« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013年1月に作成された投稿

2013年1月31日

カッコよく快速タイピングできるようになりたいという幻想

最近知り合ったばかりのオッサンが、「tak さん、パソコンのキーボード打つの、速いですか?」 と聞いてきた。

「まあ、速いですよ。私より速い人はいくらでもいますけどね」
「ブラインドタッチ、できますか?」
「できますよ」
「どうやって練習したんですか?」
「特別に練習なんてしたことないですよ。どうせ仕事なんだから、ひたすら実戦です」

確かに私はタイピングの練習なんて、まともにしたことがない。20代の頃に英文タイプを使い始めた時、ひたすらホームポジションに指を置くことを心がけたが、それだって、仕事で使いながらの話である。当時はタイプを打つとリボンと紙を消費したから、単なる練習だけなんて、もったいなくてできなかった。

「仕事で使いまくれば、そのうち慣れますよ」
「いやぁ、私は仕事でキーボードを打つのが遅いんで、困ってるんですよ」
「だったら、ますます仕事に集中すればいいじゃないですか。仕事以外に余計な練習するなんて、時間の無駄ですよ」
「いやあ、きちんとした練習しないと、速くなれないんじゃないかという気がするんですよね」
「きちんとした練習って?」
「例えば、ホームポジションとか」

この人、ホームポジションに指を置くのは、練習の過程でないとできないものだと思っている。普段の仕事でホームポジションを心がければいいとは、決して考えないようなのだ。

「仕事をしながらホームポジションに慣れればいいじゃないですか?」
「いや、ホームポジションに気を取られると、ますます遅くなっちゃって……。やっぱりパソコン・スクールとかに通った方がいいかなあ」

思うにこの人、快速タイピングをしなければいけないほどの仕事はしていないのだ。多分必要に迫られていない。人差し指タイピング以上のスキルは、とくに求められていないのである。

その上で、「10本指全部使って、ブラインドタッチができたら、カッコいいだろうなあ」と思っている。それだけのことだ。これって、何かに似ている。そう、仕事の上では別に英語をペラペラしゃべる必要なんてないのに、「俺も外人と英語で会話できたら、カッコいいだろうなあ」 と、漠然と思っているのと同じだ。

それで、特別な教材を買ったり、高い授業料を払って英会話スクールに通ったりする。そうすれば 「楽して自動的に英会話が上達する」と思いこんでいる。ところがそうした人たちの多くは、途中で挫折する。それは、とくに必要に迫られているわけではないからだ。単に「楽してカッコよくなれる」という幻想を抱いただけなのである。

今回登場した知人も、パソコン・スクールに通ったぐらいでは、快速タイピングができるようにはならないだろうなあ。周囲を見ても、パソコン・スクールに通った経験のある人のほとんどは、今でも人差し指タイピングで、基本操作にも四苦八苦しているが、パソコン操作の上手な人でパソコン・スクールに通ったという人は、見たことも聞いたこともない。

 

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2013年1月30日

「アベノミクス」 で考える

安倍新政権の支持率が、発足 1ヶ月後にしてアップしているんだそうだ。共同通信の調査では、発足直後の昨年末の数字から 4.7ポイント増の 66.7%、日本経済新聞では 6ポイント増の 68%。フジテレビ系の調査だと、先週から 6.8ポイント増の 68.2%だったという (参照)。

日本の内閣というのは、発足直後にいわゆる「ご祝儀相場」というやつで結構な支持率を得るが、その後にどんどんメッキが剥がれたように下がっていくというのが、いつものパターンである。政権発足 1ヶ月後にアップするというのは異例なんだそうだよ。

この支持率アップの要因というのが、「アベノミクス」と呼ばれる経済政策が、早くも一応の成果を上げているように見えるということのようなのである。あの「デフレと円高からの脱却、2%のインフレ目標」などと言われているやつだ。人間というのは、よほどカネに釣られるものらしい。

「一応の成果を上げているように見える」ということだが、確実に数字として表れているのは、「円高からの脱却」だけである。確かにこれまでの円高基調は、素人目からしても行き過ぎだったから、少しは円安方向に振れてもしかるべきところだった。

ところが、現在の日本は貿易赤字の状態にある。つまり輸出よりも輸入の方が多いのだ。だから急に円安になると、輸出企業にとってはメリットがあるが、消費市場にはマイナスにはたらくということも見過ごしてはならないだろう。

とくにガソリンや灯油などは、円高で輸入メリットが増してもなかなか値下げにはならないのに、今回のように円安に振れると 「輸入価格が上がった」 とやらで、すぐに末端価格に反映される。ガソリンなどは既に、全国平均でリッター 150円以上になっている。

こうなると、いろいろな消費物価の上昇に反映される。2%の物価上昇なんて、あっという間かもしれない。ところがこの物価上昇は、円安という外的要因からくるもので、需要の増大によるものじゃないから、経済規模が膨らむということではない。下手すると、「物価は上がりました、収入は変わりません」ということになりかねない。

とまあ、心配事をあげればきりがないが、はっきり言って、経済がこれからどうなるかなんて、実際のところは誰もわからない。これまでいろいろな経済学者が自信たっぷりに発表した経済予測が、人によってバラバラで、それが当たったり外れたりということを目の当たりにしてきた。要するに、「経済は天気予報以上にわからないもの」というしかない。

ある程度は楽観的に構えていないと、市場なんていうのは気分で動くものだから、ますます低迷する。かといって、あまり浮かれるとすぐにバブルになる。というわけで、どうせわからないなら、一喜一憂せずに呑気にやっていけばいいだろうと、私なんかは思っているのである。

ただ、これまで通りの「経済は拡大しなければならない」という思い込みだけは避けたいと思っている。私は一昨日の「正しく現実を知れば、失望ではなく感謝につながる」という記事で、「ほとんどの失望というのは、見当違いの甘えや過剰な期待の産物」と書いたが、経済にも同じようなことが言えると思うのである。

「経済は拡大しなければならない」なんていうのは、幻想にすぎない。これからの世の中、経済なんて停滞して当然と思うぐらいでないといけない。中国みたいに急に発展しすぎて、なおかつその成長を維持しようなんて欲をかいたら、世の中のシステム自体が追いつかないし、地球環境だってもたない。

私の毎度のメタファーであるが、「健康のためには命も惜しくない」というのがナンセンスならば、「経済のためなら地球環境も惜しくない」というのも同様にナンセンスなのである。つつましく暮らそうじゃないか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月29日

パスワード騒動

最近つくづく思うのだが、パソコンの取り扱いが昔と比べてずいぶん簡単になった。今は外部デバイスとの接続が大概 USB で行けるので、昔のように SCSI カードや PCI カードを差し込んでやる必要もない。ありがたいことである。

SCSI とか PCI とか言っても、Windows XP 以後のユーザーの多くは、何のことだかわからないだろう。昔はキーボード、マウス、ディスプレイ以外の接続はほとんど、パソコン本体のネジを外して、スロットに大袈裟なカードを差し込んで、そこからつないでやらなければならなかったのだ。

さらにインターネットではなく「パソコン通信」が主流だった時代には、添付ファイルを送ることもできなかったから、データ・ファイルやプログラムを送る時には、「バイナリ・メール」という形式で送ってやらなければならなかった。

最初にテキスト・メールで「これからバイナリを送るから、よろしく」と断っておいて、次におもむろにバイナリで、データやプログラムを送る。その頃のパソコン・ユーザーは、そのあたりのことがしっかりわかっていたから、それで戸惑うことはほとんどなかった。

ほんの簡単なことで戸惑うユーザーが増えたのは、皮肉なことにパソコン回りが簡単になってからのことである。「何でこんなことがわからないんだ?」と呆れるほどの単純なことで、ひいひい言う中高年ユーザーが増えた。

彼らは、MS-DOS や Widows 3.1 あたりの時代には、決してパソコンに手を触れなかった人たちである。Windows XP ぐらいの時代になって、ようやく「パソコンぐらいはできないといけないかな」とつぶやきつつ大袈裟なタワー型を購入し、手をこまねいているのは、この世代である。

そんなようなおっさんから、夜になってヘルプを求める電話が入って来ると、それはもう最悪である。彼らは自分がどの操作でトラブっているのかすら説明できないのだ。

「あのぅ、ウチのパソコンのパスワードって、何でしたっけ?」
(「そんなの、俺に聞いてもわかるわけないだろう」と思いつつ)「パソコンで何をする時のパスワードですか?」
「メールする時のです」

彼らの「メールする」という言い回しは、かなりアブナい。彼らはインターネット関連の操作は、おしなべて「メールする」と言い表したがるのだ。

「メールする時は、いちいちパスワードなんか入れなくてもいいように設定してあげましたよね。昨日私が送った、〇〇会のお知らせ、読めますか?」
「はい、読めますよ」
「じゃあ、出欠の返事を送ってみて下さい」

しばらくして「出席します」との返事が届く。これで、彼がわからないで困っているのは「パソコンでメールする時のパスワード」じゃないということがはっきりした。じゃあ、何のパスワードなんだ? 特定に手間がかかりそうだぞ。

「パスワード入力を求められたのは、何をしようとした時ですか?」
「だから、メールです」
「メールはたった今、問題なくできましたよね」
「いや、娘のメールなんです」
「娘さんのメールをチェックしたいんですか? それは、いくら親子でもやめといたほうがいいですよ。それに、娘さんのメールのパスワードなんて、私が知ってるわけないでしょ」
「いえ、実は娘が泊まりに来てまして、iPad でメールしたいっていうんですけど、パスワードを入れないとできないみたいでして……」
「それって、娘さんの iPad ですか?」
「そうです」

これで、彼の娘さんが彼の家の Wifi ルーターに接続する時のパスワードがわからなくて騒いでいるのだと、ようやく判明した。

「そのパスワードなら、Wifi ルーターの横っ腹かどこかに貼られた紙に書いてあるはずですよ」
「わいふぁいるーたーって、何ですか?」
「ほら、こないだ無線 LAN でインターネットできるようにするために、設定してあげたでしょ。あの小さなアンテナが付いてて、緑色の光が付いてるやつ」
「ああ、あれね。そうだったんですか。やってみます」

