという選択になるが、私の嫌いな小沢一郎さんの隠れ蓑になってしまった未来の党もアウトだから、なんとまあ、民主党が残ってしまったではないか。

私は前回の総選挙では「一度本格的な政権交代を経験してみるために」という理由で民主党に投票し、後になってそれを心から悔いてしまったので、今回も消去法の結果とはいえ、民主党が残ってしまったのは、かなり複雑すぎる気分である。まったくもって情けない。

まあ、16日の選挙の結果、自民党が圧倒的多数を占めて政権に返り咲くのは目に見えている。だったら、民主党が健全野党として出直して、その間にもう一度政権を担当する能力を獲得する努力をしてくれるのを期待して、「極々消極的支持」をするのもありかもしれない。

民主党の情けないほどの失政も、ある意味では自民党の政権末期のゴチャゴチャで生じた問題の後始末と、東日本大震災の後の混乱に脚を引っ張られたということもあるのだから、すべて民主党のだらしなさの結果と責めるのも、ちょっとかわいそうだというところもないではないからね。

というわけで、どうせ自民党が圧勝するなら、私としては「本当に仕方なく、しょうがなく」の消去法の結果に従うのもありかなと、少しずつ思い始めているところである。

(とまあ、この程度の記述なら、公選法違反の心配はないよね。そもそもブログを使ってまで投票を呼びかけたいような政党も候補者も見当たらないし。ただ、投票にだけは行った方がいいと思う)

 

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2012年12月11日

「そこはか」って何だ?

「そこはか」という言葉がある。もっともそのまま使われることはまずなくて、大辞林の見出し語にあるのは「そこはかと」という副詞、「そこはかとない」という形容詞、そしてその変化形と思われる「そこはかとなく」という副詞の 3語だ。

大元となるのは「そこはかと」という副詞で、「はっきりと、分明に」という意味だ。その語源というのは、「"其処" は "彼" と」で、大辞林によると「どこがどうであるとさしていえるほどに、場所や物事の明瞭なさま」ということのようである。

この場合、「は」 と表記される部分の発音は "wa" に変化せず、"ha" のままだから(もっとも、この言葉ができた頃は "pa" とか "fa" とかという発音だったから、変化していないというわけじゃない)、元々「そこはか」という独立した語があるかのように錯覚してしまいがちだが、「そこは、○○だよ」 と、はっきりいえるというような意味合いだというのである。

「たそがれ」の語源が「誰そ彼」で、「あそこにいるのが誰かと訪ねたくなるくらいに、暗くなりかけた時分」というのを想起させるような言葉だ。ちなみに、明け方の暗い時分は「かわたれ時」と言って「彼は誰」が語源である。もっともこれは古くは、明け方と夕暮れ時の両方に使われていたが、後に明け方限定的な言葉になったらしい。

これは発音も「かはたれ」が「かわたれ」に変化して、現代かな表記も、実際には滅多に使われないとはいえ、「かわたれ」になっている。「そこはかと」は、より古い形のまま残っているわけだ。

「そこはかと」は、はっきりしない、明確でないという場合は、「そこはかとない」という否定形で表される。「そこは○○だよと言えないほど不明瞭」というわけだ。

さらに「そこはかと」という言葉はややこしいことに、「そこはかとなく」と言わなくても、「そこはかと」のままで、「何かはっきりしないさま」とか、「なんとなく、どうということもなく」という意味を表すこともあるのだ。まったく逆の意味合いである。ややこしくてしょうがない。

大辞林には、"「はか」は「計り」と同源で、目当て・当てど、の意味か" とあり、この場合の 「そこはかと」は、「"其処" は "彼" と」ではないようなのである。同じ音の言葉なのに語源が 2通りあり、その語源の違いによって意味も反対になってしまうというのだ。ああ、本当にややこしい。

 

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2012年12月10日

小沢昭一ショック

勘三郎ショック」 という記事を書いて 1週間も経たないうちに、「小沢昭一ショック」を書くことになるとは思わなかった。

2時から都内で開かれるミーティングに参加するために、お昼の 12時に家を出た。取手駅まではいつものように自分の車を運転する。そしていつものように TBS ラジオを聞く。すると「大沢悠里のゆうゆうワイド」に永六輔さんが電話出演していて、「病院じゃなくて自宅で良かった。『死ぬんだったら自宅で』と言っていたから」と語っていた。

