20数年前の常磐線
私は結構あちこちに出張する機会が多いのだが、あの昔の「2つドアの客車」というのが、日本中どこに行っても見られなくなった。特急列車の客車じゃない。2つの座席が向かい合って 4席のボックス状になり、乗り降りのためのドアが、前後の 2カ所にしかないやつである。
近頃は、都会を走る電車はほとんど 4カ所にドアがあり、ローカル線を走るボックス席の客車でも、ドアは 前後と真ん中の 3カ所にあるというのが普通になった。もはや 2つドアなんて、特急列車しかないんじゃあるまいか。日本中でこんなに小洒落た電車ばっかり走るようになったのは、一体いつ頃からだろう。
私が常磐線沿線に引っ越してきた 20数年前は、「青電」と「赤電」の 2種類の電車があった。「青電」というのは取手止まりの「常磐線快速電車」の異名で、山手線と同じような車両だったが、薄緑の山手線、レンガ色の中央線、スカイブルーの京浜東北線に対して、常磐快速は青緑だったので、縮めて「青電」と言ったらしい。
一方「赤電」というのは、取手の先まで行くいわゆる「中距離電車」で、あの昭和の雰囲気そのものの 4席ボックスシートの 2つドアだった。「赤電」と呼ばれていたのは、色がいかにも戦後っぽいドドメ色だったからだろう。ちょっと色は違うが、外観は こんなような 電車である。
この「赤電」というのは、乗り降りのためのドアが自動じゃなかった。客が自主的に手で開閉するのである。なにしろドアのある部分は客席とは内部のドアで分離された「デッキ」と呼ばれていて、普通は客が乗っているべきところではなかったのだ。
ところが、ラッシュの時はそんな原則は言っていられない。乗降口から遠い真ん中まで行ってしまうと、混みすぎたら途中駅で降りられなくなるおそれがあり、誰も行きたがらないので、案外余裕がある。ところが両端に近づくほど混雑する。
とくにデッキ部分は人があふれる。そしてあふれた人でドアが閉まりきれないうちに、乱暴極まりないことに、電車は平気で発車してしまうのである。最後に乗った人は、体が半分電車からはみ出したまま、必死につかまっていなければならない。
今だったら「何たる不注意、危険運行」の見出しで新聞に載ってしまいそうなことが、バブル景気に湧く日本の首都圏で、日常茶飯事的に行われていたのである。
上り電車が取手駅を出発すると、すぐに利根川の鉄橋を渡る。閉まりきれないドアからはみ出して、必死にしがみついて振り落とされまいとしていると、自分の体の真下を滔々と流れる板東太郎・利根の流れが見える。これはかなりゾクゾクする経験だった。
こんなようなことで、常磐線は首都圏の中でも最もワイルドな鉄道路線として名を知られていた。今でも「常磐線は車内で酒盛りをしている」なんて言われるが、当時と比べればおとなしいものである。昔はフツーに背広を着たサラリーマンが通路で車座になって、大っぴらに宴会をやっていた。
首都圏でもつい 20数年前までは、かなり「東南アジア的光景」が見られたのである。
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コメント
セミクロス好きです
確かに減りましたね(つд⊂)エーン
投稿: hiroyuki | 2013年1月11日 14:50
hiroyuki さん:
「セミクロス」という言葉を知らなかったので、ググってみて初めてわかりました。
常磐線の中距離電車では、今でも健在ですよ。
投稿: tak | 2013年1月11日 20:49
これは私の笑いのツボにヒットしました。
私にはあり得ないことだからです。昔の人(少し前の人たち)は、たくましかったのですね。この人たちはすごい風の中にさらされるとか、落ちたら死ぬとか、ものに接触したら死ぬとか、死に近いといおろで生きておいでだったのですね。これはtakさんの実体験!?
すごいっ!!
投稿: BEKAO | 2013年1月15日 12:33
BEKAO さん:
列車から体がはみ出したままで走行するというのは、そんなにしょっちゅうではなかったにしろ、それほど珍しいことでもなかったように思います。
(私も何度か体験しましたから)
思えば、ほんの短い間で、日本はやけに行儀良くなったものだと思います。
投稿: tak | 2013年1月15日 23:43