しばらくして、また電話がかかってくる。

「わいふぁいるーたーの横っ腹に貼られた紙に書いてあるパスワードを、何度入力してもメールできないって言うんです」
「おかしいなあ、どんなパスワードですか?」
「私の誕生日をパスワードにしてるんですけどね」
「誕生日ぃ!? ルーターのパスワードがそんなもののはずないでしょ!」

よく聞いてみると、自分のメール・アカウントのパスワードを、ポストイットでルーターの横っ腹に貼ってあるのだった。ふむふむ、あり得ないことじゃないが、メールのパスワードをルーターに貼り付けてどうするというのだ。いや、こんなことではめげないぞ。かなり脱力してしまってたけど。

「自分で貼った紙じゃなくて、その機械に元々貼ってあるのを見てください!」

これでようやく彼の娘さんの iPad はインターネットに接続できたのであった。ああ、疲れた。

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2013年1月28日

正しく現実を知れば、失望ではなく感謝につながる

三日前の "駆け込み退職、123人が 41人だったら「想定内」というのか?" という記事で私は、世間で議論されているような、「駆け込み退職する教師は、無責任か否か」というようなことを問題にしたかったわけでは、全然ない。

年度途中で退職金削減などという、ちょっと乱暴な措置を講じた以上、そうした教師が出るのは、当たり前のことである。それが現実というものであり、いいとか悪いとか言ってもしょうがない。要は、そんなことにならない措置を講ずるべきだったのである。「火事を出すのは悪いこと」なんて言う前に、防火対策をしっかりすればいいのと同じだ。

123人の駆け込み退職者が出た埼玉県で、知事が記者会見で「想像より 3倍多い」と言って嘆息したという記事を読んで、私は文字通り、「41人までなら想定内で、問題なしとでも言うのか」と、「素直にびっくり」したということを言いたかったのである。何しろ私はアスペルガー一歩手前(参照)だから、言葉をそのまま額面通り受け取るタイプなのだ。

駆け込み退職者の数の想定がとんでもなく見当はずれだったことと、「41人までなら OK」と言わんばかりの安易な姿勢だったことの、二重の無責任を、行政側は非難されなければならない。これは駆け込み退職する教師よりもレベルが上の無責任である。

さらにもう一つ言えば、記者会見で「3倍多い」なんて軽はずみなことを口走る県知事も、かなり問題だ。これが裁判だったら、エラいことになる。

退職金の損得勘定で駆け込み退職する教師に関しては、私は多少の違和感は感じても「びっくり」や「失望」はしない。彼らだって「ビジネス」なのだから、ある意味では当然の決断とみることだってできる。ところが、今回の埼玉県知事の発言は、どう見ても「当然」の要素はない。これに「素直にびっくり」 しないで、何にびっくりすればいいのだ。

この私のトーンをきちんと理解してコメントしてくださったのが ハマッコーさんで、彼は自身のコメントを「子供たちには、自治体の間抜けぶりを知ってもらういい機会になりました」と結ばれた。

まさにその通りで、マスコミが「子供が失望する」などと余計なことを言って煽らなければ、子どもたちは、お役所は結構お間抜けで、さらに教師といってもフツーのビジネスとそれほど変わらないという現実を、クールに理解する契機になっただろう。

最後に付け加えれば、それを知ったからといって、無闇に失望するには及ばない。世の中、そんなものだと知れば、見当違いの甘えも過剰な期待もしなくて済む。ほとんどの失望というのは、見当違いの甘えや過剰な期待の産物なのである。

辞めない教師が当然の姿で、辞めるのが無責任なのではない。逆だ。経済原則からすれば、辞めるのが当然で、辞めないのは「見上げた心掛け」なのである。

自分や自分の子供の担任教師が、定年に当りながら駆け込み退職しないでくれていたら、「自分の利益を棒に振って、子どもたちのことを優先してくれた」と、感謝すべきなのである。そんなことは、フツーのビジネス社会では希有なことなのだから。

見当違いの甘えや過剰な期待が先走ると、よっぽどの厚意を示されても「それが当然」なんて傲慢なことを思うようになる。こっちの方がよっぽどあぶない。

 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2013年1月27日

言いたいテーマをきちんと伝えることの難しさ

毎日ブログを更新していると、こちらの意図がまともに通じて受け入れられることもあれば、ちょっとした反発を食うこともある。それは当然のことだ。

さらにおもしろいのは、こちらの意図していることとビミョーにずれた受け取り方をされて、何となく「肩すかし」になってしまうこともある。文章できちんと意図を伝えるのはむずかしいと、今さらながら思う。

今月 18日付の "「虚学」 のプライド"という記事は、元々は "「実学」と「虚学」" というとてもモデレートなタイトルだった。これは emi さんのブログに表現されている「カネにつながらない学問を専攻することの矜持」みたいなことに、つい共感してしまって書いたのである。

ところがこの記事についたコメントが、なんとなく「学問の分類」ということにフォーカスした感じのものになりかけていた。そこに、当事者 (?) の emi さんが、「私も tak さんも、分類の話をしているわけじゃないはずなのですが、そこに興味のある人が多いというのはおもしろいですね」 というコメントを入れてくれて、私はどこかホッとしてしまったのだった。

で、この際だからとばかり、無用な誤解を避けるために、この記事のタイトルを "「虚学」のプライド" と、かなり大上段に振りかぶったものに変えてしまったのである。普段の私だったら、こういうスタンドプレイ的なタイトルは、よっぽどひねくれた意図がない限り付けないのだが、今回は大盤振る舞いである。

それから 25日の "駆け込み退職、123人が 41人だったら 「想定内」 というのか?"という記事への反応も、「駆け込み退職する教師は無責任か」という方向にヨレかけた。私はそんなことを論じる気は毛頭なかったのである。これについては、明日書く。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年1月26日

低アルコールのお酒がほしい

酒の量が減りだしてから、6~7年経った。前は「週に 1度は休肝日を作りたいなあ」と念願しつつ、果せなかったし、酒を呑みながらブログの更新をするのもしょっちゅうだった。しかし最近では、1週間に 1度も酒を呑まないということだって珍しくない。当然ながら、このブログの更新も、いつもしらふである。

これほど酒を飲まなくなってしまうと、前はあれほど毎日飲んでいた酒が、本当に好きで飲んでいたのかと疑問になる。あれはきっと、単に惰性で飲んでいたのだ。本当に心の底から酒を飲むことを欲して飲んでいたわけではないと思う。

しかしながら、「それならば、酒が嫌いになったのか?」と聞かれたら、「いや、決して嫌いになったわけじゃない」と答える。というより、今でも酒は好きだ。ただ、「酒が好き」ということと「いつも酒を飲んでいたい」ということとが、単純にリンクしなくなっただけのことだ。

最近の私は、おいしい酒をちびちび飲みたいと思う。決してどんどん飲みたいとは思わない。というのは、酒量が減るとともに、酒に弱くなったのだ。私は遺伝的には酒に強い体質ではない。死んだ父などは、「酒はお猪口 1杯ならおいしいが、2杯飲んだら、心臓がバクバクして死にそうになる」と言っていたほどアルコールに弱かった。

その息子なのだもの。私が酒に強いわけがない。ただ一時は、鍛えた結果少しは飲めるようになっていただけだ。そして酒量が減った今、元の酒に弱い男に戻ったのである。だから、今となっては大量の酒を飲みたいとは決して思わない。飲み過ぎたら、父ほどじゃないが体がきつくなる。

こうなると、ちょっとしたジレンマが起きる。決して嫌いになったわけじゃないので、たまには酒をまともに飲みたいのだが、まともに飲んでしまうとしんどくなる。しんどくなるのがいやなので、ますます飲まなくなる。それでさらに、酒に弱くなる。

世の中の若者の間でも、酒離れが進んでいるという。彼らもやはり「酔っぱらうのがいや」なのだという。うむうむ、その気持ち、かなりよくわかるぞ。私が今、まさにそんな風に思っているのだから。

というわけで、アルコール分が 2%ぐらいのおいしいビールとか、5%ぐらいの吟醸酒とかが開発されないものだろうかと、近頃考えるようになった。スピリッツはいろいろなもので割るのでどうでもいいが、「割って飲む」ことのあまり一般的でない醸造酒は、低アルコールのバージョンが出てきてもいいと思うのである。

ノンアルコールのビールは、お付き合いでなら飲むが、家でまで飲もうとは思わない。しかし アルコール分 5%のおいしい吟醸酒があったら、私はたまには飲むだろうと思う。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年1月25日

駆け込み退職、123人が 41人だったら 「想定内」 というのか?

近頃、「素直に嬉しい」という妙な表現が流行っているが、"相次ぐ駆け込み退職希望 「想像より 3倍多い」" という記事を読んで、私は素直にびっくりした。

上田清司・埼玉県知事が、同県の 2月からの退職手当削減を受けて教職員の駆け込み退職が相次いでいることについて、記者会見でこう漏らしたんだそうだ。報道によると、埼玉県の駆け込み退職者は全国で最も多く、123人。ということは、埼玉県知事は 41人ぐらいは駆け込み退職者が出るだろうとは踏んでいたということになる。

たとえ 41人だったとしても 佐賀の 36人、徳島の 12人よりずっと多いわけだが、そのくらいだったら「想定内」ということらしい。つまり埼玉県は、41人ぐらいの駆け込み退職者を想定しつつ、2月からの退職手当削減を決定していたわけだ。ふぅん、なんだかなあ。

この件に関しては、途中で辞める教師ばかりが「無責任」と批判されているように見えるが、その無責任振りを発揮させたのは、中途半端な区切りでの退職金削減を決めた自治体である。サラリーマン体質の教師が少なくないのは、昨日や今日の話じゃないのだから。

私の考えとしては、3月末までの定年を全うした教職員の退職手当は、きちんと保証してあげるべきだったと思う。2月で削減というのは、「どうぞ駆け込み退職してください」と言わんばかりの措置ではないか。

 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2013年1月24日

アウトレットで買う 「一流ブランド品」

Cr1301241晋遊社発行の「テストするモノ批評誌 MONOQLO」3月号に、不肖私めが、昨年の 7月号に続いて登場している。「中古 & 型落ち 辛口完全ガイド」という特集の、「アウトレット 人気ブランド品は本当にお買い得なのか?!」という記事の中だ。

