« 「おとがい」 を巡る冒険 | トップページ | 当面、ウナギとマグロは食わないことにする »

2013年6月13日

「道化」 を巡る冒険

昨日の 「おとがい」 の、語感からの連想で「道化」という言葉を思い出した。「おどける」という日本語は、「道化」から派生したものという説がある。「おどけ」を「お道化」と表記している最も有名な作品は、太宰治の『人間失格』だろう。次のように書かれている。

人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩(おうのう)は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。

ただ、いくら「おとがい」に「減らず口をたたく」という意味があり(Goo 辞書)、それが東北では訛って「おどげ」と言われることがあるとしても、「おとがい」と「お道化」は、言葉としては別物だろう。しかし、意味合いにはある種の共通点がある。

「道化」を国語辞書で引くと、大抵「人を笑わせるようなこっけいな身ぶりや言葉。また、それをする人。おどけ」(Goo 辞書)という語義が出てくる。しかし私の手持ちの『携帯漢和中辞典』(三省堂)では、次のように解説されている。

  1. ふざけた、おかしい身振りをして人を笑わせること
  2. みちびき教える
  3. [仏] 道法をもって人を教化 (きょうげ) すること

なんと、元々は仏教用語にもみられるように、人に道を説き、教化するというようなことであったのだ。確かに、文字通りみればそういうことで、ふざけて笑わすなんて意味は、直接的にはない。

人を教化するという意味の真面目な言葉が、どうしてまた、ふざけて笑わすなんてことになったのか、不思議だが、仏教用語を解説する 「だいご倶楽部の一語一会(いちごいちえ)」 というブログに "真の「道化師」になろう" という記事があり、そこにこう記されている。

さて、仏教でいう 「道化」 は、道法を説くことをあらわしています。
特に仏教が中国に伝わった頃、教えの立場の者(師)が諸国を遊説していました。
法を説くためです。
しかし、その真理は一般庶民にとって難しいものでした。
その為に、今で言う客寄せのために、冗談も言えばおかしな身振りもしたものです。
ここから 「道化師」 という言葉が生まれてきました。

なるほど、そういうこともあったのだろう。信仰と芸能は根っこが一つで、日本でも「浮かれ坊主」や「願人坊主」という存在があった(参照)。道を説くための方便として始めた滑稽芸が、いつの間にか本業になってしまうのである。

信心の世界におけるこうした逆転現象は、案外よくあることだ。私はこれを「聖俗一致の法則」なんて言っている。「聖俗一致」の最も如実に表れているのが、「頓」という字だ。「トンマ」「トンチキ」の「頓」である。このことについては、7年前に "悟って 「トンマ」 になる" という記事の中で書いている。

 

|

« 「おとがい」 を巡る冒険 | トップページ | 当面、ウナギとマグロは食わないことにする »

言葉」カテゴリの記事

コメント

酷いと非道いとかもありますね
((。_。(゚д゚ うぬ

投稿: ひろゆき | 2013年6月14日 16:01

ひろゆき さん:

「ひどい」 の語源は 「非道」 というのが定説のようですね。
勝手に形容詞化したもののようです。

投稿: tak | 2013年6月19日 15:55

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「道化」 を巡る冒険:

« 「おとがい」 を巡る冒険 | トップページ | 当面、ウナギとマグロは食わないことにする »