「株大暴落」 を巡る冒険
一昨日の株式市場が「大暴落」とやらで大騒ぎするのを、私は「ふぅん」と他人事のようにながめていた。
私は株をやらないし、やる気もないから、株が上がっただの下がっただのいう話にはほとんど興味がない。「いくら興味がなくても、日本経済はそれによって変動し、自分の生活も大きく影響を受ける」と言われても、「あぁ、そうですか。でも、死ぬわけじゃなし」と答えるしかない。
すると、「いや、経済変動のために死ぬ人だって出る。他人事のように超然としているのは、カッコいいかもしれないが、無責任だ」と責められる。私は「カッコいい」とか「超然」とかいうのでのほほんとしているわけではなく、ただ本当に「興味をもてない」というだけなのだが。
「じゃあ、文学は人間存在の深いところに関わるもので、それで死ぬ人もいるのだから、あんたももう少し文学に首を突っ込め」と言ってみたくなる。彼はきっと、「文学なんて興味がない」と言うだろう。同じことなのだよ。
人はどうせ死ぬものなのだから、経済苦で死ぬ人の分だけはお前も責任持てと言われるても困る。そりゃあ、究極的にはまったく責任ないわけじゃないが、ああじゃ、こうじゃと議論することで「責任を取れる」というわけでもあるまい。私は同じ責任をとるなら、経済以外の入り口から入って責任をとりたい。
今回の株暴落で、「アベノミクスという物語の終わり」と書いているのは、例の喧嘩好きの池田信夫氏である。
彼は朝日新聞のコラムの「アベノミクスの本質は、人々をその気にさせようという心理学だ」という指摘を肯定した上で、「アベノミクスなるものは経済政策としてはほとんど中身がない」と批判し、「相場は宗教と同じで、中身が嘘でもみんなが信じれば上がるし、みんなが信じなくなれば終わる」と切り捨てている。
ただ彼は自分で「相場は宗教と同じで、中身が嘘でもみんなが信じれば上がるし、みんなが信じなくなれば終わる」と認めているのだから、その論理で言えば、人々をその気にさせさえすれば結果オーライのはずで、だったら、経済政策に「中身」を求めてもしょうがあるまいと突っ込まれそうな気がする。
一方、J Cast News の "株価急落で「アベノミクスの危うさ露呈」 朝日、毎日、民主は騒ぎ立てるが…" という記事は、上武大の田中秀臣教授のブログや、エコノミストの飯田泰之明治大准教授のテレビでの発言を紹介し、今回の株急落はアベノミクスとは無関係で、「調整局面」に過ぎないとしている。
とまあ、経済というのはこのようにいろいろな見方があるもので、どっちが正しいか議論してもあまり意味がないように思える。大抵のことは 「結果が雄弁に物語る」 ということでケリがつくのだが、この分野は一筋縄ではいかない。上述のように「その結果は○○とは無関係」と言い張ることだってできる。こうなったら噛み合うものも噛み合わない。
本当のところは、アベノミクスが今回の株暴落に無関係なんていうことはあり得ないお話で、とはいいながら、「これでアベノミクスは終わり」というほどのことでもあるまい。いろいろとぐろをまきながら、こけつまろびつ進んでいくはずだ。経済に限らず、人間社会のすべての事象はそんなものである。
還暦を超えると、オイルショックや滅茶苦茶な円高のたびに「これで日本経済は壊滅」とか「日本崩壊」とか言われた割には、そうした局面を通り過ぎると、別に壊滅も崩壊もしていなかったという経験を、何度もしてきている。
今回もまた、こけつまろびつ進んでいく他にはないので、いつものように「他人事のように」見守るしかない。だって、自分のありようが経済にまったく影響されないというわけではないが、自分の本質とは別のところで動いているという点において、結局のところは「他人事」に違いないのだもの。
「他人事」と思わず、当事者になりすぎると、それこそ死んでしまわないとも限らない。
| 固定リンク
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- テレワークが定着しない日本の「飲み会メンタリティ」(2021.04.07)
- ワープロソフトを統一しても、根本的問題は消えない(2021.03.30)
- コンテナの手配がつかず、コーヒー豆不足という悪夢(2021.03.27)
- 「小林秀雄/国民の智慧」と「麻生太郎/政治家の劣化」(2021.03.24)
- 自民党諸氏のマスクに関する勘違い(2021.03.19)
コメント
みんな、結果を見てから好き勝手なこと言ってるなとおもいます。
特に朝日は敵意丸出しで「アベノミクスの脆さが露呈した」だの「成功の保証のない政策」だの酷いものです。暴落はただの調整局面だし、そんなことは過去に無数にあった。「成功の保証のある政策」なんてどこにもない。
FRB のバーナンキ議長の(金融政策は)万能薬ではないという言葉を引用してまでアベノミクスを批判していたが、万能薬なんてどこにもあるはずがないのだから、議長の言葉を引用するのもおかしい。
日経と読売は事実を淡々と伝えていただけなのに、朝日はそれ見たことかと大騒ぎ。経済の指標にちょっとした変化があった一日に過ぎないのに。
投稿: ハマッコー | 2013年5月25日 10:53
何だかんだと言ったところで、ただの損得の話。
金に対する、人間の欲求の話ですもんね。
理屈だの分析だの、あれやこれや議論したところで、誰が何をできるわけじゃない、なるようにしかならない。
経済って、そんなもんなんじゃないんでしょうか?
私個人も、株だの為替だの、完全に他人事だと思っている一人です(笑)
ただ厳密にいえば、商売をしている以上、影響がないわけでは無いですが…だとしても、やはり議論は無意味に思えますね。
投稿: もりけん | 2013年5月26日 01:00
もりけん さん:
エコノミストの景気予測って、結構バラバラですもんね。
それこそが、「落ち着くところに落ち着くしかない」という証明だと思っています。
「落ち着いたところで、またその先に変化していくので、結局は落ち着かない」 とも言えますが。
投稿: tak | 2013年5月26日 21:20
ハマッコー さん:
>FRB のバーナンキ議長の(金融政策は)万能薬ではないという言葉を引用してまでアベノミクスを批判していたが、万能薬なんてどこにもあるはずがないのだから、議長の言葉を引用するのもおかしい。
確かに、おかしいですね。
「健全な批判勢力」という位置づけなんでしょうけど、ちっとも健全じゃないなと。
投稿: tak | 2013年5月26日 21:33