「また誰かが死んだのかな」と思っていたら、なんと小沢昭一さんの訃報だったのである。

私は高校時代に小沢昭一さんの『私は河原乞食・考』という著書を読んで、とても感動した。そしてその後に出された『日本の放浪芸』で、私の志向性は決定的ともいえる影響を受けた。私がワセダの演劇学科でまったく金になりそうにもない古典芸能とか民俗芸能とかを学んだのは、小沢昭一さんの影響なのである。

昨年あたり、永六輔さんがパーキンソン病で一時、呂律が廻らなくなってしまった時も、「小沢昭一の小沢昭一的こころ」で元気な話芸を効かせていてくれたので、「小沢さんは達者だなあ」と思っていたのだった。ところが、永さんがリハビリの成果で呂律が戻った今、小沢さんが先に逝ってしまった。

日本の芸能の世界は、大きな存在を失ってしまった。

 

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2012年12月 9日

九州の寒さ

今週は仕事で 5日から 7日まで九州大分県の別府に滞在し、いったんつくばの地に戻ってからすぐに折り返し、昨日から今日まで長崎に滞在している。九州といえば温暖の地と思っている人が多いが、どちらも寒くて震えている。

長崎の冬は結構寒いと経験で知っていて、今日からはとくに冷え込むとわかっていたから、それなりに覚悟してきた。だから寒いには寒いが、驚くほどではない。しかし別府は温泉もあっていつも湯煙を噴き上げているし、どちらかといえば瀬戸内に面する位置に近いから、あんなに寒いとは想定していなかった。

想定外だったモノやコトというのは、心の準備が追いつかないから、大抵骨身に堪える。別府の寒さがまさにそうで、数字に表れた気温以上に寒く感じた。

想定外といえば、今年の八月末に北海道の小樽に行った時もそうだった。あのうだるような残暑の中、「涼しい北海道に行けば、少しは一息ついて楽ができるだろう」と期待して行ったところ、到着した小樽の地は夕方を過ぎても 32度を超えていて、この日の北海道での最高気温を記録していた。

坂道の多い小樽の街を汗だらけになってひいひい言いながら歩くと、土地のばあさん連中も「70年以上生きてるけど、こんなに暑いのは初めて」と音を上げていた。北海道の人は普段、27~28度ぐらいの気温で十分に暑がるから、32度というのは猛烈な熱さに感じただろう。

北海道は夏でも日が暮れたら半袖シャツ一枚では肌寒く感じることが多いが、この日は日が暮れても暑く、うんざりするほどだった。一部には、「夜になっても Tシャツ 1枚で歩ける内地の夏にあこがれていたから、うれしい」などと言う人もあったが、「涼しい北海道で一息つける」と期待していた私は、この想定外の熱さでバテた。

関東では 35度とか 36度とかいう猛暑に耐えているのに、想定外で期待が外れると、32~33度であんなにバテてしまうのである。人間の感覚というのはなかなか難しい。

とにかく最近の日本は、夏は北海道まで暑く、冬は九州まで寒いという極端な気候になりつつあるようなのである。「涼しい北海道で一息つこう」とか「九州で暖まろう」なんていう期待は、もはや甘いものになってしまったのだ。

 

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2012年12月 8日

英語より日本語の方が英語っぽい人

長崎に来ている。このところ立て続けに長距離の国内出張で、8月末からの 3ヶ月半足らずで 8回目の飛行機での旅だ。月に 2度以上の割で飛行機での往復をしていることになる。決して低くない頻度である。

で、国内線の飛行機に乗るといつも思うのだが、スチュワーデス、じゃなくて、最近は客室乗務員と言うらしい(キャビン・アテンダント[CA]は多分、和製英語なんじゃなかろうか)のだが、彼女たちの機内アナウンスの英語が、大抵ものすごいカタカナ発音なのだ。

国内便の機内アナウンスは、日本語と英語で行われる。彼女らの発音は日本語ですらも子音が弱い傾向があるが、英語になるとますますその傾向が強まって、カタカナ発音の上に子音が不明瞭なので、非常に聞き取りにくいことがある。一般に飛行機の客室乗務員は英語が得意と思われているフシがあるが、必ずしもそうでもないみたいなのだ。

