AKB の「異界度」
AKB 48 の峯岸みなみという子が誰だかとの恋仲がバレて、 「丸刈り」になって詫びたビデオが YouTube に載っかり、これがエラく話題になったらしい。英国でも報じられたと言うから、ちょっとしたものだ。
私はこの峰岸みなみという子の名前も顔も知らなかったので、ちょっと Google で画像検索してみたら、髪の長かった頃と「丸刈り」になってからの印象が全然違うので、もう本当に「素直にびっくり」した。まるで「使用前/使用後」である。最近は素直にびっくりしっぱなしだ。
このニュース、世間では批判的に受け止められているようだ。「どうして恋愛して丸刈りにならなければならないのか」というのである。私もそう思う。だが、あの世界というのはそもそも「異界」であるから、そういうことになってしまうのだ。隣のおねえちゃんの集まりみたいだった AKB も、年経てしまってかなり「異界度」が上昇してしまっているようなのだ。
これって、AKB もそろそろ賞味期限が近づいてきていることをうかがわせるエピソードである。この手の「女の子大勢のユニット」というのは、古くは「おニャン子クラブ」に始まり、それから、えぇと、なんだっけ(と、マジにググりまくり) ……、そうそう、「モーニング娘。」を経て「AKB 48」に至っているわけだが、やっぱり寿命というものがあるのだろう。
何しろ上のパラグラフを書いている途中で、本当に「モーニング娘。」という名前を失念して、ググりまくってようやく思い出したぐらいだから、この類のグループの栄枯盛衰は、本当に激しい。そのうち AKB 48 だって、「えぇっと、何だっけ、アルファベットが、確か 3つのやつ」とか言われかねない。
共通しているのは、隣のおねえちゃん的雰囲気の女の子を大勢集めて大々的プロモーションを行い、あっという間に「知らない人はいない」というほどの存在にしてしまうという手法だ。そのプロモーション・メディアは、おニャン子とモー娘の場合は完全にテレビだったが、AKB の場合はちょっとはみ出しているというのが、時代性である。
そしてこれらのグループのライフスパンにおいて、初期から最盛期にいたる間での間は、初々しい「素人っぽさ」という幻想がアピールするわけだが、それを通り過ぎると「素人っぽい」とはまったく言えなくなる。すっかり「芸能界のおねえちゃん」になる。
しかもその芸能界という広大な海を、徒党を組んで渡っているわけだから、かなり独特の世界を構築することになる。芸能界自体が既に「独特」な世界なのに、輪をかけた独特さをもって「ピュア異界」となり、規模の小さな宝塚みたいなことになってしまう。これはごく当然の流れというものである。
そうした意味で、今や AKB 48 の「異界度」も相当なものになっているようなのである。今回の「丸刈り騒動」は、それを世間に認識させてくれた。
ちなみに、異界度では相当なものの宝塚がなかなか風化しないのは、一時的なブームになりすぎるのを巧妙に避けて、ある意味での「古典」に昇華させてしまったからかもしれない。
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コメント
女の子を坊主頭にしなくてもいいですよね
(´・ω・`)
投稿: hiroyuki | 2013年2月 5日 21:56
hiroyuki さん :
そこが「異界」の異界たるところですよ (^o^)
投稿: tak | 2013年2月 5日 22:45
AKB48をみていると、どうも少女漫画の延長線上をみているみたいです。非現実的=異界。
丸坊主にするぐらいなら、男の人ト一緒にいることをとってAKB48を辞めるぐらいの覚悟がおありなのでしょうかね。ないから丸坊主にするのは、見せかけのようで、しかないような気がします。
投稿: BEKAO | 2013年2月 6日 12:38
BEKAO さん :
男の人と一緒にいるより、異界の住み心地がいいんでしょうね。
投稿: tak | 2013年2月 6日 19:31