ここで私は、BEAMS と Ralph Lauren のプロパー品とアウトレット品を比較している。もっとも、まったく同じ型番だったら比較も何もないが、この世にはアウトレット用に作った「アウトレット専用商品」というのがあるらしくて、それが似たラインのプロパー品と比べてどうなのかを調べてみるという企画だ。

詳しくは、3月号の P27 をご覧いただきたい(大したものじゃないが、素顔の私の写真もある)が、結論的には、私のみる限り、やっぱりアウトレット専用商品というのは、とくに素材と縫製のクオリティで、明らかに見劣りする。

素材に関しては、プロパー品の方がしっかりとしていて、アウトレット専用商品はヤワヤワだ。モノによっては、ヤワヤワの方がカジュアル感覚が強調されていいという場合もあるが、少なくとも Ralph Lauren を選ぶというなら、しっかりした素材でないとその意味が半減するだろう。

Cr1301242

そもそも、本来「アウトレット」という販路は、売れ残りやキズモノを安く売るという主旨で確立されたもののはずなのである。ところが日本の各地に「アウトレット・モール」という店舗が乱立してしまったために、本来の売れ残りやキズモノだけでは、商品供給が追いつかなくなり「アウトレット専用商品」などという摩訶不思議なものが作られるようになっている。

そうでなくても有名なアウトレット・モールの売り場は、一応「一流ブランド」がずらりと並んでいるのだから、メーカーとしても、そこに自社ブランドが並んでいないと淋しいなんて、妙な了見をおこしてしまうのだろうね。

言うまでもなく、これは本末転倒というものだ。フツーに考えたら、「ウチの商品はよく売れるので、売れ残りが発生しないし、高品質でキズモノもないので、アウトレットなんかに流すようなモノなんてございません」という方がカッコいいはずなのに、市場というのは不条理さにも構わず、どんどん不思議な方向にヨレていってしまのだ。

で、結論的に言うと、アウトレット・モールで売られる「一流ブランド」の衣料品の価格は、決して「安い」というわけじゃない。ほとんどの場合、期末のバーゲン価格とそれほど変わらないのである。3点セットでさらに値引きしてもらうのでもない限り、それほどのお買い得というわけじゃないようなのだ。

品質的にも中国の別ライン(つまり工賃の安い縫製工場)で作るのだから、見劣りがする。売れ残りを流すのではなく、わざわざ作って売るのだから、プロパー商品と同じ品質にしてしまっては、メーカーに利益が出ないのだ。

つまり、こうした商品をそれほど安いというわけでもない値段で買うぐらいなら、似たようものをユニクロで買う方がずっとお買い得と、私としては結論づけたいところである。「一流ブランドのタグが付いてさえいればいい」というニーズにおいてさえも、アウトレットじゃなく、ちゃんとした店でバーゲン狙いする方が、すっとお買い得だと思う。

 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2013年1月23日

「生命」 と 「コスト」 と 「環境負荷」

昨日の "「さっさと死ねるように」というのは、自然の人情じゃなかろうか" という記事では、麻生さんの発言中の「政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うとますます寝覚めが悪い」という部分には、敢えて触れないでおいた。金の問題には無頓着なので、とにかく「死ぬ時にゃ、さっさと死なせてくれ」というのが主要問題と考えていたのである。

ところが、山辺響さんから「人情の点では確かにそのとおりなのですが、麻生さんの発言は、コスト削減という観点からの発言ですから、ちょっとどうかと……」というコメントがついて、この側面からもきちんと書いておく方がいいかもしれないと、少しは思い直した。

で、私の考えをストレートに言うと、「お前は命を金に換算して論ずる気か!」と非難されそうなので、念のために断っておくが、「命はかけがえのないもの」というのは、当然の前提である。「命より金が大切」といわんばかりの人がいるが、それは私としても到底理解できない。

その上で敢えて言うが、医療はつきつめると「コスト = お金」の問題に行き当たる。現実の医療現場がいかに経済原則で動いているかを知れば、これは否定できない。患者の命を第一にする素晴らしいお医者さんもいるが、そうでないケースだってやたらと多い。

ややもすると、患者の命を救うよりも、より高額の報酬、あるいは自らの立場を護って、高額所得者としての地位にしがみつくことの方が大切だったりするとしか思われないようなケースがある。聞けば聞くほど、いくらでもある。

iPS 細胞による治療で、ガタがきてしまった臓器を新品に取り替えることができるようになれば、人間の寿命はどんどん延びると言われても、それに何百万円、いや、何千万円かもしれないが、とんでもない費用がかかると知れば、手放しで喜んでもいられない。

山中教授には甚だ恐縮だが、少なくとも私にとっては、それはほとんど「無駄金」である。そんなに大金を投入してまで、100年とか 150年とかに延びた人生で長期ストレスを浴び続ける意味があるほどには、この世が魅力的なものとは思われない。せいぜいフツーの寿命の間にきちんと生きて、いろいろ学ばせてもらえれば、それで十分だ。

誤解を恐れずに言えば、過度の延命治療や終末医療にかけるコストは、かなり非効率である。非効率ならば、削減するのは当然だ。役所の無駄遣いには厳しく当たり、医療の非効率は黙認するというのは、やはりどこかおかしい。「生命を大切にするためのコスト」にも、やはり使いようというものがあるだろう。

また、寿命が短かくてもそれは必ずしも悪いことばかりではない。当人にとっても周囲にとっても、さらに密度の濃い「学び」があるだろう。私はこれでも輪廻転生を信じているから、次に生まれた時の財産になると考えている。

もっと言えば、コストの問題ばかりではない。「環境負荷」のこともある。

私はただ生きているだけで、環境によろしくない負荷をかけていることに少なからぬ負い目を感じている。それで多少は生産的な仕事をしている時でも、エアコンを使わなかったり、エコ運転を心掛けたり、少額ながら植林事業に寄付したりと、いろいろ気を使っている。

それが、もうそろそろ死ぬしかないという時になって、集中治療室か何かに入れられて、過分なエネルギーを使った治療をされたら、政府の金を使わせてもらう以上に夢見が悪い。聞けば延命治療や終末医療の環境負荷は、結構なものらしいのである。

私は「健康のためなら命も惜しくない」という「健康オタク」のメタファーをよく使うが、「自分の命のためなら、地球の命は惜しくない」とは、決して言いたくないのである。

というわけで、私としてはいよいよ死ぬ時になって、まさに文字通りの「死に金」を使ってもらうよりは、後に残る世代のために使ってもらいたいし、大袈裟な延命治療や終末医療のために環境負荷をかけるのは、はなはだ不本意なのである。

最後に念のため付け加えるが、当人が「どうしても 1秒でも長く生きたい」と願ったり、家族親族が「とにかく生きていてもらいたい」と願ったりするケースにおいてまで、「さっさと死なせてやれ」とまで言う気はない。それはそれで、何かの意味があるのだろうから、十分に尊重しておきたい。

そしてその分、周囲が包括的にコストや環境負荷の削減に取り組むのも、また何かの意味があるだろう。

 

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2013年1月22日

「さっさと死ねるように」というのは、自然の人情じゃなかろうか

元首相にして現副総理の麻生さんの「さっさと死ねるように」発言が、マスコミに批判されているという。同様の主旨の記事を、7年近く前から気楽に何度も書いていられる身分としては、ちょっと気の毒になった。復習のために、過去記事の主な記事のタイトルと主旨を記しておこう。

百まで生きてどうする? (2006.03.08)

先進国に生息する以上、普通にしていたら、年をとろうが病気になろうが、そう簡単には死なせてもらえないということになってしまったということだ。これからは、「いかにして、つつがなく死ぬか」ということに心を砕かなければならない。

「ライフ・スパン・コントロール」 という発想  (2009.02.06)

自分ももう長くないなという頃になったら、医学的手法で無理に寿命を延ばすのではなく、ちょうどいいタイミングできちんと行儀よく死ねるような自己管理をしたいものである。これは決して「自殺」ではない。いわば「ライフ・スパン・コントロール」である。

人間がちゃんと死ねるように  (2012.07.27)

そりゃあ私だって簡単に死にたくはない。しかし、「死なないこと」がそんなにも「いいこと」かと言われたら、「いいはずがないじゃないか」と答えるしかない。そもそも、生命というのは個体としては生まれたり死んだりしながら、種として保存されるようにプログラミングされていることを忘れてはならない。

(中略)

医療というのがどんどん進歩し続けなければならない「業」を背負っているのだとしたら、それはそれでしかたがないから、倫理的な側面として「余計な医療を受けない権利」というのをしっかりと保証してもらわなければならないだろう。それも「特別なこと」というわけではなく「ごく普通のこと」として。

「後期高齢者」 という呼称を巡る冒険  (2012.09.18)

常々「ピンピンコロリ」がいいと言いながら、「ピンピン」だけ求めて「コロリ」はイヤだなんていうのは、そりゃ、わがままというものである。私は還暦のだいぶ前頃から、どんな風に死ねばいいか考えるのが習性みたいになってきていて、うまく死ぬのを楽しみにしている。まあ、実際に死ぬのは多分、ちょっと先の話だろうけど。

(中略)

というわけで、私はいつ死ぬことになっても OK である。「死ぬのが恐い」なんていう臆病な人が、娑婆で生き永らえることの苦痛には案外平気でいられるというのも、私には不思議でしょうがない。うんざりするほどの娑婆の長丁場にすがるよりも、死ぬ時が来たらあっさりと受け入れる方がずっと楽だろうに。

とまあ、こんなことを書いてきている私だから、「死ぬ時が来たら無理に延命措置を施されるより、さっさと死なせて欲しい」と願い、そのように言明することが、そんなにいけないことなのかなあと思うのである。

まあ、どんなになっても生きながらえていたいという人がいても不思議ではないし、人にはとことん延命措置を施してもらう権利があるのも当然ではあるが、私としては、その権利を放棄して自然な形であの世に行く自由の方を、ずっと大切にしたい。