そういえば先日 ANA の便に乗った時、子音が強い独特の帰国子女的発音の日本語アナウンスに遭遇した。「ふうん、この子はきれいな英語を話すかもしれないな」と思っていると、なんと英語になったとたんに、その辺のカタカナ発音よりもっとカタカナっぽい発音になってしまった。子音は強いままなので、カタカナの機関銃である。

英語よりも日本語の方がずっと英語っぽく聞こえるような話し方をするという、希有な存在に遭遇したのであった。

以上、今日はまったくくだらない話題で失礼。

 

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2012年12月 7日

年末の大ダブル U ターン

九州別府への出張から帰って来ると、夜 9時過ぎの山の手線電車内が、妙に騒がしい。オッさんたちの話し声がハイテンション過ぎる。

そうか、今日は年末の金曜日。忘年会帰りの集団か。最近は二次会が流行らないらしいから、ちょうど帰りのラッシュなのだ。

こちらは別府から帰って、明日の昼前に用を済ませ、夕方前にまた飛行機に乗って長崎に飛ばなければならない。

本当のところは、そのまま別府で温泉三昧して、おもむろに長崎に向かいたかったが、どうしても外せない用なので、馬鹿馬鹿しい気もするが、一度帰って来た。

年末の大ダブル U ターンである。

 

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2012年12月 6日

予防接種と、その意義の説明

インフルエンザ・ワクチンの予防接種をする人が案外多いらしい。自らの意志で医者に行って打ってもらうんだから、大したものだ。予防接種をすると、感染しにくいとか、感染しても発病しにくいとか、たとえ発病しても軽く済むとか、いろいろなことが言われる。しかし私なんか医者嫌いだから、好んで接種したいとは思わないのだよね。

「感染しても、寝てりゃ治るから」なんて言って予防接種を嫌がっていると、「それは自分勝手な態度で、ウィルスをまき散らしことによる他人への感染を防ぐためにも、予防接種はするべきだ」なんて、殺し文句的なことを言う人もいる。しかしよく考えれば、予防接種をしても、他に感染させるリスクって変わらないんじゃないかと思うんだがなあ。

実際のところは、予防接種しても感染しないというわけじゃなく、ウィルスが体内(血液内)に入った時点での免疫効果を高める効果があるということのようだ。だったら、注射しようがしまいが、呼吸器(鼻とか喉とか)の段階で感染して、そのウィルスを他にまき散らすことはあり得るだろう。

むしろ発病しなかったり症状が軽く済んだりする分だけ、あちこち出歩いちゃったら、逆効果なんじゃあるまいか。そのあたり、少なくともまともに説明してもらったことがない。

いや、今日はインフルエンザ・ワクチンに対する疑念を述べるのが主眼というわけじゃない。私が言いたかったのは、「いろんなことを、まともに説明してもらった経験って、少ないよなあ」ということだ。例えば小学校でいろんな予防注射をさせられたが、その度にきちんとした説明を受けたことってない。

まさに小学校の頃は、何だか知らないが突然体育館に移動させられて一列に並ばされ、順番に注射された。その注射が何の意味があるのか、まともに説明してもらったことなんてない。

だから、私としては小学校時代に、納得して予防注射されたという経験が一度もない。後になって渡される集金袋の明細欄に「○○予防接種代」とか書いてあるので、「ああ、そういうことだったのかな」と思うばかりだった。

「子供に説明しても理解できるはずがない」なんて思っているのだとしたら、大変な間違いで、ずいぶん馬鹿にした話である。逆に、説明もなく痛い注射をされることによる不信感の方がずっと問題だ。私はそれに関して、今でも腹立たしい記憶がある。

それは幼稚園時代にまで遡る。当時は結核予防に関連してツベルクリン注射というものがあって、その結果が陽性反応だったらいいのだが、陰性反応だと、結核菌を薄めた BCG 注射というのをされ、免疫をつけるというシステムが実施されていた。

そもそもツベルクリン注射をされるのさえ嫌なのに、2~3日してその注射の痕をもっともらしく調べられる。これに関しては何の説明もなく、問答無用である。私は幼稚園の年少の時に陰性反応だったらしい。回りの友達の多くは陽性だったようで、あっさりと放免されているのに、私は別の列に並ばされ、いかにも痛そうな注射を打たれそうになった。

