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2013年3月11日

あれから 2年

昨日は昼頃までやたらと暖かかったのだが、昼を過ぎてからにわかにものすごい風が吹き始め、500メートル先が見えないほどの砂嵐になった。これ、「煙霧」というんだそうだが、昭和 30年代に聞いて以来、忘れていた言葉である。その風が少しは収まったと思ったら、急に気温が下がり始め、今日の夜明けは久しぶりに氷点下になった。

東京では昨日の最高気温が 25度を上回る夏日にまでなったのだから、「もうそろそろ春本番」と思った途端に、この寒の戻り。つくば周辺は辛うじて最高気温が 10度に達するという、冬の寒さである。

そういえば、2年前の 3月も寒かった。あの東日本大震災の年も、彼岸を過ぎてからも冷たい木枯らしが吹き荒れた。

今から思えば、福島の原発の水素爆発で放射性物質が最も大量に飛散したタイミングで、福島では陸から海に向かう北西の季節風が強く吹き続いたおかげで、少しは汚染が軽減されたのだと思うが、当時は避難所で震える人もいるのに、なんと無慈悲な風かと思ったものである。

そして、あれから 2年経った。

あの年、3月下旬までは常磐線が動かず、ガソリンも入手難ということで動きが取れず、近所の家の地震被害の後始末を手伝うだけの毎日だった。仕事がほとんどぶっ飛んでキャンセルになり、私はサラリーマンではないので、翌々月の収入が 1桁万円に落ち込んで、ちょっと青ざめた。

我が家は電気も水道も一度も止まることなく、ただ動きが取れなかっただけで済んだのだが、水戸から先の友人たちは 2週間以上も続いた断水で困り果てていた。海岸は津波被害で滅茶苦茶になったし。さらに北の福島県の原発事故は、その余波がいつまで続くかわからない状態だ。

2年経って、落ち着くところは落ち着いたが、まだ変わっていないファクターも多く残されている。そして最も変わらないのは、失われた命が戻らないということだ。

 

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コメント

( ̄人 ̄)

投稿: ひろゆき | 2013年3月11日 19:16

ひろゆき さん:

今日は仲間内で、2年前を思い出していろいろなことを思い出していました。

なにしろ茨城県も被災県ですので、なかなか大変でした。

投稿: tak | 2013年3月11日 22:03

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