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2013年1月22日

「さっさと死ねるように」というのは、自然の人情じゃなかろうか

元首相にして現副総理の麻生さんの「さっさと死ねるように」発言が、マスコミに批判されているという。同様の主旨の記事を、7年近く前から気楽に何度も書いていられる身分としては、ちょっと気の毒になった。復習のために、過去記事の主な記事のタイトルと主旨を記しておこう。

百まで生きてどうする? (2006.03.08)

先進国に生息する以上、普通にしていたら、年をとろうが病気になろうが、そう簡単には死なせてもらえないということになってしまったということだ。これからは、「いかにして、つつがなく死ぬか」ということに心を砕かなければならない。

「ライフ・スパン・コントロール」 という発想  (2009.02.06)

自分ももう長くないなという頃になったら、医学的手法で無理に寿命を延ばすのではなく、ちょうどいいタイミングできちんと行儀よく死ねるような自己管理をしたいものである。これは決して「自殺」ではない。いわば「ライフ・スパン・コントロール」である。

人間がちゃんと死ねるように  (2012.07.27)

そりゃあ私だって簡単に死にたくはない。しかし、「死なないこと」がそんなにも「いいこと」かと言われたら、「いいはずがないじゃないか」と答えるしかない。そもそも、生命というのは個体としては生まれたり死んだりしながら、種として保存されるようにプログラミングされていることを忘れてはならない。

(中略)

医療というのがどんどん進歩し続けなければならない「業」を背負っているのだとしたら、それはそれでしかたがないから、倫理的な側面として「余計な医療を受けない権利」というのをしっかりと保証してもらわなければならないだろう。それも「特別なこと」というわけではなく「ごく普通のこと」として。

「後期高齢者」 という呼称を巡る冒険  (2012.09.18)

常々「ピンピンコロリ」がいいと言いながら、「ピンピン」だけ求めて「コロリ」はイヤだなんていうのは、そりゃ、わがままというものである。私は還暦のだいぶ前頃から、どんな風に死ねばいいか考えるのが習性みたいになってきていて、うまく死ぬのを楽しみにしている。まあ、実際に死ぬのは多分、ちょっと先の話だろうけど。

(中略)

というわけで、私はいつ死ぬことになっても OK である。「死ぬのが恐い」なんていう臆病な人が、娑婆で生き永らえることの苦痛には案外平気でいられるというのも、私には不思議でしょうがない。うんざりするほどの娑婆の長丁場にすがるよりも、死ぬ時が来たらあっさりと受け入れる方がずっと楽だろうに。

とまあ、こんなことを書いてきている私だから、「死ぬ時が来たら無理に延命措置を施されるより、さっさと死なせて欲しい」と願い、そのように言明することが、そんなにいけないことなのかなあと思うのである。

まあ、どんなになっても生きながらえていたいという人がいても不思議ではないし、人にはとことん延命措置を施してもらう権利があるのも当然ではあるが、私としては、その権利を放棄して自然な形であの世に行く自由の方を、ずっと大切にしたい。

 

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コメント

人情の点では確かにそのとおりなのですが、麻生さんの発言は、コスト削減という観点からの発言ですから、ちょっとどうかと……。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013012100565

投稿: 山辺響 | 2013年1月22日 16:49

確かに…(´・_・`)

投稿: hiroyuki | 2013年1月22日 19:18

麻生さんは政治家として言い難いことをよく言ったと思います。ピンコロリをコスト面から語ることは避けて通れないことですから。多分イギリスでは高齢者には高度医療を施さないことになっていたと思います。
日本でもピンコロリを政治家が語っていいと思いますよ。

投稿: ハマッコー | 2013年1月22日 21:01

山辺響 さん:

ちょっと難しい問題ですけど、行政のムダにかける税金はもったいないけど、どうせ死ぬ患者にかける高額医療費に関しては言いにくいってのは、おかしいかなとも思うわけです。

「寝覚めが悪い」 というのは、私としては同感なんであります。

投稿: tak | 2013年1月22日 23:44

hiroyuki さん:

ふむふむ。

投稿: tak | 2013年1月22日 23:46

ハマッコー さん:

>麻生さんは政治家として言い難いことをよく言ったと思います。ピンコロリをコスト面から語ることは避けて通れないことですから。

私も大体そういう思いであります。
命の問題を金に換算して語ると、なぜか怒られる傾向がありますが、医療というのはかなりの部分、お金ですからね。

同じ金をかけるなら、どっちにかけるかという議論になりますね。
私は、「俺、どうせ死ぬんだから、あまり余計な金をかけてくれるな」と言いたい人です。どうせ死ぬのに余計なことをすると、環境負荷も高いだろうし。

どうせ大したこともできない体で、ちょっとだけ余計に生きるために、環境に負荷をかけるのは、コスト以上に「寝覚めが悪い」 です。

投稿: tak | 2013年1月22日 23:54

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