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2013年5月11日

玄人さん、ご苦労様

東北生まれの私にとっては、九州弁はかなり同じように聞こえる。 もっとも九州でも、福岡から熊本にかけての西側と、大分、宮崎という東側は、ちょっと違った流れのようだと思えるぐらいの聞き分けはできる。ただ大きく言って、西側、東側、そしてかなり究極的な鹿児島弁という、三種類にしか聞こえない。

 

そんなことを言うと、九州地元の人からは「何を言うとる。こんなに違うとろんもん!」(こんな感じでいいのかな、こなれない言い方でゴメン)と反発をもらいそうだということも自覚している。ただ、九州人にしてみれば、東北弁だってほとんど同じに聞こえるのではないかと思う。「やたらと濁点の多い訛り」ぐらいの印象かもしれない。

 

ところが私にしてみれば、十把一絡げに言われる東北弁だって、日本海側と太平洋側ではかなり違うし、同じ県内でも海岸線と内陸ではずいぶん違う。とくに自分の生まれた山形県なんて、海岸に近い庄内と内陸では、別の国というほど言葉が違う。ところが、中部以西の日本人には、その微妙な違いがなかなか明確に認識されないようだ。

微妙な違いが大きな違いに思われるのは、それが身体化されるまでに馴染んでいるからだ。だから言葉に限らずいろいろな分野で、玄人は素人にはどうでもいいと感じられるような微妙な細部にこだわる。というより、素人には玄人のこだわる細部がわからない。それがわかるようになったら、いっぱしの「通」とか「目利き」とかになれる。

言い方を変えれば、玄人というのは素人でいる限りはそんなことで苦労しなくてもいいようなところで、わざわざ好んでこだわって、苦労している人のことである。なかなか因果なものだが、玄人が突っ走ってくれないと、文化の底上げもできない。

言ってみれば、人は皆、それぞれの「こだわり分野」をもっていて、そこで一見どうでもいいような苦労をしてくれているから、その周囲が恩恵にあずかれるのだ。「玄人さん、ご苦労様」である。ありがたいことである。

「九州弁が同じに聞こえる」という話から、ずいぶん飛躍してしまったが、私の思考スタイルって、大体こんな感じである。「まず木を見て、その木の中に森を見る」のだ。

 

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コメント

《まず木をみて、その木の中に森を見るのだ》
ですって=!
かっこいい~~~~~!!!!

投稿: tokiko | 2013年8月15日 16:38

tokiko さん:

オロオロしちゃいますよ ^^;)

投稿: tak | 2013年8月15日 18:16

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