しかしこれが、前述の如く事前に何の説明もないのだから、幼稚園児だった私としては、納得いかないのも無理はない。何で自分だけ注射されなければいけないのだ。頭にかっと血が上った私は、幼稚園中逃げた。逃げて逃げて逃げまくったが、ついに掴まって、抵抗虚しく無理矢理 BCG 注射を打たれた。

私は何が何でも注射が嫌だったわけではない。新たな注射をしなければならない理由を、きちんと説明されたなら、私は子供心にも嫌々ながら受け入れただろう。それが問答無用なのだから、幼稚園というのはよくよく理不尽なところだと、不信感ばかりが残った。幼稚園の先生の言うことなんか、金輪際聞くものかと思った。

似たような経験は、自動車教習所でもある。車庫入れや縦列駐車などの実技の練習で、それがどういう意味があるのか、何の役に立つのか、全然説明なしで、いきなり 「あの狭いところにバックで入れ」 なんて言われるのである。そんなことだから、運転免許を取得しても、車庫入れをバックですることの意味をわかっていない人が案外多い。

私は自分で調べ、「車は後輪差というのがあるので、カーブを曲がる時には頭を大袈裟に振るものである。その大袈裟に振らなければならない頭を先に狭いスペースに入れてしまっては、出入りしにくい」とわかって、初めて納得した。同じ説明をしてあげて、「ああ、そうか、それでわざわざバックで入るのか」と、初めて納得する人は、少なくない。

職人の修行でも、親方は何の説明もしてくれず、ただ「先輩のやることを見て盗んで覚えろ」というのがスタンダードらしい。しかし私の知人の宮大工は、自分の子供にしっかりと技術の基礎とその意義を説明して練習させた。すると、「職人の世界では 10年かかるといわれる技術を、3年かからず習得できた」と言う。

最初にしっかりとその意義を説明し、納得させたら、不信感は消えるし、スキルの習得だって格段に速いのである。だって、自分の習得する技術の意義とそのゴールがしっかりわかったら、そこに到達するために必要な工夫をするもの。

平均的日本人は結局、説明するのがものすごく下手くそなのだ。だから、つい説明がすっ飛ばされてしまう。そして説明してもらえないから、自分なりの工夫もしにくい。状況ごとにきちんと説明するというメソッドを確立したら、日本の教育はかなり水準の高いものになるだろうに。

今日はインフルエンザの予防接種の話からずいぶん広がってしまったが、こうした 「そういえば、そういえば」でとりとめもないほど広げて行く思考メソッドというのは、時としてなかなか有効な場合がある。

 

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2012年12月 5日

勘三郎ショック

朝起きて、勘三郎死去のニュースを聞いて愕然とした。平成になってからの最高の歌舞伎役者は勘三郎だと思っていたので、あまりに早い死が残念すぎるほどだ。

私としては、彼は親勝りだったと思う。人間国宝だった先代も偉大な役者で、晩年は歳を重ねた枯れた味があったが、それを除けば、当代(といっても、この世にいなくなってしまったのだが)は先代の域に既に達していた。さらに先代がやりたくてもできなかった、前衛的な試みも存分に果たし、ちゃんと成功していた。

六代目菊五郎の築いた芸風を継ぎ、平成の世に完成させたのは素晴らしい業績だった。あの『髪結新三』や『松浦の太鼓』が、もうビデオでしか見られないとは、本当に悔しい。まだまだすごいことができたはずなのに、もうこの世にいないとは悲しすぎる。日本の損失だ。

ショックすぎて、「冥福を祈る」などという決まり文句を言う心境まで至っていない。ただショックである。あとは、中村屋の後継者、勘九郎に乗り移って大化けさせてくれと願うばかりである。

 

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2012年12月 4日

コンクリート板のつり天井なんて、ぞっとするよね

中央道、笹子トンネルのつり天井崩落事故は、かなりショックだった。最初にニュースを聞いた時は「中国じゃあるまいし!」なんて思ったが、同じような構造のトンネルが全国にあると聞いて嫌な気持ちになった。

