「義経神社」という神社
北海道の平取町に「義経神社」という神社があると、つい最近初めて知った。私はそれまで、菅原道真や平将門や和気清麻呂や上杉謙信や吉田松陰などの実在の人物を祭神とする神社はあるが、源義経を祭神とする神社は存在しないものと思っていた。あんなに人気のあるキャラクターなのに。
どんなに人気者かというのは、私の 8年も前の記事、"「判官贔屓」の正しい読み方" の「付記」 をお読みいただきたい。
本題に戻る。平取町の義経神社について、Wikipedia には次のように記されている。(参照)
1798年(寛政11年)に近藤重蔵らが建造。源義経の御神体を奉納した。
アイヌはオキクミという英雄を崇敬していた。北方調査のため蝦夷地に来た近藤重蔵は、これを源義経と同一視し、像を与えた。以後、アイヌは義経を祀るようになった。
へえ、大黒天が大国主命と同一視されて大黒様になったように、義経と重ね合わせられるような英雄伝説が、アイヌ民族にはあったのか。そこで、オキクミというのを調べてみようと思ったのだが、インターネットの世界にはまともな記述が見当たらない。代わりに 「オキクルミ」 というのが散見される。
親父の形見の 『萱野茂のアイヌ語辞典』 (三省堂・刊) を引くと、次のようにあった。
オキクルミカムイ 【okikurm kamuy】
オキクルミ神: アイヌに生活文化を教えた神の名。
* 沙流川に降臨したということでオキクルミの砦伝説などがある。
インターネットの世界を 「オキクルミ」 でググると次のようになっている。(参照)
アイヌラックル
アイヌラックルは、アイヌ民話における神。地上で誕生した初めての神であり、地上と人間の平和を守る神とされる。オイナカムイ、オキクルミなどの別名でも伝えられている。
ここに出てくる 「オキクミ」と「オキクルミ」が同一なのかどうか、結論は「わからない」というしかないが、いずれにしても「オキクミ」は 源義経で例えられるほどの人気者であったらしい。ふぅん。
ただ、内地において義経神社がみられないのは、義経のイメージがあまりにも「少年武将」に傾いているからかもしれない。神として祀るには、年が若すぎるからなのではあるまいか。
それが北海道に渡り、「オキクミ」と結びつくことによって、初めて神社の祭神たり得たというのはおもしろい。
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コメント
そしてチンギスハンへ…
ヾ(´ε`*)ゝ
投稿: ひろゆき | 2013年3月23日 16:32
ひろゆき さん:
>そしてチンギスハンへ…
壮大なお話ではあります (^o^)
投稿: tak | 2013年3月23日 17:16