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2013年1月21日

iPhone のテザリングは、今のところ問題なし

昨年、といってもつい先月のことだが、12月 16日に「Softbank 版の iPhone 5 で、ちゃんとテザリングできた」という記事を書いた。15日に SBM がテザリングを解禁してすぐに、設定してみて、ちゃんとまともにできたので、さっそく翌日付の記事としたわけだ。

LTE 接続の時だけでなく、3G でもちゃんとテザリング可能ということも、しっかりと確認できた。そして、念のために日本のあちこちで試してみようと思っていたのだが、これも最近、広島と秋田に出張した際にやってみて、ちゃんとうまく行ったので、報告しておく。

出張先で iPad(Wifi 版)を使う時に、これまでは、E-mobile の Pocket Wifi でインターネット接続していたのだが、今回は iPhone を使ってみた。これで接続できないという事態は生じなかったから、まあ、大抵のところではあまり問題なかろうと思うことにした。

もっとも宿泊先の ビジネスホテルでは、超小型のモバイル無線 LAN ルーターを使用した。最近のホテルはほとんど LAN 接続が可能なので、この方が便利な場合が多い。iPhone によるテザリングは 7GB 制限があるので、他の方式で接続可能なら、そっちを利用する方がいい。

その際には iPhone の設定で、「インターネット共有」をオフにしておく必要があるようだ。そうでないと、いつのまにか iPhone のテザリング切り替わって、7GB 制限にあっという間に達してしまうリスクがある。

というわけで、iPhone のテザリングを利用したのは、主に新幹線内だ。新幹線は、トンネル内でも回線接続が途切れない区間が増加したようで、なかなか快適に接続できた。この分なら、安心して E-mobile を解約してもよさそうだ。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月20日

晴れ男でよかった

実は、昨日から一泊二日で秋田に出張していた。

秋田は大雪だった。もし私のスケジュールが 1日早かったら、秋田新幹線は大雪のための運休で、秋田までたどり着けなかったかもしれない。そんなことは、秋田に着いて初めて知ったことである。私はただ、自分自身の晴れ男ぶりをひたすら信じて、呑気に「こまち」号に乗っただけのことだ。

ただ一応、大雪による遅れを心配して、ちょっと早めの便に乗った。2時間遅れても、一応そんなに遅くはならないような便に乗ったのだが、15分遅れで着いて、19日は前泊すればいいだけの話だったので、多少時間をもてあました。

そして今日は、薄日さえ射すいい天気だった。2日前までの大雪は、いったい何だったのかというほどの、穏やかな天気だった。私は自分の晴れ男ぶりに、今さらながら感謝したのであった。

というわけで、今日は疲れたので、これにて失礼。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月19日

左ハンドルのジャガー

以前、「4ドア・セダンはお好き?」という記事で、次のように書いた。

モノを所有することに関して、「ステイタス・シンボル派」と「ライフスタイル派」に大別するとすれば、4ドア・セダンは明らかに前者の趣味で、左ハンドルのジャガーに乗りたがるなんていうのは、その歪んだ典型である。我々の世代では、左ハンドルのジャガーなんて恥ずかしくて乗れない。

「我々の世代」が言い過ぎだとしても、少なくとも私は、左ハンドルのジャガーなんて、本当に恥ずかしくて乗れない。しかし世の中には、左ハンドルのジャガーに乗っている人が少なからずいる。かくいう私の知人にも、約 1名いる。

で、改めて、左ハンドルのジャガーに乗るメンタリティというものについて、まじめに考えてみた。

友人の中には、「左ハンドルのジャガーなんかに乗ってるやつは、英国車は右ハンドルがデフォルトだということを知らないんじゃないか」というものもあるが、私にはそれは信じられない。

少なくとも高い金を出して外国車に乗ろうとするユーザーなのだがら、多少は車に対する思い入れというものがあるだろう。そんな人間が、ジャガーは右ハンドルが本来の姿ということを知らないはずがない。

もし知らなかったとしても、購入の際に営業担当者にそれとなく言われるだろうから、最後まで知らないなんてことは考えられない。だとすれば、彼らとしては「ジャガーだろうがベンツだろうが、俺は左ハンドルの外車に乗りたいんだ」ということなんだろう。

ちなみに、車が左側通行する日本で左ハンドルに乗るメリットって何だろう。試しに ググってみると、Yahoo 知恵袋に「左ハンドル車のメリットってありますか?」というページがあった。

この質問には、実際に左ハンドル車のユーザーが何名か回答しているが、ほとんどは「メリットはない」としている。左ハンドルのメリットはないが、「乗りたい車に右ハンドルの仕様がないのだから、仕方がない」というのが、典型的回答である。

私なんかだと、右ハンドルが選べない車種なんて、それだけで選択肢から外れてしまうが、世の中にはよほど外国車の好きな人が多いのだろう。

そしてますます不思議なのは、ジャガーでは右ハンドルが選べるどころか、それが本来の姿であるにも関わらず、なおかつ左ハンドルが選ばれるということだ。

これはもう、「左ハンドルは高級外国車のシンボルであり、そのシンボルが欠けてしまったら、いくらジャガーでも魅力が半減する」と考えているのではなかろうか。つまり、ジャガーに乗りたいというより、左ハンドルの高級外国車に乗りたいのだ。きっと。

だったらメルセデスにしとけばいいのに、ちょっとデザイン的にジャガーの方が好きという感じなんだろう。そして、ジャガーのデザインが好きでも、左ハンドルに乗りたいという要求の実現だけは譲れないのだろうね。

こういうことを書くと、「あれはジャガーじゃなくて、ジャグワ」というツッコミがあるかもしれないので、予防線を張っておくが、あの会社、自ら「ジャガー」と言ってるんだもの (参照)。

【2017年 12月 22日 追記】

この記事には結構いろいろなコメントがついて、それにより、いずれにしても、現行のジャガーは「メカニック的には左ハンドルをデフォルトとして設計されているらしい」ということは理解しました。そしてこれが「左ハンドル派」の主要な論点の一つのようです。

ただ、それは私の視点からすると「左ハンドルの国への輸出増加による経済原則に沿った妥協の産物じゃん!」と考えてしまうのですよね。「右ハンドルの国(つまり日本)でまで、それに沿うこともなかろうや。だって英国本国が右ハンドルでやってるんだから」と。

これに関しては、またいろいろの反論があるでしょうが、いずれにしても、下の方にずらっと出尽くした感がありますので、この辺でこの記事に関するコメントは打ち切らせていただきます。

 

| | コメント (32) | トラックバック (0)

2013年1月18日

「虚学」 のプライド

emi さんのブログを読んで、「虚学」という言葉があることを初めて知った(参照)。「実学」という言い方があるとは知っていたが、それに対比される単語があったとは驚きである。意味としては虚ろな学問とかではなく、Wikipedia によると「基礎科学」のことを言うんだそうだ(参照)。「実学」は「応用科学」 である。ちょっと長いが、引用してみよう。

基礎科学(虚学、英:science、希:σχιζειν)とは、基礎的な面から見た分類。通常は、社会・人文・自然科学の総称として用いることが多い。オックスフォード英語辞典の「science」の項には、「直接何かの役には立たない学問。世界の根源を探求する学問」 とある。

応用科学(実学、英:art、希:τεχνη)とは、応用という側面から見た分類。応用科学は、広義に自然科学に含める場合が多い。基本的に、医学部、薬学部、歯学部、獣医学部、工学部、農学部で行っている学問を指すことが多いが、人文科学や社会科学の応用分野についても応用科学とされることもある。実学はその時代の文明や人間活動の役に立つと同時に、基礎科学分野にも影響を与え(例えばモルの研究は蒸気機関発明後になされている)、かつ後世にも多くの普遍的な知識・技術を与えるものである。

なんだかちょっと混乱があるようにも思われる。基礎科学が science で、応用科学が art だなんていう分類が生きて使われている場面に、少なくとも私は遭遇したことがない。

ちなみに私は「文学修士」の学位をもっていて、これは英語でいうと "master of art (MA)" なのだが、上述の分類に従って「応用化学 = 実学のマスター」なんて言われたら、違和感で頭がグラグラしそうだ。

私が専攻したのは「演劇学」という分野で、その中でも伝統演劇、民俗芸能の方にフォーカスしていた。早く言えば、歌舞伎とか神楽とかである。こんなものを研究しても、メシの種には決してならない。「虚学の中の虚学」、「スーパー虚学」である。

emi さんはブログの中で、「実学」は「就活で見栄えが良い」とか「すぐカネになる」分野で、対照的に「虚学」は「就活で武器になりにくく、カネにつながらない」分野だと喝破されている。なるほど、なるほど。確かにその通りだ。

私は好んで金にならない学問をした人間であり、学問というのは本来、そういうものなのだと思ってしまっている。こんな人間がいてもいいじゃないかということだ。

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2013年1月17日

「トナカイ」と「オットセイ」

去年のクリスマスの頃、ラジオで「実は『トナカイ』はアイヌ語なんです」というのを聞いて、「そういえば、『ラッコ』とか『オットセイ』なんかもアイヌ語と聞いたことがあるなあ」と思っていた。するとその翌日、友人に会うと「知ってる? 『トナカイ』ってアイヌ語なんだってさ」と言うのである。どうやら同じラジオを聞いていたらしい。

彼はさらに続ける。
「すごいね。『トナカイ』 というアイヌ語が、世界に広まっちゃったんだね」
私はあわてて打ち消す。
「いや、広まってない、広まってない。英語だと、確か『カリブー』だったと思うし」
「なんだ、『トナカイ』は世界では通じないのか」
「通じないよ。カタカナだからって、外国でも通じると思ったら大間違いだよ」

念のため和英辞書で調べたら、トナカイは "reindeer" というのだった。そういえば『赤鼻のトナカイ』は "Rudolph the Red-Nosed Reindeer" である。念のため "caribou" を調べたら、「北米産の大きなトナカイ」と出てきた。

米国でもサンタクロースのそりを引くのは、北米産の「カリブー」じゃなくて、北欧の「レインディア」ということになっているのだね。ちなみに、あの赤鼻のトナカイ君の名前は「ルドルフ」である。あの歌がこんなにもスタンダードになっているのに、名前を知る人が日本ではほとんどいないのが不思議である。