東北地方の高速道には、つり天井方式のトンネルはないと発表された。東北地方は幸か不幸か高速道の建設が後回しになったので、後から開発された高性能ファンを使用する方式が多いらしい。その方がコストも安いだろうし。そういえば、トンネルの天井で換気扇らしきモノが回っているのは、私にとってお馴染みの光景だ。

ただ、高速道にないとはいえ、そのほかの道路にもないかというとそんなわけでもないらしく、例えば国道 112号線の月山第一トンネルと月山第二トンネルはつり天井らしいのである。このトンネルは私が帰郷する時によく通るので、「おいおい、ちゃんと点検しといてくれよ」と言いたくなった。

それにしても、あちこちで指摘されていることだが、そんなに重い物体をつり天井にするなんて、フツーに考えたらかなり乱暴な話である。1トン以上のコンクリートが頭の上にワイヤーで吊されているなんて考えたら、大抵はぞっとするだろう。

確かに、40年も経てばドカドカ落ちてきても不思議じゃない気がする。これは単に素人が「気がする」と言ってるだけじゃなく、事実によって証明されたのだから、客観的にも相当大変なことである。

俗に「ゴキブリが 1匹いたら 100匹いると思え」という。1カ所落ちたら、全国で今にも落ちそうなところが 100カ所ぐらいあってもおかしくない。過去にも、同じような事故が連続して起きるという現象は珍しくないが、それは単なる偶然ではなく、類似要因の事故があちこちで起きるタイミングにさしかかったためということなのだろう。

根本的なことを言ったら、高速道を運用している会社は、「検査」だけで済まさず、なるべく早めにコンクリート板のつり天井方式をすべて他の方式に置き換えてもらいたいものである。

 

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2012年12月 3日

右翼バネだらけになっちゃった世の中

昔々、自民党がわが世の春で、それが時々ちょっとだけヤバくなると社会党の議席がその分ちょっとだけ増えていたという時代には、「左翼バネ/右翼バネ」という言葉があった。

社会党が議席を減らしすぎて万年野党としての存在意義すら危うくなると、急に党内左派の勢いが強まって、「自衛隊は違憲」とか「非武装中立」とか「大企業優遇の自民党を潰せ」とか、いかにも左翼的なことを、つまり万年野党にふさわしいことを声高に言い始めるのだった。これを「左翼バネ」と称した。

逆に自民党は、時々汚職やら政治腐敗やらで支持率が落ちて、次の選挙では少々苦しそうな時には、「靖国参拝」とか「公務員ストに厳しい姿勢で」とか「日教組は問題あり」とかいう話を一部の議員に声高に語らせて、郷愁に溢れた心情右翼の支持を確固たるものにしようという意図が見え隠れした。これを「右翼バネ」と言ったのである。

近頃では、日本社会党が左翼バネを連発しすぎるうちに急速に支持を失って消滅してしまったという教訓から、左翼的言辞で選挙に勝とうなんてする政党はほとんどなくなってしまった。かと思うと、なんとまあ、右翼バネが自民党の専売特許じゃなくなってしまったというのも、新しい傾向である。

自民党の安倍総裁は近年稀にみる右翼バネを発揮している。憲法改正とか自衛艦のお古を海上保安船にするとかいうのは、ちょっと前だったらマスコミに寄ってたかって叩かれそうな話で、下手したら主婦層の支持を減らしかねないのもお構いなしだ。

放っとけば民主党が自滅するのは確実なのに、それでも右翼バネを働かせずにいられないというのは、自民党としてはよほどの危機感なのだろう。ところが安倍総裁の右翼バネは、あまり有効に機能しているように見えないのである。というのは、周りを見回すとそれ以上に右翼っぽいのがうようよしているのだ。

私個人としては、憲法は改正すべきだと思っているし、九段に行く用事があればついでに靖国神社を参拝するし、『君が代』 は世界に誇るべき国歌だと思っているし、祝日には国旗を立てるし、端から見ればかなり右翼っぽいところがあるのだろうが、現実にはかなりリベラルっぽい政策を支持したりしている。

だから、国旗国歌法制化には賛成できなかったし(参照)、太田光と中沢新一の対談「憲法九条を世界遺産に」なんていうのに、つい共感してしまったりもした(参照)し、米国でオバマが勝利すると、心から嬉しかったりする(参照)。いかつい右翼から見ると、かなり日和見に見えてしまうだろう。

