「1円玉を拾うのは損」という哲学
いつ頃だったか忘れたが、大分前のこと、多分私がまだ中学生ぐらいの頃だと思うが、「落ちている 1円玉を拾うのは損」ということが言われ始めた。1円玉を拾うために前屈みになって手を伸ばすことで消費されるエネルギーは、1円では到底補えないのだそうだ。それで 1円玉を拾うのは、損得勘定でいえば損だというのである。
こんなことが言われたのはインフレで 1円の価値が下がりに下がってしまってからのことだから、日本の高度成長期のことには違いない。何でもかんでもお金に換算して損得の判断をするというのも、いかにも当時のものの考え方である。
私としては、そんなのは単なる「話のネタ」と軽く考えていたのだが、中にはマジで受け取るやつも結構いて、 友人にも「知ってるか? 1円玉は拾う方が損なんだぜ」なんて、得々と語るヤツが何人もいた。
実際には 1円玉を拾うことで使われるエネルギーなんて、他の動作との紛れも考慮すれば無視していいほどのもので、人間が普段、どんなに無駄な動作をしているかを考えれば、そんなことにこだわる方がどうかしている。しかし当時は、「1円玉を拾わない」のが「スマートな考え方」ということになってしまっていたようなのである。
ちょっとだけ見方を変えよう。これが言われ始めた頃はまだ、強制されたわけでもないのに、消費するエネルギーに見合わない見返りのために体を動かすのは損だと、単純に考えられていた。
しかし今、世の中は大きく変わってしまった。周囲を見渡すと、ウェストの周りに高カロリーの脂肪という形で貯えられたエネルギーを持て余してしまっている人だらけである。そしてなお驚くべきことに、月に数万円という会費を払ってまで、まとまったエネルギーを消費するためにジムに通う人がいる。
高度成長時代の単純素朴すぎる「スマートな考え方」に沿って行動した結果、我々は今、進んで損をしまくらなければならない状況に追い込まれてしまった。1円玉とか腹の周りの脂肪とかをメタファーとして考えると、今地球上で起こっている不都合な現象の多くは、人間が底の浅い損得勘定で動いた結果なのだとわかる。
蛇足だが、その昔、教室の隅に 1円玉が落ちていた時、「そんなの拾う方が損」と言って拾わなかった奴が、私が軽い気持ちで拾うのを見て、ほんの一瞬だが、ちょっとうらやましげな視線を送ってきた。私としては、うらやましがられるほどの得をしたわけじゃないのだけどね。
人間心理のアヤというのは、なかなかおもしろい。
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コメント
似たような(ぜんぜん似ていないか?(^^;)話で、アルミを強酸で溶かすだかの理科の実験で、教師がアルミホイルを使う代わりに教師が1円玉を使い、「アルミホイルを買って使うより、こちらの方が安い」と弁解したとか。そもそも普通の教育課程のなかでそんな実験をやっていたのかどうかも分からないので、学校伝説かもしれませんが。
そういえば、低額の硬貨は原価の方が高いという話も聞いたことがあるような。
投稿: 山辺響 | 2013年3月29日 14:52
山辺響 さん:
マジに対応すると、それは「貨幣損傷等取締法」に違反する行為で、1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に科せられるそうですよ (^o^)
まあ、フツーの教育機関だったら、そんなことはしないでしょうから、学校伝説と信じたいところです。
いずれにしても、今は1円玉の原価は、鋳造コストを含まない原料代だけで、1円以上するらしいです。
アルミも値上がりしてますから、どっさり集めて潰すやつが出てこないとも限りませんね。
(集める労力が大変でしょうが ^^;)
投稿: tak | 2013年3月29日 15:14
あっしが寺小屋に通ってるころ、基督さんの誕生日を祝う会(クリスマス会とも言う)で、一円玉の取り合いで人形たちが乱闘を繰り広げるというシュールレアリスチックな劇をやりましたでゲス。
大人の社会を見ていて、童ながらに資本主義社会批判をやってたのかもしれねぇでゲスね(爆)。
投稿: 下衆兵衛 | 2013年3月29日 15:33
下衆兵衛 さん:
そりゃまた、かなりシュールですね。
しかしまた、何のてらいもなくやれたでしょうね (^o^)
投稿: tak | 2013年3月29日 16:29
この話の対比として、夜川に落とした小銭を、松明を買ってまで探させた「青砥左衛門尉藤綱」のエピソードが印象に残っています。
まあ、経済学というのはすべてのものを貨幣価値に置き換えて考えるという原則には違いないのですが、どの範囲までを置き換えの対象とするかによって、違った見方が出てくるということでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E7%A0%A5%E8%97%A4%E7%B6%B1
投稿: reccoa | 2013年3月30日 14:31
reccoa さん:
青砥左衛門は、弁天小僧の出てくる「白波五人男」の外題、『青砥稿花紅彩画』で知られていますが、この芝居自体ではあまり重要人物として登場しているわけじゃなく、大岡越前守の隠れ蓑として使われているようです。
むしろ、その50文の松明の話の方で知られていますね。
経済というのは一筋縄では行かないものですね。裏に志があるかないかで違ってしまいます。
投稿: tak | 2013年3月30日 16:17