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2013年3月25日

PC とキーボード文化 (その 2)

昨日は、キーボード文化の底が浅い日本では、もしかしたら「ポスト PC 時代」の進展が速いかもしれないという話をした。日本人は QWERTY キーボードに慣れるという訓練を学校で受けていないし、そもそもの話をすれば、ローマ字入力ということだけで大きなハンディキャップを負っている。仮名入力はさらにハンデが大きい。

英語の入力に(極限的にというわけではないが)最適化されているキーボードを使って日本語の文章を打つというだけで、日本人の PC を使った作業効率は、欧米に比べてかなり落ちる。それはキーボード文化に英文タイプから入った私の実感だ。

これについて私は 10年以上前に「和才洋コン キーボードのストレス」というタイトルで書いている。それは次のような書き出しだ。

つくづく思うのだが、コンピュータというのは、基本的にアメリカ人である。アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のためのツールであって、日本人は、IME のおかげでおこぼれ頂戴しているだけだ。

この記事の中で私は、英文を快速入力する経験なしに、QWERTY キーボードを日本語のローマ字入力をするための道具だと思っている人は、自動車のギアをトップに入れて走ったことがないようなものだと指摘している。

それは上述の記事でも書いているように、英文をいい調子で「タッタカタッタッター」と打っている真っ最中に、テキスト中に "Mr. Yamamoto" という日本人のオッサンが登場するだけでとたんに指がもつれるという経験をすれば、すぐにわかる。

というわけで、英語のために作られたキーボードを使って日本語を書くのはなかなか大変だ。そんなこともあって、中には「PC を使うと文体が変わってしまう」なんてことをいう人が出てくる。もっともらしく聞こえるかもしれないが、それは愚にも付かない虚言だ。

QWERTY キーボードが日本語入力に向いていないというのは確かだが、だからといって人間の文体を変えてしまうほどの暴力的装置というわけでもない。それは、入力に慣れてしまいさえすれば済む問題を、PC 固有の特性に影響されているのだと言い張っているに過ぎない。

PC で文体が変わるというのが正しいなら、PC だけでなく、使う道具によって文体が規定されるということになる。それで、「毛筆とボールペンでは、書く文体も確かに変わる」と主張する人まで出てくる。しかしそれって、どう考えてもおかしいだろう。

私はこのことについて 8年も前に「ワープロと文体」 というタイトルで、次のように書いている。(参照

毛筆で書く時に文体が変わるのは、毛筆という道具によるのではない。改まった文体で書く必要がある時に、毛筆を使う場合が多いというだけのことだ。その下書きをボールペンで書いてみれば、如実にわかることである。改まった文書の下書きが、ボールペンではできないなどとということは、ありえない。

私なんて、手紙を毛筆で書くことが時々あるが、大抵 PC で下書きしている。PC で使えるフォントが多様化した現代では、毛筆フォントを使ってちょっと古風な見た目の文書を作ることだってできる。使う道具によって文体が変わるなんて、思い込みによる幻想だ。

私は日本語入力に ATOK を使っているが、「和歌ログ」というサイトで文語の和歌を毎日更新していることもあり、「文語モード」に設定している。このモードをフルに使うと、PC で古文調の文章を書くのが容易だ。ウソだと思ったら、5年ほど前に書いた「ATOK の文語モード試しみむとて」という記事を読んで頂きたい。

私は文語で和歌を詠む時だけではなく、現代文を書く時も ATOK を文語モードに設定しっ放しにしてある。いちいちモードを変えるのが面倒だからだ。これで現代文を書くのに不便を感じることはほとんどない。

逆に、ATROK に文語モードというものがあると気付く前も、和歌ログでは標準モードのままで文語の歌を詠んでいた。ちょっと面倒だったが、意識して入力すれば簡単にできる。このことをみても、文体が PC に規定されるものではないとわかるはずだ。入力する人間の方が、PC をコントロールすればいいだけのことだ。

私は上述の「ワープロと文体」という記事を次のように締めくくっている。

はっきり言わせてもらえば、ワープロごときで文体が変わってしまうなどというのは、実は、その人は「文体」と称するに足るスタイルを、元々持ち合わせていなかっただけなのである。単にそれだけのことだ。

結論。QWERTY キーボードでローマ字入力をするのが、究極ではないにしろ、現状ではベストなメソッドになってしまっているのだから、我々は甘んじてそれに習熟するしかない。たとえそれがセカンドか、せいぜいサード・ギアでしか走れない車に乗っているようなものだとしてもだ。

 

