「おとがい」 を巡る冒険
若い人の間では「おとがい」という言葉はとっくに死語になっているのだろうが、「下あご」を指す古語である。古語とはいっても、少なくとも戦前の文学まではよく出てきていたし、東北では今でも「おどげ」とか「おどがえ」 (おとがいの訛り) なんていうところもある。我が庄内でも、昔は 「おどげ」 という年寄りがいたが、今ではあまり聞かれなくなったのが残念だ。
解剖学用語としてのカタカナの「オトガイ」は今でも現役で、「下顎骨の先端部」を指す。そしてそこに付いている筋肉は「オトガイ筋」というらしい。力を込めると梅干しの種みたいになる部分のことだ。
「おとがい」は漢字で書くと「頤」または「頷」で、後者はそのまま「あご」とも読まれるし、また「うなずく」という字でもある。してみると、否定する動作は 首を振る」だが、肯定を表す「頷く(うなずく)」という動作は、「首」ではなく「あご = おとがい」を下げることであると認識されてきたようなのだ。
なるほど、「首を振る」というだけで普通は「横に振る」ことを表して、否定や拒否を意味するのも、縦に振るのは「首を縦に振る」なんていうよりも「頷く」というもっと洗練された言葉が存在するからだったのか。
「おとがい」には「下あご」の他に、「おしゃべり」という意味もある。『大辞林』には、「盛んにしゃべりたてること、口数が多いこと」という語義が記されている。また、Goo 辞書には「減らず口。また、減らず口をたたくこと。また、そのさま」とある。
しかし、手持ちの 『携帯漢和中辞典』(三省堂)で調べる限り、 「頤」にも「頷」 にも「しゃべる」という意味はないようだ。してみると、「おしゃべり」と「下あご」が一体というのは、漢語由来の概念ではなく、日本独特のコンセプトなのかもしれない。
うがった見方をすると、日本語は「口先」ではなく「おとがい」でしゃべるのだ。表面的な理屈ではなく、「頷く」器官である「おとがい」を使って共感要素を表現する言葉が日本語なのかもしれない。
能面の「翁」には、他の能面と比べて一目で分かる違いがある。それは、下あごが分離されて、ひもでぶら下げられているのだ(参照)。これは「翁」は「しゃべる存在」だからと考えられている。祝福の言い立てをするのだ。
下あご = おとがいが動くのは、「祝福の言い立て」の象徴なのである。翁以外の能面は、おとがいが動かない。「幽玄」の象徴である。こんなところから後代の日本では、よくしゃべるのはあまり上品なことではなく、「おとがいをやたらに動かさない方が上品」と思われるようになったのではなかろうか。
日本人が外交下手なのは、根元的にこうした価値観に縛られているからかもしれないね。「大事なことは、ことさらに言わなくても心で通じ合える」なんて考えているからいけない。実際の場面では、「言わなきゃわからない」か、「わからないふりをされる」のである。
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コメント
なんだっけ。おとがいをそらす、とか今でも使いますよね?
((。_。(゚д゚ うぬ
投稿: ひろゆき | 2013年6月12日 21:55
ひろゆき さん:
「おとがいをそらす」 ですか?
私は初耳。
ふんぞり返ることかな?
投稿: tak | 2013年6月13日 00:30
「おとがいを逸らす」、自分のイメージだと刺激に耐えたりして首筋を引きつらせるような描写で使われることが多い気がします。「歯を食いしばる」より受動的なイメージで。
「あごをそらす」と書いたりするとラジオ体操の動作を示してるようなイメージになったりするので、古風な言い回しが残るんでしょうね。
投稿: Clark | 2013年6月16日 13:56
Clark さん:
なるほど。
ちなみに "おとがいをそらす" でググってみたら、やたらとポルノチックな表現が多くてびっくりでした ^^;)
投稿: tak | 2013年6月19日 16:14