話が横道にそれかかったが、私の疑問は「どうして『トナカイ』という言葉が世界に広がったか」という見当違いではなく、「どうして北海道にはいないトナカイが、アイヌ語として存在するのか」だったのである。しかしそれは、ググってみたら案外簡単にわかった。

まず、「トナカイ」がアイヌ語由来であることについては、Wikipedia では "和名であるトナカイはアイヌ語での呼称「トゥナカイ」(tunakay)または「トゥナッカイ」 (tunaxkay)  に由来する" と説明されている(参照)。このページには、"caribou"  や "reideer" の語源も説明されている。

そしてこのページの棲息分布図で、トナカイは北海道にはいないが、北欧からツンドラ、樺太北部にかけて(そして北米にも)棲息するということがわかった。アイヌの居住地域は樺太にまで広がっていたので、言葉のみが北海道にまで入ってきたというのは、理解できないでもない。

さらにおもしろいこともわかった。OK Wave の「カリブーとトナカイは同じですか?」という Q&A ページに、ユカギール語という古言語との関係で説明してある。

それによると、「トナカイ」というのは元々は、アイヌ語の元になったユカギール語から入ってきた単語らしい。そしてそのユカギール語を話す民族というのは、今ではいなくなってしまったので、「トナカイ」という言葉は世界で唯一、日本に残っているというのである。

で、最後に残った疑問は、「どうして日本人は、アイヌ語から伝わった『トナカイ』という言葉と、それまで見たこともなかった動物を、一致させたのだろうかということである。まあ、こればかりは、アイヌ民族との交流で知った言葉を、「これって、あの大型のシカのことなんだろうなあ」と、想像力をたくましくして一致させたのだろうと思うしかない。

蛇足だが、「オットセイ」がアイヌ語というのは、ビミョーに正しいというわけでもないということもわかった。Wikipedia には次のように説明されている (参照)。

オットセイはアイヌ語で「onnep」(オンネプ)とよばれていた。それが中国語で「膃肭と音訳され、そのペニスは「膃肭臍」 (おっとせい)と呼ばれ精力剤とされていた。後に日本ではペニスの部位だけを指す生薬名が、この動物全体を指す言葉になった。

もっともこれは、定説といっていいほど確立したものではなく、いろいろあるというのが、佐藤和美さんという方の "「オットセイ」の語源を求めて" というページに詳しい。

さらにおもしろいのが、Wikipedia の次の記述である。

あまりにも一般的になったため、1957年に北太平洋のオットセイの保存に関する暫定条約が締結された際、出席した日本代表団がオットセイを英語であると誤解。英語でオットセイと説明しても理解されず、何回か発音を変えて言い直しを行うニュース映像が残されている。

そのニュース映像を見てみたいと思い、ググってみたがみつからなかった。1957年といえば島倉千代子の『東京だよおっ母さん』がヒットした年だから、無理もない。ビデオじゃなく、貴重なフィルムとして残っているのだろう。

私の友人は「トナカイ」が英語になっていると思いこんでいたが、条約締結に派遣された日本代表団は「オットセイ」が英語と思いこんでいたようなのである。繰り返すが、カタカナだからって、外国でも通じると思ったら大間違いである。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月16日

広島とつくばの体感的寒さ

出張で広島に来ている。新幹線に乗って横浜を過ぎる頃までは辺りに雪がたっぷり残っていたが、平塚まで来ると白いものは全然見えなくなり、青空が広がった。

広島について夜までたっぷり仕事をし、外に出ると暖かい。いや、言い直そう。決して暖かいというほど暖かいというわけではないのだが、震えるほどの寒さは感じない。これならとても楽だ。

それで「さすが、広島は暖かいですね」とつい言ってしまったところ、広島在住の人間の反応は、案の定「はあ?」というものだった。「僕なんか、十分寒いと思いますがね。いや、かなり寒いですよ」

彼は本当に寒そうなのである。電車に乗ろうとホームまで出ようとすると、「電車が来るまで、まだ 5分ありますから、待合室にいましょうよ。ホームは寒いですよ」という。私なんかホームの風が気持ちいいぐらいなのに、彼は完全に怖気付いている。

いやはや、驚いた。同じ日本に住んで、暑さ寒さの感覚がかなり違っている。広島というところは、やはり温暖な土地柄なのだ。関東は近頃、雪まで降ったし、それでなくても我が家は暖房を 15度に設定したりしているから、私の身体は結構な寒冷地仕様になってしまっているようだ。

明日は 1日フリーな日になってしまい、夜までに帰宅すればいいのだが、どうしようかなあ。

 

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年1月15日

ボクシングのウェイトについて考える

ボクシングにはウェイトによって多くの階級がある。WBA(世界ボクシング協会)と、WBC(世界ボクシング評議会)の階級は、17階級もある。単純にはヘビー級、ミドル級、ライト級 (重量級、中量級、軽量級) の 3階級あればいいような気がするが、それでは商売にならないのだろう。

階 級 体重(ポンド) 体重(キログラム)
ミニマム級 ~105 ~47.61
ライトフライ級 105~108 47.61~48.97
フライ級 108~112 48.97~50.80
スーパーフライ級 112~115 50.80~52.16
バンタム級 115~118 52.16~53.52
スーパーバンタム級 118~122 53.52~55.34
フェザー級 122~126 55.34~57.15
スーパーフェザー級 126~130 57.15~58.97
ライト級 130~135 58.97~61.23
スーパーライト級 135~140 61.23~63.50
ウェルター級 140~147 63.50~66.68
スーパー・ウェルター級 147~154 66.68~69.85
ミドル級 154~160 69.85~72.57
スーパーミドル級 160~168 72.57~76.20
ライトヘビー級 168~175 76.20~79.38
クルーザー級 175~190 79.38~86.18
ヘビー級 190~ 86.18~

眺めてみると、ライト級以下が軽い方に向かってどんどん細分化されたらしいことがわかる。「フェザー (feather)」「バンタム (bantam)」「フライ (fly)」「ミニマム (minimum)」 というのは、それぞれ 「羽根」「バンタム (チャボににた闘鶏用の鶏)」「ハエ」「最小」 という意味である。

鶏が羽根より軽いというのは変だが、まあ、長らくそう言い習わしてきたのだから仕方がない。フェザーより軽いなら「ダウン(down)」があるが、さすがに「ノック・ダウン」の「ダウン」 とスペルも発音も同じだから、絶対に採用されないだろう。ちなみに「フライ級 = ハエ級」というのはかなりひどい。

ライト級とミドル級の間には、「ライト」だの「スーパー」だのを除けば、「ウェルター級 (welter)」というのがある。これは辞書を引くと 「突然押し寄せること、洪水、混乱、騒動、ころげ廻ること」とある。なんでこんな名称になったんだか、さっぱりわからん。

ミドル級とヘビー級の間は案外大雑把で、不思議なことに、「ライトヘビー級」と「ヘビー級」の間に「クルーザー級(cruiser)」というのがある。「巡洋艦」という意味だ。なるほど、ヘビー級を「戦艦」とすれば、それほどには大きくないから巡洋艦なのだろう。

アマチュア・ボクシングでは、ライトフライ級の下をミニマム級といわず、「モスキート級(mosquito)」という。「蚊級」である。確かに蚊はハエより軽いだろうが、これもまたひどい言い方ではある。

ちなみに私の現在のウェイトはスーパーミドル級だが、必死に減量すればミドル級までは落とせると思う。死ぬ思いをすればウェルター級まで行けるだろうが、そこまでする気は毛頭ない。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月14日

突然の大雪

雪である。「関東にしては」の但し書き付きだが、大雪である。仕事で車でほんの 20分ぐらいのところを訪問していて、雪があまりにも激しくなったので早めに帰路についたのが 2時 40分頃。

いくらなんでも 4時前には十分に帰宅できると思っていたのだが、上り坂でのめりまくる車が続出していて大渋滞。あちこち裏道を通ってようやく家に着いたのが、5時過ぎだ。結局 2時間半ぐらいかかった。

予報では夜から雪になると言っていたので、夕方におもむろにスタッドレス・タイヤに履き替えようと思っていたのだが、こんな状態で、近くのガソリンスタンドもタイヤ屋もタイヤ交換が一杯でどこでも受けてもらえず、戻ってきたのが 6時半。ガソリンだけを虚しく消費した。

写真は我が家の玄関の前のハーブ(ローズマリー)の植え込み。ほんの片隅を残して、真っ白に雪に覆われてしまっている。

Img_4716

こうしてみると案外綺麗なもので、渋滞を切り抜けてきた疲れも少しは癒されようというものだ。

今回は天気予報が悪い方に外れてしまったので、交通機関が大混乱しているが、これに懲りて、鉄道会社も個人ドライバーも今後はしっかりと慎重な対策を練るだろうから、少しはまともになるかもしれない。そう願いたい。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月13日

占い師のあり方

昨日、車を運転しながらラジオを聞いていたら、とくに名を秘すというわけでもなく、単に名前を忘れてしまったのだが、グラビア・アイドルにして占い師という女性が登場した。何とか術という占いをするのだそうである

この人、昨年の今頃も同じ番組に登場して占いをし、野球のダルビッシュとイチローの 2012年の運命をズバリ当てたのだそうだ。昨年の録音が流れたのだが、確かにダルビッシュに関しては 「女難の相」 が出ているとし、イチローは「これまでの実績を整理して、変化の年になる」と指摘している。

なるほど、ダルビッシュは新年早々離婚したし、イチローはシーズン途中で新天地ヤンキースに移籍した。これだけ聞くと、「へぇ、なかなかやるもんじゃないか」と思うのも自然である。

そしてその後に、有名人の占いを次から次へと始めるのだが、なにしろ半端じゃない。主に芸能人、スポーツ選手なのだが、何人の占いをしたんだか覚え切れないほどだ。きっと昨年の今頃も、この調子でバンバン占っていたんだろう。

すると、何か? この調子でバンバン占った中で、去年は 2人しか当たらなかったのか? それも「離婚」とか「移籍」とかの具体的なものではなく、「女難の相」とか「変化の年」とか、アバウトに言っただけだし。