しかし私のような日和見右翼からみると、最近の状況はちょっと気に入らないのである。70年前後の新左翼が裏返ったようなもので、今の右翼バネは何だか信用できない。

私は 1971年にワセダに入ったが、その頃のワセダ学内はもう、学生運動であふれかえっていた。しかし私としては、そのリーダーたちのステロタイプのポジショントークしかできない姿を間近に見るにつけ、「こいつらとまともに付き合ったら、こっちまでバカになってしまう」という気がして、どんどん遠離った記憶がある。

そして今の右翼バネらしき現象を見ると、あの頃とちょっと似かよった感慨に陥ってしまうのだよね。悪いけど。

 

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2012年12月 2日

もう一度、「反原発」 の主張を繰り返しておこう

私は昔から「反原発」という立場で、昨年の震災直後は何度もその旨を書いていたが、近頃はあまりそれを言わないできた。私ごときが言わなくても、世の中でそのコンセプトが力を得てきたと思っていたからだ。

今度の総選挙では、表面上では、自民党以外はおしなべて「脱原発」だの「卒原発」だの「原発依存を減らす」だの「○○年までに原発ゼロ」などと言っていて、まあ、これだけで自民党は私の選択肢から消えた。しかし他の党だって、どう転ぶかわかったもんじゃない。

維新の会なんぞは、石原さんが「原発は 2030年までにフェイドアウト」というかなりぼかした言い方まで否定してしまって、原発を止める気はないという立場を前面に押し出してきそうだ。これだから、じいさんは困る。私は前にも書いたとおり、石原さんと橋下さんは支持しないと決めているからいいけど。

ただ、「反原発」と言い続けている私だって、そんなに現実離れした夢物語を言っているわけじゃない。昨年の 4月 18日の記事では、次のように書いている。(参照

私自身の立場も「反原発」ではあるが、自分としては「現実的反原発派」というポジションに立っていると思っていて、「ただちにすべての原発の運転を停止しろ」などと言っているわけではない。

原発はゆくゆくはすべて止めなければならないが、現時点でそんなことをしたら、社会が壊れてしまう。原発を運転し続けるリスクと即時運転停止によってもたらされる社会混乱のリスクを比べたら、後者の方がずっと大きいので、ここは仕方がないから、ある程度長い時間をかけて原発依存から脱却していくべきだというのが、私の主張である。

さらに、老朽化した原発を再稼働させるぐらいなら、安全性がよりマシな原発を新規に建設して、しばらくの間は稼働させてもいいと思っているぐらい、自分では柔軟な考えをしているつもりである。建設コストの問題はあるだろうが、お古を無理矢理使うなんていうリスク満点なことをするよりはずっとマシだ。

それに、今になってからこれを言うのは「後出しじゃんけん」みたいで恐縮だが、「原発をこんなに停止してしまっても、日本の電力って賄えてるじゃん!」と実証されてしまった以上、あまり「原発稼働させろ」と言い続けるのは、もはやカッコ悪い。

産経新聞なんて、この度の吹雪による北海道の停電事故にかこつけて、"暗闇の登別 「泊原発なければ冬乗り切れぬ」" なんて記事を書いているが、「送電線が切れたことによる停電と、原発とは別の問題だろうが!」と、あちこちで叩かれている。反原発派の主張は情緒的すぎるなんていう人がいるが、情緒的なのはどっちだと言いたくなるではないか。

問題は発電コストだが、「原発が低コスト」という神話は、今回の原発事故で吹っ飛んでしまって、「何かあったら計測不能なほど高コストになる」ということが実証されてしまった。こうなった上は、多少のことは我慢しなければなるまい。

「もう事故は起きない」なんて言う人もいるが、どうしてそんなことが言えるのだ。これだけいけしゃあしゃあと活断層の上にばっかり原発を建ててしまった(活断層の上にないと言い切れるのは、玄海原発だけらしい)電力会社の言うことを信じろという方が説得力がない。

「活断層の上を避けろというなら、日本には原発を建てる場所がない」という人までいるが、それならばいっそ、「地震国日本には原発は向かない」と諦めるしかないのである。本来は、それが正しい選択だろう。