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コメント

 打ちこむ文章そのものは、打ちこむ前に頭の中にあるものですからね。道具によって左右されるなどあるはずがない。

 ただ携帯電話の「あ・い・う・え・お」と切り替えていく入力系に関してなら、ボタンを押す回数という地味に鬱陶しい要素が絡んでくるため、微妙に影響される可能性もありそうですが。

 また携帯および近頃はPCにも搭載されている「予測変換」の影響ならば、若干は出てくるのかもしれません。
 いえPCの予測変換は、自分が打った頻度の高いフレーズを記憶しているだけのようですけど。携帯の方は親切すぎるのに加え普通に打つのが手間なため、文章を「選ばされている」気分がたまにしてきます。

投稿: kanata | 2013年3月25日 22:55

1970年代、アメリカ人がタイプライターを「打つ」のを見てその速さに度肝を抜かれたことがあります。連中は喋るように「打つ」、しかも間違えない。

今考えるとあれはタッチタイピングでしたね。その頃、日本人は QWERTY を睨みながら両手の人差し指でパッチンパッチンやってました。そしてよく間違える。その差は歴然。多分4~5倍は速かったと思います。日本人は一速でアクセル思いっきり踏んでたんですね。

正に、あれは英語用のキーボードですね。E の右隣に R があったり、YOU の三つのアルファベットが同じ並びにあるなど、上手くできてるなあと思ってました。

投稿: ハマッコー | 2013年3月25日 23:18

kanata さん:

>携帯の方は親切すぎるのに加え普通に打つのが手間なため、文章を「選ばされている」気分がたまにしてきます。

なるほど。
ケータイのあれは「文章」というより「記号」に近いのかもしれませんね。

自分の文体をしっかり持っている人ほど、ケータイの余計なお節介は、便利というより、気持ち悪くてしょうがない機能に感じられると思います。

投稿: tak | 2013年3月26日 04:53

ハマッコー さん:

何の映画だったか、テレビドラマだったか忘れましたが、米国の警察の取り調べで、容疑者の供述をタイプライターでリアルタイムで機関銃のような速さで打ち込んでいくのをみて、「すげぇ!」と思ったことがあります。

タイピングの速い人が、容疑者のしゃべったことをほぼ機械的に打ち込んでいくのですから、そこには供述を恣意的にねじ曲げるという要素はあまりないなと、感心したものです。

あれでねじ曲げることができたら、それはもう、名人芸です (^o^)

投稿: tak | 2013年3月26日 05:01

大昔、新卒の記者の卵だった頃、ワープロではなくタイプライターで記事を書くというトレーニングを受けたことがあります。しかも、カシアス・クレイ(モハメド・アリ)とソニー・リストンのタイトルマッチをビデオで見ながら、ラウンドとラウンドの間の30秒で経過速報するというハードなものでした。その頃すでに記事の配信はデジタル化していましたが、徒弟制度の色濃く残るフリート街の職場だったので、昔のティッカー・テープの時代の技術の継承みたいな意図もあったようです。もちろん、本質的にはワープロへの慣れによって生じるクセを認識させるための訓練だったのですが。

ラウンドごとの速報は短い文章なので、慣れればそこそこの感じになるのですが、試合終了後に、全体の流れや試合後のコメントとかバックグランドなんかをまとめたボリュームのある記事を書く段階になると、タイプライターとワープロの書き方の違いが顕著に出ました。指導係のベテラン記者は、悪戦苦闘するトレーニー達に "You can't just vomit your thoughts!"と言ってハッパをかけてました(「とりあえず思いついたことをドバっとスクリーンの真ん中に書いておいて後から色々カット&ペーストなんていうのは邪道じゃ!ちゃんと頭の中で文章の構成をして、前から順番に書くのじゃ!」の意)。

せっかくそういうトレーニングを受けても、私は今日もなお、何か書く度に「推敲」と呼ぶにはあまりにも大幅な外科手術を繰り返してますけど。ワープロ依存症です。

投稿: きっしー | 2013年3月26日 09:44

きっしー さん:

フリート街でタイプライターを使った特訓なんて、まるで映画みたいで、カッコいいではないですか!

私がテキスタイル関係の雑誌で記事を書き始めたのはワープロが一般化する直前の時期で、今では自分でも信じられないことに、タイプライターを使ってました。

しかしそれも 2年足らずで、ワープロに移行しまた。
PC を導入する前はなんと、日本語ワープロの OASYS に MS-DOS を走らせて、その上で WordStar を使うという荒技でした。

メモリー不足で頻繁にフリーズしましたが、それでもタイプライターと比べると天国のように感じました。

ただ、タイプライターから入ったおかげで 「前から順番に書く」というクセはついたように思います。

投稿: tak | 2013年3月26日 20:55

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