ダルビッシュの「女難」については、前々からニュースになっていたし、イチローの移籍に関しても、昨シーズンの結果を踏まえれば、「変化の年」とさえ言っておけば何かしら当たってしまうだろう。むしろ「引退」を予感させてしまう「これまでの実績を整理して云々」という言い方にしては、「移籍」という結果は拍子抜けかもしれない。

「2人的中」というのは、裏返せば「ずいぶんたくさん占った中で、2人しか当たらなかった」ということでしかなく、しかもその 2人に関しては、「こう言ってさえおけば安心」という程度の占いなのだよね。まさに「言い方」って大事だよなあ。

その意味ではこの人、確かに優秀な占い師なのかもしれないと思った次第である。グラビア・アイドルとしてはどうなんだか知らないが。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月12日

トラブル続きのボーイング 787

鳴り物入りで登場したボーイングの新鋭機、B 787 が、何やら問題になっている。JAL でも ANA でも、あちこちでトラブルを起こしているのだ。米連邦航空局(FAA)としてもさすがに放ってはおけず、787 の基幹システムに関する包括的調査に乗り出したらしい。

昨日の午後、宮崎空港に到着した羽田発 JAL 609便で、左エンジン付近からオイルが漏れているのが見つかった。JAL では同型機が、7日にボストン・ローガン国際空港で出火事故を起こし、翌日には同じ空港で燃料漏れ事故を起こしている。

JAL ばかりではない。ANA でも昨年12月、岡山―羽田便の飛行中に、操縦席の窓ガラスにひびが入る事故が起きている。短期間のうちにトラブル続きなのだ。

実は私は、昨年春に熊本に出張した際に、納入されたばかりと思われるピッカピカの B 787 に乗るという幸運(?)に恵まれて、ちょっと興奮したのを覚えている。何しろ音が静かで機内設備も快適、内部の湿度も低すぎずしっとりとして、乗り心地はものすごくよかった。是非また乗りたいと思ったものである。

その B 787 がそんなにヤバヤバだったとは、その時はつゆほども知らなかったのである。知っていたら着陸して機外に出るまで落ち着かなかっただろうから、知らないでいてよかった。まさに知らぬが仏である。

立て続けの不具合はきっちりとボーイング社にフィードバックされて、徐々に改良されるんだろう。ある意味、コンピュータ・ソフトのバグ・フィックスみたいなものだ。ANA と JAL が世界に先駆けて B 787 を導入するローンチング・エアラインとなったのだが、これはどうも、日本人がβ版で命がけの実験材料にされてるみたいで、どうにも寝覚めが悪いなあ。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月11日

iPhone の使用に 「限界温度 (摂氏 35度)」 があったなんて!

季節が逆の南半球にあるオーストラリアでは今、記録的な猛暑になっているらしい。内陸部では気温が華氏 122度(摂氏50度)を上回ると予想される地域が出ているらしく、気温を色分けで示す天気図に、これまでは必要なかった新しい色(紫とドレッドピンク)が追加されたという。(画像は Wired の記事より)

Australiaheatmap1_3

シドニーでは現地時間の 1月7日に、最高気温が華氏 108度(摂氏 42度)に達した。風呂の湯温でも、42度では熱すぎて長くは入っていられない。大変な暑さである。Wired はこの温度について次のように記している。

アップルによると、これは iPhone を安全に使用するには暑すぎる温度だ。仕様では、動作時には摂氏 35度以下を保つよう求めている。

知らなかった。iPhone の使用に際してそんな限界温度が設定されていたなんて。どれどれと思って調べてみると、なるほど、Apple の 「リチウムイオンバッテリー」 というページ の右サイドバーに、次のような記述がある。

ホットなヒント

iPod、iPhone、iPad やノートブックコンピュータを定められた動作環境より高温の場所 (35度以上) で利用すると、バッテリーの容量に恒久的なダメージを与えてしまう恐れがあります。例えば、ダメージを受けたバッテリーは、所定の充電で得られる駆動時間に達することができなくなるかもしれません。また、高温環境でデバイスを充電すると、ダメージはより大きくなります。高温環境でのバッテリー保存も、取り返しのつかないダメージをバッテリーに与えることになります。

近頃は日本の夏でも摂氏 35度以上になるのは、そんなに珍しいことではない。気象庁発表が 35度以下でも、真昼の日向では多分、40度を超えていることがあるだろう。つまり、日本の夏でも iPhone だけじゃなく、リチウムイオンバッテリーを使うデバイスが正常に動作しなくなる可能性があるということだ。

これまでは幸いなことに、そんなようなことはなかったが、このまま地球温暖化が進めば、リチウムイオンバッテリーのメーカーにはしっかり対策を施してもらわなければならない時が来るのかもしれない。

そうえいば、気温が 38度を超えると、人の座っていた座布団がひんやりと感じられることがある。無茶苦茶暑い日には、iPhone を洋服の内ポケットの奥にしっかりと入れて、体温で冷やしておくといいかもしれない。北海道ではビールの凍結防止のために冷蔵庫に入れるなんて話を聞いたことがあるが、その裏返しだ。

それにしても、地球という星の寒暖の差は、これまでより激しくなってしまったようなのだ。人間という生物は、これまでのモデレートな気候で辛うじて棲息してきたのだね。この微妙にも最適な環境を自らの手で壊しつつあるというのも、なかなか因果なことである。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年1月10日

20数年前の常磐線

私は結構あちこちに出張する機会が多いのだが、あの昔の「2つドアの客車」というのが、日本中どこに行っても見られなくなった。特急列車の客車じゃない。2つの座席が向かい合って 4席のボックス状になり、乗り降りのためのドアが、前後の 2カ所にしかないやつである。

近頃は、都会を走る電車はほとんど 4カ所にドアがあり、ローカル線を走るボックス席の客車でも、ドアは 前後と真ん中の 3カ所にあるというのが普通になった。もはや 2つドアなんて、特急列車しかないんじゃあるまいか。日本中でこんなに小洒落た電車ばっかり走るようになったのは、一体いつ頃からだろう。

私が常磐線沿線に引っ越してきた 20数年前は、「青電」と「赤電」の 2種類の電車があった。「青電」というのは取手止まりの「常磐線快速電車」の異名で、山手線と同じような車両だったが、薄緑の山手線、レンガ色の中央線、スカイブルーの京浜東北線に対して、常磐快速は青緑だったので、縮めて「青電」と言ったらしい。

一方「赤電」というのは、取手の先まで行くいわゆる「中距離電車」で、あの昭和の雰囲気そのものの 4席ボックスシートの 2つドアだった。「赤電」と呼ばれていたのは、色がいかにも戦後っぽいドドメ色だったからだろう。ちょっと色は違うが、外観は こんなような 電車である。

この「赤電」というのは、乗り降りのためのドアが自動じゃなかった。客が自主的に手で開閉するのである。なにしろドアのある部分は客席とは内部のドアで分離された「デッキ」と呼ばれていて、普通は客が乗っているべきところではなかったのだ。

ところが、ラッシュの時はそんな原則は言っていられない。乗降口から遠い真ん中まで行ってしまうと、混みすぎたら途中駅で降りられなくなるおそれがあり、誰も行きたがらないので、案外余裕がある。ところが両端に近づくほど混雑する。

とくにデッキ部分は人があふれる。そしてあふれた人でドアが閉まりきれないうちに、乱暴極まりないことに、電車は平気で発車してしまうのである。最後に乗った人は、体が半分電車からはみ出したまま、必死につかまっていなければならない。

今だったら「何たる不注意、危険運行」の見出しで新聞に載ってしまいそうなことが、バブル景気に湧く日本の首都圏で、日常茶飯事的に行われていたのである。

上り電車が取手駅を出発すると、すぐに利根川の鉄橋を渡る。閉まりきれないドアからはみ出して、必死にしがみついて振り落とされまいとしていると、自分の体の真下を滔々と流れる板東太郎・利根の流れが見える。これはかなりゾクゾクする経験だった。

こんなようなことで、常磐線は首都圏の中でも最もワイルドな鉄道路線として名を知られていた。今でも「常磐線は車内で酒盛りをしている」なんて言われるが、当時と比べればおとなしいものである。昔はフツーに背広を着たサラリーマンが通路で車座になって、大っぴらに宴会をやっていた。

首都圏でもつい 20数年前までは、かなり「東南アジア的光景」が見られたのである。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年1月 9日

知人のカメラマンが相次いで iPhone ユーザーに

仕事上で付き合いのあるカメラマンたちが、最近大挙して iPhone ユーザーになっている。私の知る限り、カメラマンというのはほぼ 100%近くが Mac ユーザーなので、スマホを買うとなると、これはもう、自動的に iPhone になってしまう。

で、見ているとおもしろい傾向がある。元々 Docomo のユーザーだったカメラマンは、ナンバー・ポータビリティ(NMP)でキャリアを変える時、ほぼ自動的に au を選択するのである。Docomo から鞍替えするにあたって、SBM はよっぽどつながりにくいと思っているらしい。

私は元々 SBM なので、「私もついに iPhone ユーザーになりました」なんていう知らせをもらうと、「おぉ、彼と連絡を取る時は、電話代が無料だ!」なんて早合点しがちだが、相手が au ユーザーだと、しっかりお金がかかるのである。相手のメルアドが、"***@i.softbank.jp" かどうかを、しっかり確認しなければならない。

知人のカメラマンたちが、Mac ユーザー → iPhone ユーザー という道を辿るのに対して、私は逆に iPhone から入って Mac ユーザーになろうとしている。現在は Windows 7 の Let's Note CF-S9 を使っているが、購入してから 2年 8ヶ月を経過した。私は PC の寿命は 3年と割り切っているので、そろそろ買い換えを検討し始めてもいい頃だ。

購入するにあたっては、Mac Book Pro にしようと思っているのだが、Retina ディスプレイ・モデルは、やっぱりちょっと高いのだよね。だが、ディスプレイというのは、「目」という感覚器官に直接触れるものだから、やっぱり高性能のものがいい。とくに最近、老眼で目がしょぼしょぼになりやすい身としては、どうしても Retina ディスプレイにしたいのである。

