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2012年12月30日

「感情」 ほどやっかいなものはない

今日、ラジオを聞いていて、「自分にとっての今年一番のできごと」というテーマについて聴取者からの投稿を紹介するコーナーで、「10歳上の義理の妹(義理の姉ではない)に、面と向かって『あなたが嫌い』と言われたこと」 というのが読まれた。

義理の妹とはいえ 10歳も年上なので、口の利き方も丁寧に接していたのだが、ある日突然「嫌い」といわれ、気を使いすぎてよそよそしかったのかも知れないと思い、「以後、改めますね」と言ったら、「心にもないことを言うな」と追い打ちをかけられたというのである。なんとお気の毒に。

よっぽどの嫌われ者ならいざしらず、それなりに気を使って接していて、いきなり「嫌い」などと言われては、立つ瀬がない。この投稿をした人は、最初はショックだったが、思い直すうちに「私だって、あの人、大嫌い!」と開き直ったということである。まあ、これで余計な気の使いようをしなくて済むようになったのだから、OK だろう。

仕事上の同僚とか親戚とかは、嫌でも近しく付き合わなければならない間柄である。だったら、好き嫌いなんて感情はなるべく抑えておくものである。心の中でどう思っていようがそれは当人の勝手だが、それを露骨に表しては周囲の人間まで嫌な気分にさせてしまう。

私は、人付き合いというのは好き嫌いですべきものではないと思っている。否応なく付き合わなければならないなら、なるべく気持ちよく付き合う方がいい。どうしても虫が好かないなら、敬して遠ざかっていればいいだけの話である。わざわざ面と向かって「嫌い」なんて言う必要はない。

衆目の一致する嫌われ者(親戚中に 1人ぐらいはいるものだ)でもないのに、何となく「虫が好かない」というだけで「嫌い」などというのは、それはわがままというものだ。しかし世の中にはこんな具合に、自分の好き嫌いを表に出さなければ気が済まない人というのがいる。確実にいる。

ユングの性格判断では、こういうのは「外向的感情型」という。物事の価値判断をするのに、「善/悪」とか「合理/不合理」、「美/醜」とかではなく、「好ましい/好ましくない」(煎じ詰めれば 「好き嫌い」)が基準になるのである。

このタイプの人は、フツーには案外人当たりがよく、世の中をうまく渡っていけることが多いので、たいてい「自分はいい人」と思っている。その「いい人である自分」が気にくわない対象は、とりもなおさず「悪い」ということになる。個人的な「好き嫌い」を、「善悪」と錯覚しがちなのが問題なのだ。

この傾向の激しい人が職場や親戚に 2人いると、馬鹿馬鹿しい派閥が形成されて大変なことになるが、案外よくある光景である。

ちなみに、こうしたことに全然付き合わないのが「内向的論理型」の人間だ。このタイプは、面と向かって「嫌い」なんて言われても、案外ショックを受けることもなく、「ああ、そうですか」と受け流せる。

「勝手に嫌っていてください。別にあなたに好いてもらうために生きてるわけじゃないから」ってなものだ。そもそも、人付き合いそのものが嫌いだったりするから、はなから相手に嫌ってもらう方が、余計な気を使わずに済むだけ気楽ということもあったりする。

で、外向的感情型の人間にとっては、内向的論理型のこうした一見冷酷な態度が気に障って、ますます「嫌い」になるみたいなのである。人間の心理というのはなかなか思うようにはいかないものだが、私にしてみると、「感情」ほどやっかいなものはない。

 

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コメント

なるほどですねー~(°°;)))オロオロ(((;°°)~
そういう人いるいる

投稿: hiroyuki | 2012年12月30日 22:03

一日早いですが、一年間ありがとうございました。

投稿: ハマッコー | 2012年12月30日 23:26

hiroyuki さん:

いるんですよね、これが。
困ったものです。

投稿: tak | 2012年12月31日 00:49

ハマッコー さん:

こちらこそ、ありがとうございます。
今後ともなにぶんよろしく。

投稿: tak | 2012年12月31日 00:50

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