でもまあ、私は「絶対に原発を稼働させるな」とは言っていない。CO2 の問題もあるし、将来的に再生可能エネルギーの比率が十分に高まるまでは、少しは恐る恐る稼働させるのも仕方ないと思っている。さらに火力発電は CO2 排出を泣く泣く認めた上でのトレードオフであり、将来的には原発とともに停止させなければならない。

ただ、CO2 はまだコントロール可能だが、核廃棄物は、プルサーマルだって使い物になっていないし、安全に処分する目途すら立たない。だから、行く行くは (2030年頃までには)、本当に原発ゼロにすべきだろうと、ぎりぎり現実的なことを言っているつもりなのだが、それさえも認めないのは、それこそ無責任というものだ。

最近はメガ・ソーラーへの投資がものすごく有望ということになって、建設ラッシュである。このことは、今年の 10月 2日に 「太陽光発電は公共投資としてかなりおいしいらしい」 という記事にしている。このまま行けば、再生可能エネルギーでの発電比率が現実的なところまで高まるだろう。

それに根本的なことを言えば、太陽光発電というのはメガ・ソーラーよりも、個々の家庭や事業所で行ってこそ最も効率的であるというのが私の立場である。開発余地はいくらでもあるのだ。太陽光パネルの寿命も相当長くて、南極では 30年前に設置したパネルが今でも現役で活躍している。ちょっとやそっとでは壊れそうにないのだ。

太陽光発電の買取料金は高額であり、それは回り回って国民全体で負担しているので、太陽光パネルを設置していない者にとって不公平だという指摘もあるが、それは社会全体での将来に向けての必要な投資であり、私としては「そんなケチなことを言ってどうする」と言いたいぐらいのものである。

「私の代わりに、先駆けて太陽光パネルを設置してくれてありがとう」ぐらいの気持ちをもってもいいじゃないかと思うがなあ。

 

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2012年12月 1日

暖房が「ささやかな贅沢」で、冷房は「とんでもない贅沢」

1週間前ぐらいから結構寒かったから、「12月に入った途端に」というわけでもないのだけれど、今日は特別寒い。同じ気温でも、大寒を越してしまったら逆に「少しは暖かくなったかな?」なんて感じるのだろうが、まだ体が寒さに慣れきっていないタイミングでこんなに気温が下がると、震えてしまう。

明日の夜明けはさらに気温が下がって、水戸あたりはマイナス 3度ぐらいになるのだそうだ。そういえば、前の冬はつくば周辺でも平気でそのくらいになっていたから、特別どうってことはないのだけれど、それでも 12月の初っ端でそれはかなり堪えそうだ。

ところで先月 20日に「近頃、ごく控えめに暖房を使っている」という記事を書いた。昨年の震災以来、「原発がないと電力を賄えない」なんて言う人がいるから、「じゃあ、使わなきゃいいんだろ、使わなきゃ!」とばかり、どんなに暑かろうが寒かろうが、私の仕事部屋では冷暖房を拒否してきたのだが、その姿勢をちょっと崩してしまっているのだ。

さすがに還暦を超えると、体を冷やしすぎるとちょっと体調を崩してしまうようで、仕事部屋ではほんの少しだけオイル・パネルヒーターを使っている。とはいえ、それは夜間に限っての話で、日のあるうちは厚着でしのいでいるから、全面降伏してしまったわけではない。今日にしても寒いには寒いが、午後 5時 20分現在、暖房なしで仕事している。

室内の気温が 10度だから、まだ大丈夫だ。一桁になったら、控えめに暖房を入れようと思う。その頃には多くのオフィスも閉じてしまって電力ピークを過ぎているだろうから、ちょっとだけ「ささやかな贅沢」をさせてもらおうと思う。しかし、来年の夏になっても冷房拒否だけは貫くつもりだ。

いやはや、近頃私個人としては、暖房は「ささやかな贅沢」で、冷房は「とんでもない贅沢」というレベルのお話になってしまっている。これでもちゃんと生きていけるのだから、なんてことはない。

【2023年 12月 7日 追記】

今年はとんでもない暑さになってしまった(参照)ので、生まれて初めて「冷房のスイッチを入れるのにいささかも躊躇しない夏」というのを経験した。いやはや、地球温暖化というのはハンパじゃない。

 

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