となると、現行モデルを買うべきか、あるいは今年夏になるであろうモデルチェンジを待って、最新型を買うべきか、迷っている。ただ、こういうことで迷うのは、あまり苦にならないものである。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月 8日

人間はシンプルな方が幸せ

芥川龍之介の短編作品に 『芋粥』 というのがある。

この作品の主人公は名前さえ定かではなく、ただ「五位」という官名で呼ばれる。風体はあくまで冴えず、取り柄とてない。子供にまでさげすまれる。その五位がある時ふと、当時は結構なご馳走と位置づけられていた芋粥を、飽きるほど食べてみたいともらした。

それを聞きつけた貴人が五位に、「それならば芋粥を飽きるほどご馳走しよう」と申し出る。都からはるばる連れてこられた越前の国、敦賀で、貴人が一声かけると、一夜のうちに山芋がどっさり集まり、庭に山のように積まれた。

こうして本当に「飽きるほどの芋粥」にありつけた五位だが、なぜか見ただけで腹が一杯になってしまい、無理矢理進められて口には入れてみたものの、飲み干すのに一苦労だった。そして、「芋粥に飽きたいと云ふ慾望を、唯一人大事に守つてゐた、幸福な」自分自身を、懐かしく心の中で振り返るのだった。

この作品を読んだのは、多分小学校の 4年生か 5年生の頃である。結構早熟だったかもしれないが、とはいえ、何しろ小学生のこととてものすごくシンプルな子だったから、「長い道中の末に、せっかくありつけた芋粥に、どうしてこいつは素直に喜ばないのか」と、私は読み終えてものすごく不機嫌になった。

私は今でも、好きなものなら毎日三食出されてもいいというタイプの人間である。朝昼晩と蕎麦を食わせられる生活がずっと続いたら、それこそ本望だ。なのに、この「五位」という奴は、あれだけ「飽きるほど食いたい」とあこがれていた芋粥を、食いもしないうちから食傷してしまっている。とんでもない奴である。

芥川としては多分、「あこがれのものというのは、遠くからあこがれている時の方が幸せなのであり、実際にありついてみると、それほどうれしいものではない」という人間心理の不条理さを描きたかったのだろう。学校の教師もそんなようなことを言っていた。しかしはばかりながら私は、そんなに複雑な心理を解する子供じゃなかったのである。

「なんで、こんなのが名作といわれるんだ?」と、私は思った。「しかも、昔の『何とか物語集』とかに出てくる話の焼き直しじゃないか。偉そうな人がこれを名作だと言うから、みんなわけもわからず、名作だと思っているだけなんじゃないのか?」

この『芋粥』に限らず、『地獄変』にしても『蜘蛛の糸』にしても 、私としてはせっかく読んでもつまらなかったのである。芥川には悪いけど、言いたいことはわからんでもないのだが、とにかくおもしろくもなんともないのだもの。とくに『地獄変』なんて、絵師のくせに「実際に見たものしか描けない」なんて、イマジネーションなさすぎである。

そして私は、このシンプルさをキープしたままで還暦を過ぎてしまった。近頃つくづく思うのだけれど、人間はシンプルな方が幸せである。

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2013年1月 7日

iPad と iPhone で PC の代替になるか?

1月 6日付の slashdot に「パソコンの代わりにタブレット、本当に十分?」という記事がある。Web ブラウジングや電子メールの送受信、簡単な写真の共有などのシンプルな作業しかしない母親が 6年前から使っている PC が故障してしまった。そこで、新しいパソコンを買わずにタブレットだけでいくのはどうだろうかというものである。

この記事には多くのレスが付けられているが、「タブレットで十分」という意見が圧倒的多数である。中にはタブレットでは機能的に不足という意見もあるが、それはその人自身のニーズに照らしてみての話で、ライト・ユーザーにとっては、タブレットで大体 OK なんじゃあるまいか。

私の個人的な条件でいえば、このブログは大抵 PC で書いているが、近頃は出張などには PC を持って行かないことが多いので、旅先ではいつも iPad を使っている。カバー兼用の外付けキーボードがあるので、入力にストレスはないが、iOS 用のココログ・アプリはまだ機能が中途半端なので、やはり PC の方がストレスなく書ける。

ただし、アプリが改善されて十分な機能をもつか、ココログがきちんと Safari に対応してくれさえすれば、このブログをいつも iPad や iPhone で書くことになることだって十分にあり得る。

そうなると私の場合、PC を使うのは、ちょっと面倒なアウトラインのドキュメントとか、面倒な計算式を駆使した表計算、そしてウェブ・ページの作成/FTP といった、いっぱしの業務的な作業のみということになる。近頃では複雑なリレーショナル・データベースを駆使するような仕事からはほとんど離れたので、この程度で十分だ。

そうなると、常には気楽に iPad と iPhone を使っていて、ここぞという時にだけ PC を起動させればいいということになる。今でもかなりそれに近い状態ではあるが、ブログも iPad でストレスなく書ければ、本当に楽になる。世の中には 「パソコン大好き人間」 というのがいるが、私は別に PC が好きというわけじゃないから、要するに楽な方がいい。

ただ slashdot の記事には、一つだけ「タブレットで年賀状は書けません」という気になるレスがあった。こんな文面である。

日本特有の問題として、年賀状作成が年配者のパソコン使用理由の大きな一因である事を忘れていませんか? 私が知る限り、スマホ・タブレットで年賀状の宛名書きができるものはなかった筈ですが。

なるほど。これを見落としていた。私も昨年末には PC にインストールした「筆まめ」をフル活用していたのだった。iPad で年賀状の宛名印刷ができたら、本当に便利なんだがなあ!

そう思って念のために AppStore に当たってみたら、なんと「筆まめアドレス帳」という無料アプリが見つかった。時代は常に進んでいるものである。こんなのだ。

Phone の連絡先を、アイコンや色を分けてグループ管理ができるアドレス帳アプリです。
有料の拡張機能で、はがきの宛名印刷までできます。

「有料の拡張機能」というのがミソで、宛名印刷までするには 450円払わなければいけないらしい。これが高いとは決して思わないが、カスタマーレビューを覗くと、まだまだ細かい点で不具合が多い様子である。もう少し状況を眺めて、「これなら OK」というところまで来たらインストールしてみよう。

iPad や iPhone を使って、ソファーでのんびりココログが更新できて、葉書の宛名印刷までまともにできるようになれば、PC に向かっている時間なんて、1日のうち 2~3時間で済むようになると思う。本当にそうなったら嬉しい。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年1月 6日

周囲が年寄りばかりになって

私も昨年還暦になったが、団塊の世代は既に 65歳に到達しようとしている。もう 5~6年したら、70歳の大台に乗るのである。少子高齢化が問題になって久しいが、大分前からの実感として、街は年寄りばかりである。

昨日、「お前と共に年を取れ」なんていう記事を書いてしまったせいかもしれないが、妙な行きがかりでこんな記事を書き始めてしまっている。

昔、永六輔さんが「駅や劇場のトイレが混雑している時、なるべく若い人の多い列に並ぶといい」と言っていた。年寄りは小便の切れが悪いので、時間がかかる。若い人の多い列はサクサクいくのである。

最近実感しているが、スーパーやホームセンターなどのレジに並ぶ時も同様だ。年寄りの多い列は時間がかかる。なにしろ、財布からお金を取り出すのが遅いのだ。小銭を 1枚ずつ取り出したりするのはまだいい。時々、ボーっとしたまま精算に取りかかれない年寄りもいる。認知症寸前だ。

駅で切符を買うのに手間がかかるのも年寄りである。たまに知り合いの年寄りに、電車で目的地まで付き添ってあげなければならないことがあるが、年寄りはほとんど SUICA などの IC カードなんて持ってないから、わざわざ自動販売機に並んで切符を買うまで待っていてあげなければならない。これが一苦労だ。

なにしろ、自動販売機で自分の番になってから初めて、目的地までの運賃を調べ始める。「これはいかん!」と走り寄って、「○○円ですよ」と教えて上げると、財布からコインを 1枚ずつゆっくり取り出して機械に入れ始める。「Suica を買っておくといいですよ。有効期限なんてないし」と、何度すすめても、全然ピンと来てくれない。

「電車なんて、たまにしか乗らないから、カードなんて要らない」という。カードを入手することが、電車に乗るたびに自動販売機で切符を買うよりも、死ぬほど面倒なことだと思っている。それで「その度ごとに買えばいい」と、のたまうのでる。当人はそれでもいいだろうが、付き添う側の身にもなってくれ。

いや、こんなことぐらいでイライラしてはいけない。こんなのは、まだ生やさしいのである。とにかく、日本の国の年寄りは、これからますます増えるのだ。

スーパーのレジや自動販売機の前で、小銭を 1枚ずつ取り出して並べる人ばっかりになるのだ。座布団程度に躓いて、ずってんどうと転ぶ人ばっかりになるのだ。「アレ、もってきてくれる? アレ、アレだよ」としか言えない人ばっかりになるのだ。ちょっと力んだぐらいで失禁してしまう人ばっかりになるのだ。

こんなことを書いている私だって、いつそんな風になるか知れたものではない。エラいことである。よっぽど気を付けなければならない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年1月 5日

お前と共に年を取れ

半年ぐらい前からずっと書こうと思っていながら、いざ PC の前に座ると忘れてしまっていたことを、今さらながら書く。まあ、そんなにしょっちゅう忘れてしまっていたのだから、まったく大したことじゃないのだが、近頃ちょっとネタ切れでもあるので、思い出したように書かせていただく。

何かというと、ゼクシーというブライダル・ビジネス大手の CM の件である。この会社、ずっと "Get Old with You" というキャッチ・コピーを使っていた。これ、一体何だ? 「お前と共に年を取れ」って、どういう意味なんだ?

そう思っていたら、たまたま「日本人のヤバイ英語」というブログの「佐川急便の Fit Your Business はなんと...命令形だよ!」という記事に遭遇した。この記事は、佐川急便の "Fit Your Business" と、Docomo の "Walk with You" というキャッチ・コピーを俎上に挙げている。

いやはや迂闊にも、佐川急便と Docomo の件に関しては、このブログを読むまで知らなかった。知ってたら、ゼクシーの CM と同様、「お前の仕事を適合させろ」って何に適合させるの? とか、「お前と共に歩け」って、一体どうすることなんだ? とか思ったはずである。

「日本人のヤバイ英語」の記事で「なるほど」と思ったのは、これらのヘンテコな英語の当事者は、決して命令形のつもりで使っているのではなく、主語の "I" とか "We" とかを省いているだけのつもりのようだということだ。

つまり、ゼクシーの CM は、「(私は) あなたと共に年を取るわ」と言いたかったのであり、佐川急便と Docomo はそれぞれ、「(私たちは) あなたのビジネスにフィットします」(そうだとしても変な英語だが)、「(私たちは)あなたと共に歩きます」 と言いたいみたいなのである。

それにしても、ヤバイよね。主語なしでいきなり動詞を言ったら命令形になるというのは、中学英語で最初に習うことだもの。(言うまでもないけど、"Stand up" とか "Sit Down" とかね)

で、ゼクシーがまだマシだと思うのは、去年のうちにこのヤバさに気付いたみたいで、いつの間にか "Get Old with Me"(私と共に年を取ってね)に、さりげなく変わっちゃっているということである。このすっとぼけ方は絶妙である。

それに比べて、佐川急便Docomo(それにしてもこのサイト、手が込んでるだけで、ものすごくつまらない) は、まだやってるものね。すっかり小回りの利かない大企業体質になっちゃったんだなと思う。いつまで続くかわからないけど、一応リンクしておいたので、お暇な方はご覧あれ。

 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2013年1月 4日

三が日が過ぎて

あっという間に正月三が日が終わってしまった。少なからぬ人は今日も有給休暇を取るとか、会社そのものが年末年始休業とかで、6日までお休みなんだろうが、私はフリーランスの悲哀で、2日の夜からシコシコ仕事を始めていた。

それにしても、年末年始ほど早く過ぎ去る休暇はない。暮れのうちは年賀状作りや大掃除でひたすらバタバタして、年が明けると、やれ初詣だ、年賀状の整理(出してない人から来たりすると、大あわてで返事を書くなど)だとバタバタする。そして、ふと気付けば三が日は終わりだ。

三が日があっという間なのだもの、松の内だってあっという間である (松の内が何日までかについては、こちら を参照)。そして松の内があっという間なら、1月もあっという間だ。ところが近頃、冬の寒さが長引いて、立春過ぎると毎年「寒いよ~、春はまだか」と言い続けることになり、2月と 3月が結構長く感じる。本来なら、2月は短いはずなのに。

さらに、夏の暑さも長引いて「秋はまだか」と言っているうちに、あっという間に冬になる。こんな感じで、冬から春、夏から秋への変わり目だけがちょっとだれるが、あとは一気呵成に時が進んで年末になり、「1年って短いね~」と言うことになる。毎年こんな繰り返しだ。

去年還暦になってしまった私としては、あと何年にわたって「1年って短いね~」と言うことになるのだろうか。多分 10年は言えると思うが、20年言えるかどうかはわからない。なんてことを言いながら、40年言っちゃうことになるかもしれないから、先のことなど、考えるだけ無駄だ。

とりあえず、今年 1年をまともに過ごそうと思う今日この頃である。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月 3日

野球の世界のややこしさ

昨日はスポーツにおける「実業団」というものに触れたが、あえて野球をスルーしていた。それは野球の場合、学校を出てプロに入らず企業に所属して続ける場合、なぜか「実業団」ではなく「社会人」と言い習わすという事情からだ。「全日本実業団野球連盟」というのもあるにはあるが、これは軟式野球の団体である。

で、社会人野球の団体は「日本社会人野球連盟」ではなく、真っ向から単刀直入に「日本野球連盟」と称して、かなり強気なのである。しかし英文名になるとなぜか急に弱気になって、"Japan Amateur Baseball Association" と、「アマチュア」 が入ってしまう。

ちなみに軟式野球の「全日本実業団野球連盟」の英文名称は、ついに調べがつかなかった。あまりにドメスティックなので、英文名称は必要ないみたいなのである。

プロ野球の方の団体はお馴染みの「日本野球機構」で、英文名は "Nippon Professional Baseball Organization"(略称 NPB)だ。日本語が「日本プロ野球機構」でないのは、日本語では強気な社会人の「日本野球連盟」に対抗してのことなのかもしれない。

さらに社会人野球の「日本野球連盟」は、学生野球の「日本学生野球協会(Japan Student Baseball Association)」との共同で「全日本アマチュア野球連盟」を構成して、この名前で日本オリンピック委員会(JOC)に加盟している。

不思議なことに「日本野球連盟」の英文名には "amateur"(アマチュア)が入るが、 「全日本アマチュア野球連盟」の英文名称は "Baseball Federation of Japan" で、"amateur" の文字が見当たらない。このあたりは、オリンピックに出るのにプロの力を借りる必要があったからだろうか。

いずれにしても野球の世界というのは、戦前から続く「伝統」とやらを引きずる紆余曲折と、政治的思惑まで絡んでいるせいなんだろうが、プロからアマまで、わけのわからないややこしさに満ちている。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月 2日

「実業団」を英語でいうと?

元旦の昼頃、ラジオのスイッチを入れると、実業団対抗駅伝の実況だった。それでずいぶん昔のことを思い出した。といっても、昔駅伝を走っていたというわけではない。「実業団」という言葉に絡む記憶がよみがえったのである。

10年ぐらい前、ある実業団スポーツ団体のウェブサイト作成を依頼された。私のところみたいな超零細企業に依頼するぐらいだから、かなりマイナーな団体で、資金も豊富ではない。「できるだけ安く仕上げてください」という話だった。

私としてはその依頼にできる限りの誠意をもって対応したつもりだったのだが、それでも資金が続かなくなって、そのウェブサイトは 2年もたなかった。最近になってものすごく簡単な作りのウェブサイトが復活したようだが、「現在、まともな活動ができません ということしか読み取れない内容である。

私がそのサイト作成を依頼された時、「ついでに団体の英文名称を作ってください」なんてことも頼まれた。英語とはいえ、部外者に団体の名称を考えさせるなんて、ずいぶん乱暴な話である。とくに「全日本実業団○○連盟」などの「日本独特ローカル・ルール」みたいな類は、しっくりくるような英語に訳すのが難しい。

なにしろ普通の和英辞書で「実業団」なんて言葉を調べても、その項目が見つからないのである。

多分、英語の世界のスポーツにはプロフェッショナルとアマチュアの区別しかなく、しかもアマチュアは学校と、企業とは関係のないクラブ・チームがリードするという考え方が主流で、学校を出た選手が企業に雇われて、フツーの給料をもらいながら仕事とスポーツをこなすなんていうのは、案外特殊なことなんじゃあるまいか。

企業としてはそのスポーツが強くなって全国ネットにのるような活躍をしてくれれば安い広告料なのだろうが、最近のように景気が悪くなると撤退が相次いで、淋しい限りのことになる。

とくにマイナー・スポーツになると、会社からのスポンサーシップなんてものもほとんどなく、単に社内の自主的同好会みたいなものでしかないというケースも多いようだ。企業にしてみれば、いくら身内とはいえ単なる同好会にまとまった金を出すより、プロ・スポーツのスポンサーシップを取る方が実質的な宣伝効果があるだろう。

というわけで、「全日本実業団○○連盟」の英文名称を考えるというのは、なかなか難しいことだった。Wikipedia によると、「実業団」という日本語に対応する英語は "works team" または "factory team" なのだそうだ。なるほど、英語の Wikipedia で "works team" というのを調べると、次のようにある。(参照

A works team (sometimes factory team) is a sports team that is financed and run by a manufacturer or other business. Sometimes, works teams contain or are entirely made up of employees of the supporting company.

(日本語訳: 「ワークス・チーム」(時に 「ファクトリー・チーム」)は、製造業者などの企業の資金によって運営されるスポーツ・チーム。ワークス・チームは支援企業の社員を含むか、あるいは完全にその社員だけで構成される。

試しに他の実業団スポーツ団体はどんなふうにしているのかと調べてみると、主なところはこんな感じである。

日本実業団陸上競技連合
Japan Industrial Track and Field Association

日本実業団バスケットボール連盟
Japan Industrial and Commercial Basketball Federation

日本実業団バレーボール連盟
Japan Volleyball Federation of Industries

うーん、ちょっと苦しい気がする。どれも産業的にスポーツをやっているというニュアンスではないか。ちなみに「日本実業団バレーボール連盟」というのはあの「V リーグ」の当事者ではなく、今どき珍しい 9人制バレーの団体のようだ。実業団においては、マイナー美学の追求という道もあるようなのだ。

他をあたると、「全日本実業団自転車競技連盟」なんかは、英訳する際に「実業団」なんていう日本独特の概念はスッパリと切り捨てて、"Japan Bicyclist Club Federation" で済ませている。この方がずっと潔しという気がする。ここは企業からの補助にあまり期待していないんだろうか。

さらに潔いのが 「日本実業団バドミントン連盟」で、"Nippon Jitsugyodan Badminton Renmmei" と、「バドミントン」以外はすべてローマ字で済ませている。なかなかの気合いだが、気合いが良すぎるという気もする。これじゃ、アルファベットで表記する意味がない。

私としては結局、"All Japan Works Team Federation of ○○" に落ち着くという気がするが、ただこれだと、「プロじゃない」 ということが強調できない弱みがある。でも、日本だってラグビーの「トップリーグ」やバレーボールの「V リーグ」なんかは、かなりプロに近いグレーゾーンだしね。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月 1日

新年のご挨拶

謹賀新年。元日は恒例の新年のご挨拶記事である。

恒例とはいえ、昨年の元日は父の喪中で、正月らしい挨拶はしなかったから、なんだか挨拶の仕方を忘れてしまったような気がする。それだけでなく、年を追うごとに正月のめでたさもだんだん色褪せてくるが、とりあえず年賀状を掲載させて頂くことにする。

130101

ヘビそのものではあまり絵にならないので、象形文字(?)で切り抜けることにした。 ベルトの金具が、よくみると妙にヘビっぽい。

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »